72話 北へ
学術都市アレクサンドラを出て、北へと続く街道を行く馬車の中。
リザは街で仕入れたばかりの『華麗なる剣聖』シリーズの最新刊を広げ、声を上げて笑っていた。
「あはは! 何これ、最高! ジークって人、本当にカインの友達? ちょーウケる!」
「……知らん。俺はそんな痛い男は知らん!」
カインは腕を組み、不機嫌そうに窓の外を眺めていた。
リザが読み上げている一節があまりに酷いのだ。
『フッ……またつまらぬモノを斬ってしまったか。だが、俺様の剣技に酔いしれる観衆の視線、悪くはない』
『待ってくだされ剣聖様! どうかお名前を!』
『名乗るほどの者ではない。だが……そう、強いて言うなら、風来の美男子……とでも呼んでくれ』
「……ぶっ」
窓から外を見ながら聞き耳を立てていたコレットが吹き出し、慌てて口元を押さえた。
「ご、ごめんなさい。でも、カインさんのお友達がそんなに面白い方だなんて……」
「違う。断じて違う」
カインはこめかみを押さえた。
確かにジークは飄々としていて軽薄なところがあったが、ここまでナルシストの目立ちたがり屋ではなかったはずだ。
著者が盛っているのか、あるいは本人が面白がって吹聴しているのか。後者の可能性が高いのが頭の痛いところだ。
「でもさ、これ見てよカイン」
リザがページを捲り、挿絵を指差した。
そこには、キザなポーズを決める剣聖の背後に、フードを被った小柄な人物が描かれている。
『剣聖の旅には、一人の助手が同行している。太陽のような金色の髪を持つ、美しい少女だ』
「金髪の助手だって。へぇ、隅に置けないねぇ」
リザがニヤニヤとカインを見る。
カインは眉をひそめた。
「……女連れか。あいつにしては珍しい」
ジークは女好きを公言していたが、特定の誰かと深く関わることを避けるタイプだった。
それが、旅の道連れを作るとは。
しかも、金髪の少女。
(……金髪、か)
一瞬、脳裏に古い記憶が過った。
月明かりの下で輝く、眩い黄金の髪。
だが、カインはすぐにそのイメージを振り払った。あり得ない。
彼女は死んだのだ。自分の目の前で、城と共に燃え尽きた。
ただの偶然だろう。あるいは、このふざけた小説特有の創作か。
「まあ、あいつが元気でやっているならそれでいい」
カインは溜息をつき、話題を打ち切った。
だが、その胸中には、セレーナが別れ際に語った言葉が残っていた。
◇
――出発の朝。研究所の玄関先で、セレーナはカインを見送った後、ふと思い出したように言った。
『そういえば、例のキメラ騒動の時だが』
『ん?』
『私の手が回らなかった区画で、キメラが十数体、一瞬で殲滅されていたんだ』
セレーナは腕を組み、ニヤリと笑った。
『魔力反応はゼロ。焼かれた痕も、凍らされた痕もない。つまり……ただ、鋭利な刃物でスパスパと斬り刻まれていたんだよ。魔力強化も施していない、生身の剣でな』
カインは足を止めた。
魔法も使わず、魔法生物であるキメラを生身の剣で物理的に両断できる人間。
この世界に、そんな芸当ができるのは一人しかいない。
『……ジークか』
『恐らくな。何故やつがタイミングよくこの街にいたのかは知らんが、名乗りもせずに助けて、風のように去っていった』
セレーナは肩をすくめた。
『水臭い奴だ。……ま、声をかけないあたりがあいつらしいがな』
『……違いない』
カインも苦笑した。
自分たちが必死に戦っている裏で、あいつもまた、誰にも知られずに戦っていたのだ。
相変わらず、食えない男だ。
『追うんだろう? あいつの背中を』
セレーナの問いに、カインは短く頷いた。
『ああ。今はそれしかできない』
◇
カインは窓の外、北の空を見上げた。
雲が厚くなり始めている。
最果ての地は近い。
そこで何が待っているのかは分からない。
だが、ジークが示した道標の先に、コレットを救う鍵があることだけは確かだ。
「カイン、見て! 雪だよ!」
リザが窓に張り付いて叫んだ。
いつの間にか、外の景色は白く染まり始めていた。
北の大地。極寒の荒野。
過酷な旅の始まりを告げるように、冷たい風が馬車の隙間から吹き込んでくる。
「……寒そうですね」
コレットが体を震わせ、アズライトの栞を握りしめる。
カインは無言で、荷物から厚手の毛布を取り出し、二人にかけてやった。
「風邪を引くなよ。ここからは、甘くないぞ」
ぶっきらぼうな優しさ。
コレットとリザは顔を見合わせ、嬉しそうに毛布にくるまった。
馬車は雪煙を上げ、白い地平線の彼方へと進んでいく。




