第11話 名前を与えなかったもの
――人の世界にも、届いたか。
玉座に座る少女は、そう呟いた。
その声には驚きも焦りもない。
ただ、わずかな確認だけがあった。
「……少し、早いな」
誰に向けるでもなく呟き、
少女は再び沈黙した。
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原初の森から離れた街道で、
アルトは歩きながら、
先ほどの戦闘を反芻していた。
......倒した、とは言えなかった。
結果だけを見れば、魔物は消えた。
被害も抑えられた。
だが、あれは討伐ではない。
「……あれは、普通の魔物じゃない」
「......凶魔獣とも違う」
「個体ではなく、森の方が狂っている?」
思わず、声に出ていた。
戦闘の最中、
アルトの感覚は終始、
嫌な方向に引っ張られていた。
瘴気の量ではない。
質でもない。
位置だ。
魔物は、怒りで暴れていたのではない。
何かに触れ、
何かに引き寄せられ、
“そこに置かれてしまった”。
(境界の、綻び)
言葉にするなら、それが一番近い。
アルトは思い返す。
勇者の剣は、確かに通っていた。
連携も、判断も、間違っていなかった。
それでも、止まらなかった。
「……敵じゃないものを、敵として切っても」
「終わるわけがないか」
小さく息を吐く。
あの瞬間、
自分が踏み出した時の感覚は、今も残っている。
世界が、一拍だけ“拒絶”した。
あそこから先へ行くな、と。
それ以上進めば、壊れると。
(……だから、抑えた)
封じたのでも、消したのでもない。
押し戻しただけだ。
背後で、足音が揃う。
「……アルト」
セフィラだった。
「封界は、あくまで応急処置」
「次も、同じことが起きる」
その声音には、確信があった。
「しかも、次は」
「もっと自然な形で」
アルトは、頷いた。
「気づかれない形で」
「“そういう魔物だった”って言われる形で」
レイナが、少し先を歩きながら振り返る。
「……あれ、報告どうするの?」
その問いは、
戦闘以上に重かった。
アルトは、即答しなかった。
正確に書けば、理解されない。
ぼかせば、再発する。
「……削る」
「?」
ようやく、そう答える。
「嘘は書かない」
「でも、全部も書かない」
レイナは、それ以上追及しなかった。
それが、
これまで何度も繰り返されてきた判断だと
知っている。
アルトは、遠くに見える森を振り返る。
原初の森は、
何事もなかったかのように静まり返っていた。
(もう、始まってる)
世界は、静かに均衡を崩し、
それを均衡だったことにしようとしている。
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街道を離れ、帝都から王都へ戻る帰路の中で、
アルトは膝の上に置いた書類を見つめていた。
まだ、白紙だ。
「……何から書く?」
レイナが、窓の外を見たまま尋ねる。
問いかけというより、
確認に近い声音だった。
「発生地点」
「魔物の種別」
「被害状況」
アルトは、淡々と答える。
「……境界の話は?」
セフィラが、視線を落としたまま言う。
アルトは、一瞬だけ考えた。
そして、首を横に振る。
「今は、通らない」
「正確に書いても、理解されない」
沈黙が落ちる。
否定の声は、上がらなかった。
「じゃあ……」
レイナが続ける。
「『瘴気の影響で異常変質した魔物』ってことで、
まとめる?」
「それでいい」
アルトは、短く答えた。
嘘ではない。
だが、全ても言っていない。
報告書は、そうして形を取っていった。
•原初の森近辺にて
•高濃度瘴気を確認
•魔物一体が異常な凶暴化を示す
•ギルド所属者および同行者により討伐
•周辺への被害は限定的
「……これで、“筋は通る”」
セフィラが、静かに言った。
アルトは、紙面から目を離さず応じる。
「世界が納得できる形、だな」
王都に戻ると、
報告は速やかに上へと回された。
精査。
分類。
整理。
そして、
“危険事例の一つ”として棚に収められる。
「異常個体、ね」
ギルド上層の誰かが、そう呟いた。
「最近は増えてる」
「森が荒れてるせいだろう」
それで、話は終わった。
聖教会からも、簡単な通達が出る。
「瘴気の乱れは、
世界の浄化過程における一時的な揺らぎである」
誰も、深く掘り下げなかった。
アルトは、その文面を一読し、机に伏せる。
意味づけは、いつも正しい。
正しすぎるほどに。
「……削ったな」
ぽつりと、呟く。
削ったのは、情報だけではない。
•魔物が“引き寄せられていた”感覚
•世界が一瞬、拒絶した瞬間
•境界が、確かに揺れた事実
それらすべてが、
記録から落とされた。
(これで、次も)
アルトは、そう思ってしまう。
(次も、“想定外”になる)
窓の外で、王都の灯りが近づいてくる。
人々は、何も知らずに眠りにつく。
アルトは、確信していた。
今回の判断は、
正しかったかもしれない。
だが、
正しいからといって、救いになるとは限らない。
原初の森では、
今も何かが、静かに進んでいる。
名も、姿も、
まだ与えられていない何かが。
次に削られるのは、
記録か、
存在か、
あるいは――
アルトは、報告書を閉じた。
世界は今日も、
何事もなかったように回り続けている。




