94話 静寂のハーモニー
「……ここが、『歌う洞窟』?」
コレットは目の前に広がる光景に息を飲んだ。
薄暗い洞窟の壁一面に、色とりどりのクリスタルがびっしりと生えている。
それらは微かな光を放ち、風が吹き抜けるたびに、チリン、シャランと美しい音色を奏でていた。
「綺麗……。まるで星空の中にいるみたい」
「ええ。でも、気をつけて」
エレナが珍しく慎重な足取りで進む。彼女はレガースの金属音が鳴らないよう、つま先立ちで歩いていた。
『シーッ! 大声出しちゃダメよ!』
ルビィが慌ててコレットの口元に飛びついた。
『ここのクリスタルは音に敏感なの。大きな音や、強い衝撃を与えると……』
「共鳴して、爆発するのよ」
エレナが小声で補足した。
「連鎖爆発したら、生き埋め確定だわ。……つまり、ここでは私の『蹴り』も『精霊魔法』も使えないってこと」
エレナは不満げに頬を膨らませた。彼女の戦闘スタイルは、身体強化による打撃と魔法の爆発力だ。それが封じられては、手も足も出ない。
『しかも、悪いニュースよ。……奥を見て』
ルビィが微かな光で照らした先。洞窟の最深部に、あの「黒い茨」が根を張っていた。
だが、今回は様子が違う。
茨はクリスタルの柱に巻き付き、ドクン、ドクンと不快な鼓動を刻んでいる。その振動が周囲のクリスタルに伝わり、今にも共鳴限界を超えそうに震えていた。
「……嘘でしょ。あいつ、自分から音を出して誘爆させる気?」
『そうよ。私たちが近づいたら、その気配を察知して大音量で叫ぶつもりね。そうすれば、洞窟ごと私たちを潰せるわ』
自爆覚悟のトラップ。近づけない。倒せない。
「これ、もしかして……詰んだ?」
「……私に、やらせてください」
コレットが前に出た。彼女は胸元のアズライトの栞を握りしめ、真剣な眼差しで茨を見つめている。
「音を消せばいいんですよね?」
「ええ。でも、どうやって? 魔法を使えば、その波動でクリスタルが割れるわよ」
「魔法じゃなくて……『調律』します」
コレットはそっと歩き出した。
足音はしない。カインの後ろを必死について歩いた日々が、彼女に静かな歩行術を覚えさせていた。
茨の目の前まで近づく。茨が侵入者に気付き、空気を吸い込んで絶叫しようとする。
(させない……!)
コレットは両手を掲げた。
放出するのは、魔力ではない。
アズライトの栞を通して、周囲のクリスタルと同じ「波長」の魔力を静かに流し込む。
音を力でねじ伏せるのではなく、音の波を自分の波で相殺するイメージ。
『……すごい』
ルビィが瞬きを忘れて見つめる。
コレットの指先から広がる波紋が、茨の悲鳴を包み込み、音を消滅させていく。
完全な静寂。
茨は口をパクパクさせているが、音は一切外に漏れない。
(今です、先輩!)
コレットの合図。エレナが動く。
強化魔法は使わない。純粋な身体能力だけで、音もなく疾走する。
スカートがふわりと舞い、しなやかな足が茨の根元を捉えた。
「……っ!」
声を出さずに、気合だけで引っこ抜く。
バキッという音さえ、コレットの「調律」がかき消した。
黒い霧が噴き出し、そして浄化の光に溶けていく。
洞窟に、穏やかな光が戻った。クリスタルたちが、祝福するように優しい音色を奏で始める。
「……ふぅ。心臓に悪いわ」
エレナがその場に座り込んだ。
「コレット、あなた凄いわね。あんな芸当、私には逆立ちしても無理よ」
「えへへ」
コレットも脱力して笑う。
その時、ふらりとルビィが落ちてきた。その光が、弱々しく明滅している。
「ルビィちゃん!?」
『……ごめん、なさい。ちょっと、疲れちゃった……』
この森の案内役である彼女は、穢れの影響を一番強く受けている。その小さな体は、限界を迎えていたのだ。
「穢れに充てられたのね」
「大変……! 先輩、どうしましょう!」
「マナを分け与えるしかないけど、精霊が混じってる私のマナじゃ強すぎてパンクしちゃうわ」
エレナが焦る。コレットは迷わず、ルビィを両手で包み込んだ。
温かくて、柔らかい光。
自分の魔力を、ルビィが受け取れる形に変換して、ゆっくりと注ぎ込む。
(元気になって……。ルビィちゃん……)
それは治療というより、祈りに近かった。コレットの優しさが、光となってルビィに染み込んでいく。
『……あったかい』
ルビィが心地よさそうに目を細めた。光が戻る。鮮やかなピンク色が、コレットの指の隙間から溢れる。
『……ありがとう、コレット。あなたって、本当に不思議な子ね』
ルビィはコレットの頬にすり寄った。
『あなたの魔力、なんだか懐かしい味がするの。……ずっと昔、この森を作った人みたいな』
「え?」
『なんでもない! さあ、もう元気100倍よ! 次のエリアへレッツゴー!』
ルビィは照れ隠しのように元気に飛び回った。
けれど、コレットの肩に止まるその距離は、さっきよりもずっと近くなっていた。
契約まではいかないけれど、確かな「友達」としての距離。
「うん。行きましょう、ルビィちゃん、先輩」
コレットは立ち上がった。
静寂の洞窟を抜け、光溢れる出口へと向かう。
その先には、いよいよ森の最深部、「大樹」が待っている。




