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【完結】咎人とアズライト〜国を捨てた魔法士は、記憶を失う転生者と旅をする〜  作者: 文月ナオ
第五章 隠れ生きる者達

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76話 凍てつく記憶

 フロストヘイムでの生活は、静寂そのものだった。

 窓の外では常に吹雪が荒れ狂っているが、厚い氷の壁に守られた屋内は、時間が止まったかのように静かだ。


「おはよう、コレット」


 カインが薪をくべながら声をかける。

 コレットは毛皮のベッドから身を起こし、ぼんやりと周囲を見回していた。

 その瞳は、まだ夢の中を彷徨っているように焦点が定まっていない。


「……あ、おはようございます。カインさん」


 数秒の遅れ。

 カインは眉をひそめた。

 以前なら、目が合った瞬間に返ってきたはずの挨拶。

 思考と認識の間に、見えないもやがかかっているようだ。


「気分はどうだ」

「平気です。……ただ、少し頭が重くて」


 コレットはこめかみを押さえた。

 彼女の中にある「前世の記憶」が、この村の停滞した空気に引かれて、急速に抜け落ちようとしている。

 それを繋ぎ止めるための楔――アズライトの栞が、微かに明滅していた。


「今日は安静にしていろ。リザと一緒に、村の様子を見てくる」

「私も行きます!」


 コレットが反射的に立ち上がる。

 だが、その足元がおぼつかず、よろめいた。


「無理をするな」


 カインが支える。

 細い肩。触れるだけで折れてしまいそうな儚さ。


「……置いていかないでください」


 コレットはカインの服を掴んだ。

 その手は震えている。


「一人になると……自分が誰なのか、分からなくなりそうなんです。ここがどこで、私が何のためにここにいるのか……全部、雪に埋もれて消えてしまいそうで」


 それは死への恐怖ではなく、存在の消失への恐怖。

 カインは、震える彼女の背中を、不器用ながらも強く抱き寄せた。


「消えはしない。俺がいる」

「……」

「お前が忘れても、俺が覚えていると言っただろう。安心しろ」


 カインの体温が、冷え切ったコレットの心を溶かしていく。

 絶対的な守護者。

 彼がいてくれる限り、自分は自分でいられる。


「……はい。待っています」


 コレットは小さく頷き、ベッドに戻った。

 カインはそれを見届け、リザと共に小屋を出た。


 外は相変わらずの極寒だった。

 リザは防寒具を着込み、鼻先を赤くしながらカインの後ろをついて歩く。


「……ねえカイン。コレット、大丈夫なの?」


 リザが心配そうに尋ねる。

 彼女の『魔視』には、コレットの魂から記憶という「情報」が、細い糸のように空へ吸い上げられていくのが見えていた。

 その糸は、北の空――オーロラの彼方へと伸びている。


「……このままだとまずいな」


 カインは短く答えた。


「この村の環境が、還流を加速させている。……早めにここを出る必要がある」

「でも、この吹雪じゃ無理だよ。一歩出たら遭難確定だもん」


 リザが空を見上げる。

 結界の外は、視界ゼロのホワイトアウトだ。


「族長に話を聞く。この異常気象の原因と、『白き災厄』についてな」


 カインは集会所へと足を向けた。

 村人たちの視線が刺さる。

 彼らは異邦人を警戒しているが、同時にコレットの持つ「青い光」に救いを求めてもいる。

 その矛盾した態度の裏に、この村が抱える問題があるはずだ。


「待て」


 カインが足を止めた。

 集会所の前で、数人の村人が言い争っている。

 その中心にいるのは、族長のハラルドと、昨夜は見かけなかった若い男だ。


「ハラルド様! もう猶予はありません! 今すぐ『生贄』を捧げなければ、村は全滅します!」

「ならん! 古き盟約を破るわけにはいかん!」

「しかし、精霊様のお怒りは……!」


 生贄。盟約。精霊の怒り。

 きな臭い単語が並ぶ。

 カインとリザは顔を見合わせ、物陰に身を潜めた。


「……おいおい、穏やかじゃないね」

「ああ。……どうやら、ただの雪山遭難では済まないらしい」


 カインの瞳が、鋭く光る。

 この村に閉じ込められている原因。

 それを排除しなければ、コレットを救うための旅も終わってしまう。


「話を聞かせてもらおうか」


 カインは物陰から姿を現した。

 驚愕する村人たちを前に、最強の魔法士は不敵に言い放った。


「あんたたちの言う『災厄』とやら……俺たちが祓ってやる。その代わり、この嵐を止めろ」

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