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【完結】咎人とアズライト〜国を捨てた魔法士は、記憶を失う転生者と旅をする〜  作者: 文月ナオ
第四章 魂の追求者

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幕間 理の彼方

 思考が再起動する。

 ガリレオが目を開けると、そこは座標の概念が存在しない、純白の空間だった。

 天井も、床も、壁もない。無限に広がる白色光だけの世界。

 痛みはない。肉体の重みもない。

 ただ、純粋な意識だけが、数式のように明瞭に存在している。


「……なるほど。死後の世界、あるいは高次元領域か」


 ガリレオは冷静に周囲を観察した。

 自身の体を確認する。白衣も、機械仕掛けの義眼もない。生前の姿を模した「概念」としての自分がそこにある。


「やあ。目覚めたかい、天才君」


 不意に、声がかかった。

 振り返ると、そこに「誰か」がいた。

 性別も、年齢も、個としての輪郭さえも曖昧な、光の集合体。

 だが、ガリレオは直感した。この空間の管理者だと。


「……君は、神か? それとも死神かね」

「呼び名なんてどうでもいいよ。便宜上、『案内人』とでも呼んでくれ」


 案内人は、どこからともなく出現させた椅子に腰掛け、足を組んだ。


「さて、ガリレオ君。君は死んだ。感想は? どんな気分だい?」

「不愉快だ。計算式が美しくない」


 ガリレオは即答し、案内人を睨みつけた。


「私は仮説を立てていた。肉体という物質的な器を捨て、純粋なエネルギー体としての魂になれば、物理法則の束縛から解放され、次元の壁を超えられるはずだと」

「ほう?」

「質量を持つ物体が光速を超えるには無限大のエネルギーが必要だ。だが、質量ゼロの魂ならば、理論上は可能だ。……単刀直入に聞こう。私は今、異世界への渡航資格を得たのかね?」


 生前、彼が渇望した異界への到達。

 死とは、彼にとって終わりではなく、次元跳躍のための最終プロセスに過ぎなかった。


「無理だね」


 案内人はあっさりと否定した。


「君にその資格はない」

「資格? ……ふん、徳を積めとでも言うのか? あるいは、前世で理不尽な死を遂げた悲劇の主人公でなければならないと?」


 ガリレオは冷笑した。


「そんな感情的な基準パラメータで、魂の還流システムが動いているとは思えんがね」

「いい線いってるけど、物理的にも間違っているよ」


 案内人は指を振った。


「君は『魂』を単なるエネルギーの塊だと思っているだろう? だから質量ゼロだと定義した」

「違うのか?」

「違うね。魂とは『情報』だ。記憶、経験、自我……それら膨大なデータが複雑に絡み合った、高密度の情報構造体だ」


 案内人は空間に数式のような光の羅列を浮かべた。


「情報は質量を持つ。エントロピーの法則だよ。君の魂は、君が積み上げた知識と執着の分だけ重い。その重さが、君をこの世界の重力圏に縛り付けている。次元の壁を抜けるには、君は『重すぎる』んだ」


 ガリレオは眉をひそめた。

 情報の質量。その概念は計算に入れていなかった。


「……ならば、記憶を捨てればいいのか? 『記憶の欠如』が転生者に起こる現象だとしたら、それは次元移動のための軽量化プロセスということか?」

「鋭いね。だが、それも半分ハズレだ」


 案内人はクスクスと笑った。


「君は『記憶の消失』を、どう定義している?」

「世界による異物排除だ。あるいは、情報の拡散現象。異なるOSにデータを移植した際に起こる、互換性の欠如によるデータの破損」

「君らしい解釈だ。だが、正解は『転送』だよ」


 案内人は手をかざした。

 光の中に、水が流れるような映像が浮かぶ。


「記憶は消えているんじゃない。『還流』しているんだ」

「……」

「転生者の記憶は、この世界という仮の器から、本来あるべき『時間軸』と『座標』へ向かって吸い出されている」


 ガリレオの思考が高速回転する。

 記憶が消えるのではない。移動している?

