71話 行ってらっしゃい
「……行こう」
カインはガリレオから視線を外し、部屋の中央にあるコンソールへと向かった。
そこには、ガリレオが解析しようとしていた『大賢者のオリジナルデータ』が残されているはずだ。
「これか」
古びた石板と、それを解析した膨大な羊皮紙の束。
そこには、大賢者が提唱した「魂の構造」と、ジークが残したと思われる「追記」が記されていた。
『還流を止めるには、新たな記憶を楔として打ち込むしかない』
『だが、それは一時しのぎだ。根本的な解決には、魂の源流に触れる必要がある』
「……源流」
カインは羊皮紙を束ね、懐にしまった。
ジークは、ここからさらに先へ進んだのだ。魂の源流。
転生者たちがやってきた場所、あるいは還っていく場所。
それを探すために、彼は旅を続けている。
「目的は達した。帰るぞ」
カインは短く告げ、背を向けた。
これ以上、ここに用はない。
だが、ガリレオが残した言葉と、ジークの記録は、カインたちに新たな道を示していた。
『還流』と『源流』。
その言葉の意味を、カインたちは後に知ることになる。
「うん! お腹ペコペコだよ〜。肉食いたい。肉」
「今日の夕飯はなんだろうねリザちゃん」
リザとコレットが駆け寄ってくる。
最高に誇らしげな笑顔が二つ咲き誇る。
◇
朝日が昇る頃、三人は研究所へ戻った。
玄関の扉を開けると、そこには仁王立ちしたセレーナと、心配そうなヴィクターが待っていた。
「……遅い」
セレーナが腕を組み、不機嫌そうに告げた。
だが、その瞳は三人の無事を確認し、安堵に揺れている。
「これでも急いだ方だ。それと、土産だ」
カインは懐から、第零区画で回収した羊皮紙の束と、古代文字が刻まれた石板の一部をテーブルに広げた。
ガリレオが隠し持っていた、大賢者のオリジナルデータだ。
「これは……!」
ヴィクターが飛びついた。
眼鏡を光らせ、震える手で石板を撫で回す。
「失われたと思われていた『魂の構造論』の原本……。それに、この書き込みはジーク君のものですね」
ヴィクターは食い入るように解読を始めた。
リビングに静寂が落ちる。
コレットはリザと共にソファに沈み込み、泥のように眠ってしまった。
緊張の糸が切れたのだろう。
カインはコーヒーを啜りながら、窓の外を眺めていた。
一刻ほどが過ぎた。
ヴィクターが顔を上げ、重々しく口を開いた。
「……分かりました。ジーク君が目指した場所が」
「どこだ?」
「『最果ての岬』。この大陸の北端、常に嵐が吹き荒れる未踏の地です」
ヴィクターは地図を広げ、北の端を指差した。
「この石板には、魂が巡る『海流』の記述があります。全ての魂はそこから来て、そこへ還る。転生者がこの世界に現れる際の『入り口』であり、記憶が還っていく『出口』でもある場所」
「源流、か」
カインは呟いた。
ジークのメモにあった言葉。還流を止めるには、源流に触れる必要がある。
「さらに、興味深い記述があります」
ヴィクターは石板の隅を指した。
「ここには、『境界を越えるための船』と、『それを守る試練』について記されています。もしコレットさんの記憶が何処かへ送られているのなら、その場所へ物理的に干渉する手段が、そこにあるかもしれません」
希望であり、同時に最大の難所。だが、行くしかない。
「準備ができ次第、発つ」
カインは地図を見つめ、決断した。
「待て」
セレーナが口を挟んだ。
彼女は眠っているコレットたちを一瞥し、声を潜めた。
「カイン。お前、本当に行く気か? 『最果ての岬』だぞ。生きて帰った者のいない魔境だ。今のコレットたちを連れて行くには危険すぎる」
「……置いていけと言うのか」
「そうだ。ここに置いていけば、私が守ってやる。記憶が消えたとしても、幸せに暮らせるように面倒を見てやる」
セレーナは真剣だった。
彼女なりの優しさだ。
危険な旅に連れ回すより、安全な場所で穏やかな余生を送らせる方が、コレットのためかもしれない。
カインは沈黙した。
そして、眠るコレットの寝顔を見た。
安らかな顔。
だが、その手は無意識に胸元のアズライトの栞を握りしめている。
