77話 生贄の伝承
カインの言葉に、集会所の前は静まり返った。
村人たちは顔を見合わせ、驚きと戸惑いの表情を浮かべている。
だが、その中で一人、鋭い視線を向ける男がいた。
先ほど族長に食ってかかっていた若い男、エリックだ。
「……祓うだと?」
エリックは鼻で笑った。
「よそ者が、何を知った風な口を。あれはただの魔獣じゃない。『白き災厄』……この地を支配する絶対的な絶望だ」
彼は雪山を指差した。
「あれは吹雪そのものだ。剣も魔法も通じない。過去何人もの戦士が挑み、誰一人として帰ってこなかった。お前ごときに、何ができる」
「やってみなければ分からんだろう」
カインは平然と返した。
「それに、あんたの言う『生贄』よりは建設的だ。誰かを犠牲にして生き延びたところで、それはただの先延ばしに過ぎん」
カインの言葉が、エリックの逆鱗に触れたようだった。彼の顔が怒りで歪む。
「先延ばしだと……? ふざけるな! 俺たちはそうやって何百年もここを守ってきたんだ!」
エリックがカインに詰め寄る。
「生贄一人で、村人全員が助かるなら安いもんだ! 俺だって……俺だって、あいつを失いたくはなかった! でも、そうするしかなかったんだよ!」
悲痛な叫び。
彼の過去に、生贄として捧げられた大切な人がいたことを物語っていた。
だからこそ、彼はこの因習に縋るしかないのだ。それを否定されれば、過去の犠牲が無駄だったと認めることになるから。
「……やめろ、エリック」
族長のハラルドが割って入った。
「客人に失礼だ。それに、生贄の儀式は十年前に禁じたはずだ」
「ですが族長! もう結界が持ちません! このままでは、今夜にも災厄が村に入り込んできます!」
エリックは焦燥しきっていた。
その時、物陰で小さく息を飲む音がした。エリックが鋭く視線を向ける。
「……誰だ!」
建物の陰から、恐る恐る姿を現したのはコレットだった。
心配して、こっそりと後をつけてきていたのだ。
「コレット……!? ついてきたのか!?」
彼女の胸元で、アズライトの栞が淡く青い光を放っている。
その光を見た瞬間、エリックの目が怪しく光った。
「……その光……!」
エリックがコレットに歩み寄る。
「精霊を鎮める『導き手』の輝きだ。伝承にある通りだ……!」
彼はコレットの肩を掴んだ。
「その娘を捧げれば、災厄は鎮まる! 村は救われるんだ!」
「はぁ……!?」
リザが色めき立つ。
コレットは青ざめ、後ずさった。
自分が生贄。
村を救うために、死んでくれと言われている。
「ふざけないでよ! コレットは関係ないじゃんか!」
リザがカインの前に出て叫ぶ。
だが、エリックは聞く耳を持たない。
周囲の村人たちも、恐怖と期待が入り混じった目でコレットを見ている。
「あの子なら……」「助かるかもしれない」という囁き声が聞こえる。
「……離せ」
カインが静かに、しかし冷徹に告げた。
「この娘は俺の連れだ。誰かの犠牲になるために連れてきたわけじゃない」
「なら、村が滅んでもいいと言うのか!」
「知ったことか」
カインは吐き捨てた。
「神頼みでしか守れない場所なら、滅びればいい。他人の命を勘定に入れて生き延びようなんて、浅ましいにも程がある」
それは、かつて「命の選別」を行い、国を見捨てるという地獄を見たカインだからこそ言える、重く、残酷な正論だった。
誰かの犠牲の上に成り立つ平和など、砂上の楼閣だ。
「貴様……ッ!」
エリックが剣に手をかける。
カインもまた、無造作にポケットから手を出した。
一触即発。
「……待ってください」
コレットの震える声が響いた。
彼女は顔を上げ、エリックを見つめた。
「もし……私が犠牲になれば、本当に村の人たちは助かるんですか?」
「ちょ……! コレット!?」
リザが驚愕する。
だが、コレットの瞳は真剣だった。
彼女の中にある、「自分は無価値だ」という思い。記憶を失い、空っぽになっていく自分に、何か意味を持たせたいという願望。
それが、今のこの状況と最悪の形で共鳴してしまっている。
「ああ、助かる。お前のその光があれば、災厄は必ず鎮まる」
エリックが縋るように頷く。
「……少し、考えさせてください」
「おい、コレット!」
カインが声を荒らげる。
だが、コレットは寂しげに微笑んだだけだった。
「すみません、カインさん。少しだけ、一人で考えたいんです」
彼女は背を向け、走り去ってしまった。
止める間もなかった。
「……チッ」
精神的にも肉体的にも弱っているからこそ、あの娘の悪い癖が出た。
自己犠牲。自分の命を軽く見すぎている。
「……エリックとか言ったな」
カインは冷たい瞳で男を見下ろした。
「もしあいつに指一本でも触れてみろ。災厄が来る前に、この村が地図から消えることになるぞ」
ドッ、と膨れ上がった殺気が、エリックを、村人たちを圧倒する。
それは脅しではない。
確定した未来の宣告だった。
カインは踵を返し、コレットが消えた方向へと歩き出した。
説得ではない。連れ戻すのだ。力ずくでも。




