8話 魔視
廃墟の礼拝堂に、重苦しい沈黙が降りていた。
カインは瓦礫に腰を下ろし、腕を組んでリザを見下ろしている。
その背後には、心配そうに様子を伺うコレット。そしてリザの背後には、怯えた瞳の子供たちが身を寄せ合っていた。
「……で? 洗いざらい話せ。そのペンダントを使って誰の機嫌を取るつもりだったんだ」
カインが顎で示したのは、リザが握りしめている「アズライトの栞」だ。
リザは唇を噛み、観念したように肩を落とした。
「……『赤蛇』っていう、裏ギルドのボスだよ」
リザの声は低い。
「この旧市街は、あいつらの縄張りなんだ。孤児院なんてとっくに潰れてる。私たちはここで暮らす代わりに、毎月『上納金』を払わなきゃいけない。払えなければ、一人ずつ連れて行かれる……どこかの金持ちの愛玩用か、鉱山の奴隷として売るためにね」
リザが背後の子供たちを庇うように腕を広げる。
それが彼女の「盗み」の動機だった。生きるため、そして家族を守るための犯罪。ありふれた路地裏の悲劇だ。
「今月は、特に厳しくてさ。ボスの機嫌が悪かったんだ。もっと珍しいもの、もっと高く売れる魔道具を持ってこないと、一番小さい子を連れて行くって……」
リザの視線が、手の中の栞に落ちる。
透明な結晶の中に、青い花が一輪、永遠の時を止めたように咲いている。
「お姉さん、気付いてないの? これ、とんでもない純度の『魔力結晶』だよ」
リザはコレットに向かって言った。
「ただの花を樹脂で固めただけに見えるけど、中身は別物。膨大な魔力を圧縮して、物理的に固定化してる。こんな芸当、宮廷魔術師だって出来やしない。……質屋に持ち込めば、金貨二十枚にはなる」
リザの説明に、コレットは絶句してカインを見た。
カインは「チッ」と舌打ちをして顔を背けた。
「……ただの即席工作だ」
「嘘つき。私の目は誤魔化せないよ」
リザは自分の瞳を指差した。猫のように大きな、ヘーゼルナッツ色の瞳。
「私は『魔視』持ちだ。生まれつき、魔力の流れや質が色付きで見える」
リザはカインをねめつけた。
その眼差しには、警戒と、隠しきれない畏怖が混じっている。
「……なるほどな。俺の魔術構成を一目で見抜いたわけか」
カインは納得したように頷き、そして冷徹に目を細めた。
「だが、計算が合わんな」
「はぇ?」
「金貨二十枚程度じゃ、その場凌ぎにしかならん。来月はどうする? 再来月は? お前ほど目が利くなら、それが根本的な解決にならないことくらい分かっているはずだ」
「そ……それは……」
カインは立ち上がり、リザに詰め寄った。
「で、本当の目的の方はなんだ?」
「な、ななな、何のこと……!?」
リザの声が裏返った。カインの威圧に、猫が毛を逆立てるように飛び上がり、視線を泳がせる。
「下手な芝居はするな。お前の本当の目的が、そのペンダントじゃないことは分かってる」
「し、知らないよ! 私はただ、高く売れそうだったから……!」
「ほう。なら何故、俺をここまで誘導した? 本気で逃げる気なら、痕跡を消して下水道にでも潜ればよかったはずだ」
カインは逃がさない。その青灰色の瞳で、少女の腹の底まで見透かすように睨みつけた。
「う……」
リザは言葉に詰まり、脂汗をかきながら後ずさった。
完全に図星だ。小賢しい策を弄したつもりが、相手の手のひらの上だったのだ。
「……はぁ。やっぱり、ダメかぁ」
リザはがっくりと項垂れ、両手を上げた。
「降参。おじさんの言う通りだよ」
「おじさんじゃない」
「昨日の夜、宿屋の外から見てたんだ。お姉さんの部屋から、変な色の魔力が漏れてるのを」
リザの視線がコレットに向く。
「この世界の誰とも違う、歪で、でも綺麗な色。最初は、そのお姉さんを利用するつもりだった。お姉さんのその魔力さ、魔獣を引き寄せるでしょ?
