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【完結】咎人とアズライト〜国を捨てた魔法士は、記憶を失う転生者と旅をする〜  作者: 文月ナオ
第一章 咎人と転生者

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7話 路地裏の事情

 喧騒が遠ざかっていく。

 華やかな大通りから一本入っただけで、空気は湿り気を帯び、ドブとカビの臭いが鼻をつく。

 陽の光が届かない路地裏。そこは、表の社会から弾き出された者たちが吹き溜まる、街の影だった。


 カインは迷いのない足取りで、汚れた石畳を進んでいく。

 その視線の先には、常人には見えない微かな光の道標が見えていた。

「アズライトの栞」に込めた魔力の残滓だ。まるで道案内のように、盗人が逃げたルートを正確に示している。


「……カインさん、待ってください」


 背後でコレットが小走りに付いてくる。

 息が上がっているが、その表情は必死だ。

 彼女にとって、あの栞は単なる魔道具ではない。消えゆく記憶を繋ぎ止める、唯一の楔なのだ。


「遅れるな。残滓が消える」


 カインは速度を緩めずに言ったが、その声色は叱責というよりは忠告に近かった。

 相手はプロだ。時間をかければ、魔力の痕跡を消す術を使われる可能性もある。


「ごめんなさい……。私が、ぼんやりしていたせいで」

「過ぎたことを気にするな。次は気をつければそれでいい」


 カインは短く返し、意識的に歩幅を狭めた。

 コレットが無理なくついて来られる速度。

 その無言の配慮に、コレットは胸を熱くしながら、新しいブーツで泥濘んだ地面を踏みしめた。


          ◇


 追跡は二刻ほど続いた。

 街の再開発から取り残された、廃墟同然の旧市街区。

 崩れかけた煉瓦造りの倉庫や、窓の割れた空き家が並ぶ、人気の絶えた場所だ。


 カインが足を止めたのは、その一角にある古びた礼拝堂の前だった。

 屋根は落ち、壁は蔦に覆われている。入り口の扉は朽ち果て、暗い口を開けていた。


「……ここか」


 カインは目を細めた。光の道標は、この礼拝堂の奥へと続いている。


「あの……ここに、あの子が?」

「ああ。随分と寂れたねぐらだ」


 カインは足音を消し、慎重に中へと踏み入った。コレットも慌てて口元を押さえ、息を殺して続く。


 礼拝堂の中は薄暗く、埃っぽい空気が満ちていた。

 天井の崩れた隙間から差し込む陽の光が、埃の粒子を照らし出し、祭壇の前に座り込む小さな影を浮かび上がらせていた。


 橙色の髪。猫のようなシルエット。

 あの大通りでぶつかってきた少女だ。

 彼女は盗んだばかりの「アズライトの栞」を光にかざし、溜息をついていた。


「……綺麗だねぇ」


 少女の独り言が、静寂に響く。


「こんな純度の高い結晶、見たことないや。これなら、ボスの機嫌も直るかな」


 彼女の声には、盗みに成功した高揚感はない。

 あるのは、重苦しい義務感と、諦めにも似た疲労の色だった。

 少女は栞を懐にしまおうと、立ち上がり――


「――随分と熱心な品定めだな」


 カインが声をかけると同時に、少女の肩が跳ね上がった。

 バッ、と振り返る。その動きは俊敏で、野生動物のようだ。

 逆光の中に立つカインの姿を認めると、少女の顔が驚愕に歪んだ。


「嘘……っ!? なんでここが……」

「詰めが甘い。獲物に糸がついているのも気付かずに持ち帰るとはな」


 カインはポケットに手を突っ込んだまま、ゆっくりと距離を詰める。

 殺気はない。ただ、悪いことをした子供を見つけた時のような、静かな威圧感だけがあった。


「か、返して……っ!」


 カインの背後から、コレットが叫んだ。

 その悲痛な声に、少女の視線が一瞬コレットに向く。だが、すぐに鋭い警戒の色が戻った。


「嫌だね! これは私が頂いたんだ。返すわけにはいかない!」


 少女は懐からナイフを抜き、低い姿勢で構えた。

 刃渡りの短い、扱い慣れた短剣だ。


「来ないでよ! 近づくと痛い目見るよ!」

「威勢は認めるが、そんなもので俺をどうにかできると思わんほうがいいぞ」


 カインは呆れたように鼻を鳴らした。

 少女の手は微かに震えている。それは恐怖からか、それとも別の理由か。

 カインは一歩、また一歩と近づく。少女の間合いに入る。


「く、来るなっ!」


 少女が踏み込み、鋭い突きを放った。

 狙いは正確。喉元への一撃。

 だが、カインにとっては、猫がじゃれついているのと変わらない。


「狙うなら、声を掛けずに奇襲しろ」


 カインは避けもしなかった。

 ただ、指先でナイフの側面を軽く弾いただけだ。

 キンッ、と硬質な音が鳴り、少女の手からナイフが弾き飛ばされる。カランカランと音を立てて、凶器が床を転がった。


「うそ……っ」


 少女は呆然と自分の手を見つめた。何が起きたのか理解できていない。

 カインは無防備になった少女の目の前に立ち、静かに手を差し出した。


「返せ。お前のモンじゃない」


 淡々とした要求。

 少女は唇を血が滲むほど噛み締め、壁際まで後退った。その瞳に涙が溜まる。


「……だめ。渡せない」

「渡せ」

「これを渡せば……あいつらが、また来る。みんなを連れて行かれちゃう……っ!」


 少女の叫び声が、廃墟の礼拝堂に木霊した。

 それは、盗人の開き直りではない。追い詰められた獣の、悲鳴のような懇願だった。


「みんな……?」


 コレットがカインの横から顔を出した。

 少女の視線が、礼拝堂の奥――祭壇の裏にある、隠し扉の方へと向けられていることに気付く。

 そこから、微かに何かの気配がした。息を潜めるような、小さな、たくさんの気配。


「……お前、一人じゃないのか」


 カインが眉を顰めた時だった。

 隠し扉が僅かに開き、そこから小さな頭が覗いた。

 ボロボロの服を着た、五、六歳ほどの子供だ。


「リザねえちゃん……? 大丈夫……?」


 怯えた声。

 それを聞いた瞬間、少女――リザの表情が、戦士のそれから「姉」の顔へと変わった。


「っ! 出てきちゃダメ! 隠れてて!」


 リザは子供を庇うように両手を広げ、カインを睨みつけた。

 その瞳には、先ほどまでの打算や余裕はない。あるのは、命を懸けて守るべきものを背にした、必死の覚悟だけだった。


「お願い……これだけは見逃して。あいつらに上納金を払わないと、この子たちが……」


 リザの声が震える。

 カインは手を下ろした。

 ただの盗難事件ではない。その裏に、もっとドブ臭い事情が絡んでいる。

 カインの「面倒事センサー」が、激しく警鐘を鳴らしていた。


「……チッ」


 カインは大きく舌打ちをし、頭をガシガシとかいた。

 一番嫌いなパターンだ。

 見なかったことにして帰るには、目の前の少女と子供の視線が、あまりにも痛々しすぎた。

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