忘れたくない、と抗うように。
「……断る」
カインは静かに言った。
「あいつは選んだ。最後まで足掻くと決めたんだ。俺がそれを奪う権利はない」
「……頑固者が」
セレーナは溜息を吐き、肩をすくめた。
「なら、これを持っていけ」
セレーナは懐から、一冊の手帳を取り出した。
彼女が独自にまとめた、魔力制御の応用理論と、医療魔法のレシピがびっしりと書き込まれている。
「私の秘伝だ。移動中にコレットに叩き込んでやれ。……向こうに着く頃には、一人前の魔女にしておくんだな」
「ああ。善処する」
カインは手帳を受け取った。
ずしりと重い。そこには、戦友からの信頼と期待が詰まっていた。
◇
数日後。
カインたちは学術都市の北門に立っていた。
見送りはない。別れは前夜に済ませた。湿っぽいのは互いに柄ではないからだ。
「行くぞ」
「はい!」
「おー!!」
コレットとリザが元気に返事をする。
二人の装備は一新されていた。セレーナが見繕った、対環境用の魔導コート。
そしてコレットの胸元には、青く輝くアズライトの栞。
歩き出す直前、コレットは一度だけ立ち止まり、振り返った。
視線の先にあるのは、丘の上に建つセレーナの研究所。
彼女はその窓を真っ直ぐ見つめ、深く、深く頭を下げた。
言葉はない。だが、その姿勢だけで十分だった。
感謝と、再会の誓い。
カインは何も言わず、前を向いた。
目指すは北。最果ての地。
咎人と二人の少女は、荒野へと足を踏み出した。
◇
研究所の二階。
カーテンの隙間から、遠ざかる三つの影を見つめるセレーナの姿があった。
「……行っちゃったね」
背後から、ヴィクターが声をかけた。
「今ならまだ、彼らに追いつけるよ? いいのかい? 追わなくて。キミが共に行きたいのなら、行くべきだよ」
セレーナは振り返らない。
窓ガラスに映る自分の顔は、いつもの強気な魔女の顔ではなかった。
「……いいの……」
ポツリと、呟く。その声は震えていた。
「あの子は……私がいなくても、もうカインと肩を並べて戦えるから。ただ……ただ少し、寂しいだけ」
セレーナは振り返り、ヴィクターの胸に顔を埋めた。
その瞳から、透明な雫が溢れる。
師として、友として、そして姉のような気持ちで愛した少女との別れ。
「……君は本当に、愛情深い人だ」
ヴィクターは微笑み、セレーナの赤い髪を優しく撫でた。
「……また、会いたい」
セレーナは鼻をすすり、顔を上げた。
「次会うときは……きっと、私よりも凄い魔女になってる気がする。……ううん、あの子なら、きっとそうなれるって思うんだ」
涙で濡れた瞳が、誇らしげに輝く。
「だって……私の一番弟子だもん!」
セレーナが屈託のない笑顔を見せる。
「そうだね。君が認めた弟子だ」
ヴィクターが頷いた時、廊下からバタバタという足音が響いた。
「ママー!!」
勢いよく扉が開き、アイシャが飛び込んでくる。
そして、抱き合っている両親を見て、ニヤニヤと笑った。
「あー。ママまたパパとイチャイチャしてるー」
「……ッ! こら、アイシャ!」
セレーナは慌ててヴィクターから離れ、涙を拭った。
咳払いをして、笑みを浮かべる。
「ふふ。おはよ、アイシャ」
「あれ? しゃべり方いつものに戻ったの?」
アイシャが首を傾げる。
セレーナは屈み込み、娘を抱き上げた。
「ふふ。そっ。それとも、アイシャはやっぱり、強いママの方がいいか?」
「ううん! どっちも好きだけど、やっぱりそっちの可愛いママが好き!」
アイシャが抱きつき、セレーナの首に頬擦りする。
セレーナは愛おしそうに目を細め、アイシャの頬にキスをした。
「……よし! 朝ごはんにしよっか! ママ、頑張ってパンケーキ作っちゃうぞ!」
「ママが作ると黒焦げで苦いからパパやってー」
「えー……」
あんぐりと口を開けるセレーナをよそ目に、アイシャがヴィクターの手を引いてキッチンへ行く。
セレーナは窓の外を一瞥した。
もう、カインたちの姿は見えない。
だが、その空はどこまでも続いている。
(コレット……行ってらっしゃい)
心の中で呟き、紅蓮の魔女は日常へと戻っていった。




