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第5話:向かいの天使は、商売敵という名の悪魔である


 「競争こそが市場を活性化させる」。

 どこの経済学者の言葉かは忘れたが、もしそいつがここにいたら、俺は熱々のコーヒーを顔面に浴びせていたかもしれない。

 健全な競争? 笑わせるな。

 俺の店の向かいにできたのは、そんな生易しいものではない。「宗教戦争」の拠点だ。


 ある朝、俺が店のシャッターを開けると、向かいの空き地が消滅していた。

 代わりに建っていたのは、目が潰れるほど白く輝く、神殿のような豪奢なカフェ。

 その名も『カフェ・エデン ~迷える子羊に救済とパンケーキを~』。

 ふざけた店名だ。だが、問題はそこじゃない。


「……光属性の臭いがする。吐き気がするな」


 隣で開店準備をしていたヴァネッサが、親の仇を見るような目で向かいの店を睨みつけている。彼女の周囲から黒い瘴気が溢れ出し、看板の文字が腐食し始めているからやめてほしい。


「いらっしゃいませぇ~♡ 愚かな下等生物の皆様~♡」


 向かいの店から出てきたのは、背中に純白の翼を生やし、頭上に光のハロを浮かべた少女だった。

 セラフィナ。自称・追放された元天使。

 彼女の笑顔は慈愛に満ちているが、言葉の端々に隠しきれない選民思想が漏れ出ている。


「あら、そこにいるのは汚らわしい魔族の泥人形ではありませんこと? まだ浄化されずに残っていたのですね」

「……貴様。その羽をむしり取って、フライドチキンにしてやろうか」


 ヴァネッサが爪を伸ばし、臨戦態勢に入る。

 まずい。開店前の路上で「神魔大戦ハルマゲドン」が始まってしまう。


「待て待て! 落ち着け二人とも! セラフィナさん、商売敵としてよろしく頼むよ。お互い切磋琢磨しようじゃないか」


 俺が必死に大人の対応をすると、セラフィナは鈴を転がすような声で笑った。


「切磋琢磨? 冗談をおっしゃって。私の店が出すのは『聖水(ただの水道水)』と『天使の焼き印入りマカロン(一個5000円)』ですわ。あなたのような薄汚い店は、三日もすれば潰れます」

「ボッタクリじゃねーか!!」


 天使の皮を被った悪徳商法だ。

 だが、恐ろしいことに、この「輝き」に引き寄せられる馬鹿たちがいる。


「おお……! なんという神々しさじゃ……!」


 ゼグラム村長だ。

 彼は光り物に目がない。セラフィナの頭上の輪っかを見て、涙を流して拝んでいる。


「村長! 騙されるな! あれはLEDより眩しいだけの生体発光だ!」

「うるさい! ワシはあの店に行く! 美しい天使様に『限定・免罪符クッキー』を売ってもらうのじゃ!」


 裏切り者が出た。しかも村のトップだ。

 さらに悪いことに、アルドまで鼻をヒクつかせている。


「なんかいい匂いがするな……。あっちのパンケーキ、プロテイン入ってるか?」

「入ってるわけないだろ! 聖なる気配に釣られるな!」


 客足が奪われていく。

 ヴァネッサがギリギリと歯ぎしりをする音が聞こえる。


店長マスター。許可をくれ。あの店に『黒死病の呪い』を散布してくる」

「営業停止処分になるからやめろ! 保健所案件どころの話じゃない!」


 その時だ。

 今まで無言で状況を見ていたミアが、ポケットからサングラスを取り出し、装着した。

 そして、自分の杖を向かいの店――ではなく、空に向けた。


「……?」

「……(カッ!)」


 ミアが放ったのは、攻撃魔法ではなかった。「暗雲招来」。

 一瞬にして空が分厚い雲に覆われ、周囲が薄暗くなる。

 すると、どうだ。

 太陽光を反射して輝いていた『カフェ・エデン』の壁がくすみ、セラフィナの頭上の輪っかだけが、暗闇の中で安っぽいネオンサインのように点滅し始めた。


「あ、あれ……? なんか急にショボく見えおったぞ」


 正気に戻った村長が呟く。

 神秘性は演出ライティングが九割。ミアはそれを物理的にシャットアウトしたのだ。


「なっ……! 私の『神聖演出ステージ・エフェクト』を邪魔するなんて! これだから地上の猿は!」


 セラフィナが本性を現し、あわてて店内に逃げ帰っていく。

 ざまあみろ、と言いたいところだが、店の前には「今にも呪詛を吐きそうな元魔王軍幹部」と「サングラスをかけた無口な少女」と「筋肉」が残された。

 

 どう見ても、俺の店の方が「悪のアジト」に見える。

 俺はそっと「営業中」の札を裏返し、「作戦会議中」に変えた。

 この天使との戦いは、長く険しいものになりそうだ。

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