79話 カインの拳
吹雪の中、殺気が交差する。
エリックと数人の村人が、氷の槍を構えてカインを取り囲んでいた。
村人たちの後ろには、共に慌てて駆けつけてきたリザが息を切らせて立っている。
彼らの瞳に宿るのは、狂気にも似た悲壮な決意。
村を守るためなら、非道な行いも厭わないという盲信だ。
「……退け」
カインが低く告げる。
ただ威圧だけで彼らを押し留めている。
「退かぬ! この娘を捧げねば、今夜にも結界が破れる! 俺たちにはもう、他に道がないんだ!」
エリックが叫び、槍を突き出した。
鋭い氷の切っ先が、カインの喉元を狙う。
殺す気だ。
だが、その動きはあまりに直線的で、焦りに満ちていた。
「……浅い」
カインは半歩踏み込み、飛来する槍を素手で掴んだ。
パキンッ!
握力だけで氷を砕く。
「なっ……!?」
「道がないなら探せ。作る努力もしないで、安易に生贄に逃げるな」
カインは砕けた槍の柄を放り捨て、エリックの胸倉を掴み上げた。
「お前が守りたいのは村か? それとも、犠牲の上に成り立つ気休めの『安心』か?」
「う、うるさい! お前に何が分かる! 俺たちがどれだけ……どれだけ失ってきたと……ッ!」
「分からんな。分かりたくもない」
エリックが隠し持っていた短剣を振るう。
だが、カインは避けもしない。
ただ、真っ直ぐに拳を振りかぶった。
ドゴォッ!!
鈍い音が響き、エリックの体が雪原に沈んだ。
魔法ではない。身体強化すら使っていない。
ただの、大人の男の拳骨だ。
「が、はっ……」
エリックは鼻血を流し、仰向けに倒れたまま空を見上げた。
痛い。熱い。
凍りついていた思考が、殴られた衝撃で揺さぶられる。
「……痛いか」
カインがエリックを見下ろす。
「それが痛みだ。お前がコレットに強要しようとしたのは、それ以上の痛みだ。死ぬ痛みだけじゃない。生き残った者が一生背負う、後悔という名の痛みだ」
カインの脳裏に、かつての自分が重なる。
国を救うために王女を見捨て、その結果、心が壊れてしまった自分。
そして、そんな自分を救おうとしてくれた、コレットやリザの顔。
「お前は、この娘を犠牲にして生き残ったとして……明日から胸を張って笑えるのか? 守りたかった家族や恋人に、誇れるのか?」
「……っ」
エリックの目から涙が溢れた。
分かっていた。本当は、分かっていたのだ。
生贄なんて間違っていると。
けれど、恐怖に負けて、考えることを放棄していた。
「……俺は……ただ、もう誰も失いたくなくて……」
「なら、戦えばいいだろ」
カインはエリックに手を差し出した。
「神に祈るな。生贄に縋るな。守りたいなら、自分の手で掴み取れ」
その言葉は、自分自身への戒めでもあった。
もう二度と、祈りや運命のせいにして諦めたりはしない。
「カインさん……」
コレットが、カインの背中に抱きついた。
その温もりが、冷え切った空気を溶かしていく。
周囲の村人たちも、武器を下ろし始めていた。
圧倒的な暴力ではなく、圧倒的な「理」と「意志」を見せつけられ、彼らの戦意は喪失していた。
「……分かった」
エリックはカインの手を取り、立ち上がった。
「あんたの言う通りだ。俺たちが間違っていた」
彼はコレットに向き直り、深く頭を下げた。
「すまなかった。……怖かったんだ。自分たちの弱さが」
「ううん。……私も、弱かったから」
コレットは首を横に振った。
彼女もまた、カインに言葉で殴られ、目を覚まさせられた一人なのだから。
ゴゴゴゴゴ……ッ。
その時、地響きが鳴り響いた。
村を覆う結界が、悲鳴を上げてきしむ。
空が割れ、白い闇が雪崩のように押し寄せてくる。
「……来たか」
カインが結界の綻びを見据える。
白き災厄。村人たちが恐れ、コレットを捧げようとした元凶。
「エリック。村人を避難させろ。戦える者は前へ出ろ」
カインが指示を飛ばす。
もう、迷いはない。
「コレット、リザ。いけるな?」
「はい」
「任せてよ、カイン!」
二人の少女が並び立つ。生贄ではない。共に戦う仲間として。
「行くぞ。神殺しの時間だ」
カインは魔力を練り上げ、荒れ狂う吹雪の中へと一歩を踏み出した。