その厄介な体質……それを『赤蛇』のアジトに放り込めば、混乱に乗じて子供たちを逃がせると思ってね」
「えっ……」
コレットが息を飲んだ。自分を囮にするつもりだったのだ。
「でも、今朝あんたを間近で見て、考えを変えた」
リザはカインを指差した。
「あんたの体の周り、何層にも『見えない壁』が張り巡らされてる。その内側に……とんでもない量の魔力が、ぎちぎちに圧縮されてるのが見えた。普通の魔法士が『焚き火』なら、あんたは『太陽』を無理やり人の形に押し込めてるみたいだ」
リザの声が熱を帯びる。
「これならいけると思った。あんたから大切なものを盗めば、あんたは必ず取り返しに来る。その怒りの矛先を、『赤蛇』に向けさせれば……あんたがボスごと組織を潰してくれるんじゃないかって」
「俺の手で組織を壊滅させようとしたわけか」
カインの声は氷点下だった。
リザはバツが悪そうに視線を逸らしたが、すぐに顔を上げ、必死に訴えた。
「だって、そうでもしなきゃ助けられないんだもん! 相手は裏ギルドだよ? 私みたいな子供が何人いたって敵わない。毒には毒を、バケモノにはバケモノをぶつけるしかないじゃん!」
悲痛な叫び。
やり方は褒められたものではないが、子供たちを守りたいという想いは本物だ。そのために、なりふり構わず最強のカードを切ろうとしたのだ。
だが、カインにとって「利用される」ことほど不愉快なことはない。
「……不愉快だ」
カインは短く吐き捨てると、目にも止まらぬ速さでリザの手首を掴んだ。
「っ!?」
リザが反応するより速く、その手から「アズライトの栞」をもぎ取る。
「あ……返して……!」
「返すも何も元からこれは『コレット』のものだ。返せと言われる道理も、薄汚い策の道具にされる謂れもない」
コレットは、ハッとして顔を上げた。
今、カインは確かに名前を呼んだ。これまで「お前」や「おい」としか呼ばなかった彼が、初めて「コレット」と呼んだのだ。
それが、彼女を対等な所有者として認めた証のように響いた。
カインは栞を懐にしまうと、冷たく背を向けた。
「俺は手を貸さん」
「そんな……っ! お願い、見捨てないで!」
「帰るぞ、コレット」
カインはスタスタと歩き出した。リザはその場にへたり込む。
最後の希望が絶たれ、絶望に染まった瞳で子供たちを振り返った。
これで終わりだ。今夜にも、『赤蛇』が取り立てに来る。
「……ま、待ってください、カインさん!」
カインの袖を、強い力で引くものがあった。
コレットだ。彼女はその場から動こうとしない。
「なんの真似だ。放せ。ここにいても意味はない」
「い、嫌です! 見捨てられません!」
コレットは叫んだ。
その琥珀色の瞳には、かつてないほどの強い意志が宿っていた。
「利用しようとしたのは悪いことかもしれません。でも、この子は必死だったんです。家族を守るために、なりふり構わず……」
「だからどうした。俺たちには関係ない」
「関係あります! だって、この子たちは……!」
コレットは、リザの背後に隠れる痩せ細った子供たちを見た。
そして、自分の過去を重ねた。
両親を救いたくて、必死に祈った日々。力がなくて、知識がなくて、結局何も救えなかった無力感。
「昔の私と、同じだから……。見過ごしたら、私は一生後悔します。アズライトの名前を忘れることよりも、ずっと辛い後悔を背負うことになります!」
コレットはカインを真っ直ぐに見つめ、一歩も引かなかった。
「カインさんが手伝ってくれないなら、私一人でも残ります。私の魔力で魔獣を呼んで、赤蛇を追い払います!」
「そんなことをすればお前だけでなく町の人間も皆死ぬぞ」
「なら死なせないでください!! 守ってください!! 知ってしまったのに何もせずに逃げることは出来ません……!」
静寂。
廃墟に、コレットの荒い息遣いだけが響く。
カインは天井を仰ぎ、深く、長く溜息を吐いた。
「……まったく」
カインは頭をガシガシとかきむしった。
思っていたよりも頑固だ。
それに。震えながら子供を守ろうとするリザの姿と、無謀にも戦おうとするコレットの姿が、かつて自分が見捨てたモノと重なって、どうしようもなく寝覚めが悪い。
「……条件がある」
カインは振り返り、リザを見下ろした。
「え……?」
「俺は手出しせん。これはあくまでお前の喧嘩だ」
「で、でも、私だけじゃ……」
「戦力は貸してやる」
カインの手が、コレットの背中をバンと叩いた。
「ひゃっ!?」
「こいつを使え」
「……えっ……? ……えええっ!? わ、私ですか!?」
素っ頓狂な声を上げるコレット。リザも口をあんぐりと開けている。
「こいつは魔力制御の特訓中だ。実戦形式でしごいてやろうと思っていたところだ。手間が省けてちょうどいい」
カインは悪魔のように笑った。
「リザ、お前の『目』で敵の配置を探れ。コレット、お前はそのデタラメな魔力を囮にして敵を撹乱しろ。……俺は後ろで見ていてやる。危なくなったら、まあ、風くらいは吹かせてやるさ」
それは、最強の魔法士による、スパルタすぎる実戦訓練の開始合図だった。




