89話 精霊のお願い
少し進むと、巨大なクリスタルの木の下に、優雅なティーセットが広げられているのが見えた。
そこには、一人の少女が座っていた。
「あら。やっと来たのね」
その少女は、ティーカップを置いて微笑んだ。
流れるような金髪に、神秘的な銀色の瞳。
年齢はコレットより少し下、15歳くらいだろうか。
透き通るような美少女だが、その佇まいには、どこか年長者のような落ち着きと気品があった。
「あ、あの……はじめまして」
「はじめまして。私はエレナ。……ふふ、驚いた顔ね。ここに来たばかりの時は、私もそうだったわ」
エレナと名乗った少女は、手招きをした。
「こっちへいらっしゃい。お茶とお菓子があるわよ。……この森の木の実は、地上のどんなスイーツより美味しいんだから」
エレナが指差した皿には、宝石のようにキラキラしたタルトが山盛りになっている。
「えっと……私、コレットです。あの、ここはどういう場所なんですか? 私、急に連れてこられて……」
「分かってるわ。事情はルビィから聞いてる」
エレナは立ち上がり、コレットの肩に手を置いた。
その手は温かく、不思議な安心感があった。
「ここはね、精霊たちの遊び場みたいなものよ。……ちょっとした『お願い』があって、私たちは招待されたの。少しの間だけ付き合ってあげて?」
「お願い……?」
「ええ。詳しくは食べながら話しましょう」
エレナは悪戯っぽく笑い、タルトを一つコレットの口に押し込んだ。
甘酸っぱくて、とろけるような味。口の中に幸せが広がる。
「お……おいしい!」
「でしょ? ……さあ、座って。女子会の始まりよ」
不思議な森。おしゃべりな精霊。そして、金髪の美少女。
カインがいないのは寂しいけれど、なんだか素敵な冒険が始まりそうな予感に、コレットの胸は高鳴っていた。
◇
「んん〜っ! おいしい!」
コレットの声が、砂糖菓子のように甘い森に響いた。
口いっぱいに広がるのは、甘酸っぱいベリーの風味と、濃厚なクリームのような口溶け。
それは地上のどんな高級菓子店でも味わえない、魔力そのものを味覚化したような至高のスイーツだった。
「でしょ? ここの木の実を食べると、魔力の巡りが良くなるのよ」
向かいに座るエレナが、優雅にティーカップを傾けた。
クリスタルの木漏れ日が、彼女の銀色の瞳を神秘的に輝かせている。
見た目はコレットより年下に見えるが、その纏う空気はどこか達観していて、頼れるお姉さんのようだ。
「……それで、エレナさん。私たち、どうしてここに呼ばれたんでしょうか?」
コレットはタルトを飲み込み、尋ねた。
美味しいお菓子は嬉しいが、カインたちが心配しているはずだ。早く戻らなければ。
「焦らないで。ここの時間の流れは、外とは違うみたいだから」
エレナは空中に浮遊する綿毛のような光を指先で突いた。
「ルビィ、説明してあげて」
『はーい!』
パタパタと羽ばたきながら、球体の精霊ルビィが二人の間に割って入った。
『単刀直入に言うわね! この森、今すっごくピンチなの!』
「ピンチ?」
『そう。外の世界から流れ込んでくる「汚いマナ」のせいで、森の深部にある「大樹」が病気になっちゃったのよ』
ルビィが体を赤く明滅させて怒る。
『人間たちが変な実験とか、戦争とかするから! その淀みが全部こっちに流れ込んできて、可愛い精霊たちが凶暴化しちゃってるの!』
コレットはハッとした。変な実験。淀み。
それはオダイ・ジニやアレクサンドラで起きた事件の影響かもしれない。
なら、自分は無関係じゃない。巡り巡って、この美しい森を汚してしまったのかもしれない。
「……私たちが、それを治すんですか?」
『その通り! 普通の魔法使いじゃ、この森の濃度に耐えられないわ。でも、あなたたちは特別』
ルビィがコレットとエレナを交互に見る。
『異界の魂を持つあなたと、精霊と混ざり合ったあなた。……あなたたちなら、大樹の核まで行って、穢れを祓えるわ』
「やることは単純よ」
エレナが空になったカップを置いた。
「凶暴化した森の番人たちを蹴散らして、大樹の根元にある『黒い棘』を引っこ抜く。……いわゆる、害獣駆除と草むしりね」
害獣駆除。その言葉に、コレットはカインの顔を思い出した。彼もよく、そう言って魔獣を倒していた。
「……私、やります」
自分たち人間の世界のせいで、この森が苦しんでいるなら。そして、自分の力が誰かの役に立つのなら。
カインに教えてもらったことだ。力は、守るために使うものだと。
「ふふ、いい顔ね」
エレナが嬉しそうに微笑んだ。
「私も手伝うわ。実はね、私もここを出て、会いたい人がいるの」
「会いたい人?」
「ええ。お兄ちゃんに会いたいの。会って、顔面を思い切り殴りたいの。血が出るまで」
エレナはとびきりの笑顔でその恐ろしいことを口走った。
「私も……会いたい人たちがいます」
コレットもまた、カインとリザを思い浮かべて微笑んだ。
「あなたのお兄ちゃん?」
「ううん。私の……。うーん……? ……保護者……?? みたいな人です」
コレットは少し照れくさそうに言った。
「不器用で、口は悪くて、いつも眉間に皺を寄せてて……でも、とっても優しい人なんです」
「あら。なんだか、私の知ってる『昔の知り合い』にとっても似てるわね」
エレナが懐かしそうに目を細めた。
彼女の脳裏にあるのは、いつも眉間に皺を寄せて不機嫌そうで、でも、不器用なだけの優しい青年。
「その人の名前は?」
「カインさん、って言うんです」
「カイン……。いい名前ね」
エレナは微笑んだ。
アトスではない。別人だ。
けれど、世の中にはよく似たような不器用な男がいるものだとも感心した。
「きっと、今頃心配して探し回ってるわよ。早く帰ってあげなきゃね」
「はい!」
二人の視線が交錯する。
『はいはい、お喋りはそこまで!』
ルビィがパンと音を立てて弾けた。
『契約成立ね! さあ行くわよ! プリズマリア最深部、大樹の根元へレッツゴー!』
「行きましょう、コレット。私の背中に隠れていればいいわ」
エレナが立ち上がり、スカートの裾を翻した。
その足には、華奢な見た目には似つかわしくない、実戦仕様のレガースが装着されている。
彼女の纏う空気が、ふわりとした少女のものから、鋭利な戦士のものへと変わった。
「……は……はい、先輩!」
コレットも立ち上がる。
不思議な森での、二人だけの冒険。カインがいなくても、私はやれる。
そう証明するために、コレットは一歩を踏み出した。




