84話 オーロラの彼方
風が止んだ。
あれほど吹き荒れていた吹雪が、ある地点を境にピタリと消滅したのだ。
カインたちは、大陸の北端、断崖絶壁の上に立っていた。
「……わーお……」
リザが息を呑む。
眼下に広がるのは、凍てついた海ではない。
光の海だ。
海面から無数の青白い粒子が立ち昇り、空へと向かって逆流している。
それらは上空で巨大な帯となり、七色に揺らめくオーロラとなって天頂へ吸い込まれていく。
「魂の還流……」
カインが呟く。
美しい。だが、同時に冒涜的でさえある。
この世界の命が、循環の理に従って吸い上げられ、どこか別の場所へと送られていくシステム。
その圧倒的な質量の前に、人間などちっぽけな塵に過ぎないと感じさせられる。
「……あそこへ、還るんですね」
コレットが空を見上げて言った。
その瞳はオーロラと同じ色に輝き、吸い込まれそうなほど透明だ。
彼女の体から立ち昇る魔力が、空の光と共鳴し、キラキラと輝いている。
「コレット、離れるな」
カインはコレットの手を強く握った。
油断すれば、彼女の魂ごと、あの光の奔流に持っていかれそうな気がしたからだ。
「大丈夫です。カインさんの手が、温かいですから」
コレットは微笑み、握り返した。
その笑顔に、カインは胸を突かれる。
彼女はもう、自分が何者だったかを思い出せない。
だが、誰の手を握るべきかだけは、決して忘れていなかった。
「ねぇ、あれ!」
リザが岬の先端を指差した。
光の海に突き出した岩場の上に、人工的な影がある。カインたちは慎重に近づいた。
そこにあったのは、一本の剣だった。飾り気のない、実戦一点張りの鉄の剣。
風雪に晒され、錆びついているが、その切っ先は天を突くように堂々と地面に突き刺さっている。
「……間違いない」
カインは剣の柄に手を触れた。
手に馴染む感触。かつて戦場で何度も目にした、相棒の愛剣。
「ジークの剣だ」
予備の武器だろう。
だが、それをここに置いていった意味は一つしかない。
『俺はここまで来た』という、後続への道標。
「見て、根元に何かあるよ」
リザが剣の根元に積まれた石をどけた。
そこには、魔力で密封された金属製の筒――タイムカプセルのような容器が埋められていた。
カインが封印を解き、中身を取り出す。
羊皮紙の束と、一つの記録結晶。
「……遺言か、それとも旅の記録か」
カインは記録結晶を手に持つ。
『パンパカパーン! おめでとう!!
今ここでこれを聞いてるそこのキミ!
とんでもねぇ旅路の果てに辿り着けたんだな!
こんなとこまで来ちまったってことは、お前は転生者か、その関係者なんだろな。
ここは世界の行き止まりだ。ここから先に世界はねぇ。だから俺の話をゆっくり聞いてけ。』
脳内で再生されるジークの軽薄な声。
カインは思わず口元を緩めた。
『ここには答えがある。
俺たち転生者が何者で、どこへ行くのか。
……転生者が背負う「忘却」の正体と、それに抗うための術式を、ここに記す。
どうか、役に立ててくれ。
あ、あと、この記録結晶に魔力を込めてみな。
そうすると、いいことあっからよ! アディオス!』
「ねえ、カイン魔力込めてみなよ」
「ああ」
カインが魔力を込めると、新たなメッセージが浮かび上がる。
『……今は不安で一杯かもしれねぇ。記憶を忘れ続ける恐怖と生きるのか、自分から記憶を還すことでケジメをつけるのか。それをしてしまったら、自分は何者になるのか。もしかしたら、儀式が終わったら全く別人になって大切な奴らのことも全て忘れちまうかもしれねぇ。よく分かるぜ、その心配は。だからな、よく聞け。……心配すんな。上手くいく』
コレットが目を見開く。
「……」
『あ、あと。華麗なる剣聖っていうシリーズの小説が絶賛発売中で超絶かっこいい主人公は俺で相棒の金髪美少女が……』
ブチッ。
カインが魔力を遮断する。
「さて……」
やはり、ジークは辿り着いていたのだ。
コレットを救うための、最後のピースに。
「……コレット」
カインは振り返り、少女を見た。
彼女はオーロラを見つめたまま、不思議そうに瞬きをしている。
「……準備はいいか」
「はい?」
「お前の記憶を……お前自身を取り戻すための、最後の賭けだ」
カインは羊皮紙と記録結晶を握りしめた。
ジークが残した希望。
それを使えば、彼女の記憶喪失を止められるかもしれない。
だが、それは同時に、彼女に再び「過酷な過去」を突きつけることになるかもしれない。
それでも。何も知らずに消えていくよりは、選んでほしい。