 ならば、あの少女――コレットの記憶喪失は、劣化ではなく、何らかの目的を持ったデータのアップロードだというのか。


「……待て。ならば記憶とは、魂を固定する『楔』ではなく、魂を導く『羅針盤』なのか?」

「その両方さ。記憶があるうちは、魂はこの世界に留まる。だが、記憶が全て転送されれば、魂はアンカーを失い、羅針盤に従って元の世界へ――あるいは、再構築された過去へ飛んでいく」


 案内人はガリレオの顔を覗き込んだ。


「君にはそれがない。君の魂には、異界へと繋がるパスも、君を呼ぶ『引力』も存在しない。だから、君はどこへも行けない」


 論理的な詰み。

 ガリレオは沈黙した。彼の理論は、根本的な前提条件を間違えていたのだ。


「……では、私はどうなる?」


 ガリレオは問うた。

 転生も、異界への到達も不可能ならば、この意識の行き先はどこだ。


「どうにもならないよ」


 案内人は肩をすくめた。


「地獄の窯で焼かれるなんてのは、人間が作った御伽噺さ。……あるのは、ただ『無』だけだ」


 案内人が指を鳴らすと、白い空間の端が崩れ落ち、漆黒の虚無が顔を覗かせた。

 吸い込まれれば、意識も、自我も、存在したという事実さえも分解される、エントロピーの極致。


「君の魂は、あそこで解体されて、ただのマナの素粒子に戻る。……リサイクルだよ。宇宙の総熱量を維持するためのね」

「……そうか」


 ガリレオは、意外なほど素直に納得した。

 因果応報。自分が他者の命を燃料として消費したように、自分もまた世界の燃料として消費される。

 実に合理的で、無駄のないシステムだ。


「……一つ聞きたい。私の死因は何だ? あの男――カインの攻撃か?」


 最後の記憶は、圧倒的な魔力の奔流に吹き飛ばされたところだ。

 あれほどの出力なら、即死してもおかしくない。


「いいや。君へのトドメは、彼らの攻撃じゃないよ」


 案内人はあっさりと否定した。


「あの男は、君を殺さないように極限まで手加減していた。もし彼が本気を出していれば、君なんて肉片すら残らず、魂ごと消し炭になっていたよ」

「……なんだと?」

「君は気絶しただけだ。その後、カインたちの通報で駆けつけた衛兵に引き渡され、地下牢に収監された」


 案内人は淡々と告げた。


「君の死因は『老衰』だ。数日後、独房の中で寿命が尽きて死んだ」

「老衰……? 馬鹿な、私はまだ……」

「肉体年齢はね。でも、君の魂と生命力は、禁忌の研究と実験の代償ですっからかんだった。カインたちが来なくても、どのみち君は数日中に死んでいたんだよ」


 ガリレオは絶句した。

 賢者の石。不老不死。異界への到達。

 その全てが、最初から手の届かない場所にあったのだ。

 カインたちに邪魔されようがされまいが、彼には「時間」そのものが残されていなかった。

 天才を自称しながら、自身の寿命計算さえ間違えていた滑稽さ。


「……ク、ハハッ……!」


 ガリレオは乾いた笑いを漏らした。

 完敗だ。力でも、知恵でも、そして運命にさえも負けた。


「……ならば、なぜ私と話している?」


 ガリレオは最後に問うた。ただ消すだけなら、こんな対話は不要だろう。


「ただの暇つぶし」


 案内人は笑った。


「君みたいに理屈っぽい魂は久しぶりだったからね。少し、お喋りがしたかっただけさ」

「……ふん。酔狂な管理者だ」


 ガリレオの足元が崩れ始めた。

 虚無が彼を飲み込もうとしている。

 恐怖はない。あるのは、解けなかった数式への未練と、世界の理に触れた知的充足感だけ。


「……じゃあ、暇つぶしのお礼に、一つだけ『正解』を教えてあげよう」


 消えゆくガリレオの耳元で、案内人が囁いた。

 彼が解き明かせなかった、転生の最大の謎。


「転生者はね……『自分を必要としている誰かを救うために』転生してくるんだよ」

「……は?」


 ガリレオが目を見開く。


「徳でも、運でも、ランダムな確率変動でもない。ただ、呼ぶ声があるから、応える。救うべき誰かがいる世界にだけ、魂は渡ることができる」


 案内人は、遠くを見つめるように言った。


「あの娘も、あの剣士も。……そして、それ以外の転生者たちも。みんな、誰かの『祈り』に導かれて、時を超えたんだ」


 ガリレオの思考が、高速で回転する。

 誰かを救うため。

 それが、転生の条件パラメーター。

 ならば、自分にはその資格がなかった。誰からも呼ばれず、誰のことも救おうとしなかった自分には、渡るべき世界など最初から存在しなかったのだ。


「……感情論か。……ハ、ハハッ……!」


 ガリレオは笑った。

 虚無に飲まれながら、高らかに笑った。


「なんと……非論理的で、美しいシステムだ……!」


 計算外。愛や祈りという名の変数。

 それを理解できなかったことが、自分の敗因か。

 天才の最期は、皮肉な哄笑と共に、永遠の闇へと溶けていった。


 残された白い空間で、案内人は一人、呟いた。


「さて。……次はどんな物語が見られるかな」


 彼は、地上で続く旅路を、楽しげに見下ろしていた。

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