87話 晴れ間の商隊
最果ての岬を背にし、数日が過ぎた。
荒れ狂っていた吹雪は嘘のように止み、雲の切れ間からは柔らかな陽光が降り注いでいる。
「もう少しです! その荷馬車をあと半歩分右で!」
コレットの元気な声が飛ぶ。
彼女は今、雪道で車輪を取られた荷馬車を、魔法を使って押し上げていた。
指先から放たれる青い光が、車輪の下の雪を固め、グリップ力を高める。
繊細で、無駄のない魔力制御。
かつて暴走するだけだった力は、完全に彼女の手足となっていた。
「ありがとう、お嬢ちゃん! 助かったよ!」
商隊の御者が帽子を取って感謝する。
カインたちは今、北の希少な鉱石を運ぶ行商人のキャラバンに同行し、護衛を兼ねて南下していた。
「いえ! 困ったときはお互い様ですから!」
コレットは額の汗を拭い、満面の笑みで答えた。
その笑顔には、もう陰りはない。
前世の記憶を手放し、今の自分を受け入れた彼女は、見違えるほど明るく、逞しくなっていた。
「コレット、楽しそうだね」
荷台の上で足をぶらつかせながら、リザが笑顔で林檎を齧る。
「ああ。そうだな」
カインは馬の手綱を握りながら、短く答えた。
視線の先には、商人たちに囲まれ、頼りにされているコレットの姿がある。
アズライトの栞は、今日も澄んだ青色を湛えている。警告の赤が灯ることは、もうないだろう。
(……俺の役目は、終わりか)
ふと、そんな思考が過った。
この旅の目的は、コレットの魔力制御を確立させ、彼女が普通に生きられるようにすることだった。
そして、記憶の消失という問題を解決すること。
その両方が、果たされた。
彼女はもう、カインが守らなくても生きていける。一人前の魔法士として、どこでだって暮らしていけるはずだ。
ならば、自分は?
咎人である自分が、これ以上彼女の隣にいる理由はなんだ?
ただの居候か、あるいは――。
「ねー。カイン」
不意に、リザがカインの顔を覗き込んだ。
猫のような大きな瞳が、カインの顔をじっと観察している。
「なに、辛気臭い顔してんのさ。腹でも痛いの?」
「考え事をしていただけだ」
カインは視線を逸らした。だが、リザは逃がさない。
彼女はニヤリと口角を上げ、核心を突いた。
「ふーん? もしかして、『俺はもう用済みかな』とか考えてる?」
カインの手綱を持つ手が、ピクリと反応した。
「あ。図星だ」
リザは楽しげに笑い、カインの肩をバンと叩いた。
「ほんと、分かりやすいね。コレットが立派になったんだから、素直に喜べばいいじゃん」
「喜んでるさ」
「嘘ばっかり。……寂しいんでしょ? 保護者で居られなくなるのがさ」
リザの声が、少しだけ真面目なトーンに変わる。
「あのね、カイン。コレットは確かに強くなったよ。でもさ、強いから一人でいいってわけじゃないでしょ。今時流行んないよ。そんなダサい考え」
リザは、荷台の向こうで笑うコレットを指差した。
「あの子が笑えてるのは、カインが後ろにいるからだよ。用があるとかないとか、そんな理屈で一緒にいるわけじゃないって、まだ分かんないの?」
カインは言葉を詰まらせた。
理屈ではない。
契約でも、義理でもなく、ただ一緒にいたいと願うこと。
それを、自分のような人間が望んでもいいのだろうか。
「お前は、鋭すぎるな」
カインが少し笑みを浮かべながらため息をつく。
「商売道具だからね」
リザはウインクをして、荷台から飛び降りた。
「ほら、休憩終わりだって! 行くよ、カイン! 今日の夕飯当番は私たちが確保しなきゃ!」
リザがコレットの元へ駆けていく。
二人の少女が並んで歩く背中。
その間に、自分の居場所があることを、カインはまだ素直に認められずにいた。
けれど、馬を進める手は、自然と彼女たちの後を追っていた。




