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【完結】咎人とアズライト〜国を捨てた魔法士は、記憶を失う転生者と旅をする〜  作者: 文月ナオ
第四章 魂の追求者

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65話 魂の定義

 リビングの窓ガラスは応急処置で塞がれ、割れた食器や散乱した家具も片付けられていた。

 ヴィクターが淹れたコーヒーの香りが、少しだけ殺伐とした空気を和らげている。


「アイシャは寝かしつけてきた。……エレマンジャロか。程よく甘みのあるいい香りだ」

「キミ、この豆が好きだからね。さあ、座って」


 カイン、コレット、セレーナ、リザ、そしてヴィクター。

 全員がテーブルを囲み、沈痛な面持ちで座っていた。


「……まずは、状況の整理だ」


 カインが口を開いた。

 彼は懐から一冊のノートを取り出し、テーブルに置いた。

 地下の実験場で見つけた、大賢者の研究日誌だ。


「第零区画の最深部には、これがあった。そして、その余白にはジークの書き込みがあった」


 カインは該当のページを開いた。


『魂を器に縛り付ける最強の楔。それは、本人が積み重ねてきた記憶だ』


 その言葉を読み上げると、コレットが息を飲んだ。


「記憶が、楔?」

「ああ。ジークはそう結論づけている。転生者の記憶が消えるのは、世界が異物を排除しようとする圧力に耐えきれず、魂を繋ぎ止めるアンカーが外れていく現象だとな」


 カインはコレットの目を見て、続けた。


「楔が外れれば、魂は肉体という器に留まることができない。……ジークは、その先にある『消滅』を危惧していた」

「……少し、お待ちください」


 ヴィクターが手を挙げた。彼は眼鏡の位置を直し、学者としての冷静な見解を口にした。


「カイン君の懸念は分かります。ですが、歴史的な記録を見る限り、記憶を失った転生者が『肉体的に死亡した』という例は極めて少ないのです」


 ヴィクターは本棚から一冊の資料を取り出した。


「大賢者様も晩年は記憶を失いましたが、その後もこの街で穏やかに暮らし、天寿を全うされました。他の転生者の記録も同様です。……彼らは記憶を失った後、この世界の住人として『適応』し、生きています」


 ヴィクターの言葉に、コレットの表情が僅かに明るくなる。

 死ぬわけではない。ただ、忘れるだけ。

 それなら、カインがそこまで焦る必要はないのではないか?


「……俺もそう思っていた」


 カインは低い声で言った。


「だが、ジークのメモにはこうもあった。『時間がねえ』とな。……もし、単にこの世界の住人になるだけなら、あいつがそこまで焦る必要はないはずだ」


 カインはノートを指で叩いた。


「大賢者は本当に『大賢者』のまま死んだのか? ……記憶を失った後、そこにいたのは、本当に『元の魂』だったのか?」


 場の空気が凍りついた。

 肉体は生きている。だが、中身が別人に入れ替わっていたとしたら?

 あるいは、魂が霧散し、残ったのはただの「生体反応を示す肉人形」に、新しい真っ白な人格が宿っただけだとしたら?


「……カイン、お前」


 セレーナが息を飲んだ。


「魂の漂白……人格の死、か」

「可能性の話だ。だが、ジークがあれほど必死に『魂の定着』を探していた以上、あいつは何らかの確証を持っていたはずだ」


 カインはコレットを見た。


「コレットの魔力は規格外だ。魂の結びつきが不安定だからこそ、あれだけの力が漏れ出している。……もし楔が完全に外れれば、普通の転生者よりも深刻な崩壊が起きてもおかしくない」


 沈黙が落ちる。

 ジークの切迫したメモは、ただの警告ではない。「最悪の事態」を示唆する警鐘。


「……怖いです」


 コレットが身を震わせた。

 死ぬことよりも、自分が自分でなくなってしまうことへの根源的な恐怖。


「大丈夫だ。俺たちが止める」


 カインは力強く断言した。


「方法はあるはずだ。ジークが第零区画を目指した理由。そこに、魂を繋ぎ止めるヒントがある」


 絶望的な推論。だが、それが彼らを結束させた。

 コレットを守る。その一点において、全員の意志が固まる。


「……なるほどな」


 セレーナが腕を組み、不愉快そうに眉をひそめた。


「だとすれば、奴らがコレットを狙う理由も合点がいく。……『賢者の石』だ」

「賢者の石?」

「ああ。オダイ・ジニでバルザックが作ろうとしていた、不老不死の秘薬だ」


 バルザックの名が出た瞬間、場の空気がさらに冷えた。


「バルザックは『量』でそれを成そうとして失敗した。だが、今回の敵――ガリレオのアプローチは違う」


 セレーナはコレットを指差した。


「奴は『質』を求めている。この世界の理に縛られない、異界の魂。それも、世界を渡るほどの強度を持った高純度の魂を」


 コレットの顔から血の気が引く。自分は、ただの人間ではない。彼らにとっては、希少な素材でしかないのだ。


「バルザックは三流だったが、ガリレオは違う。あいつはアカデミーの異端児にして天才だ。……コレットを捕まえれば、本当に『石』を完成させかねん」

「最悪じゃん」


 リザが吐き捨てた。


「つまり、あいつらは諦めないってこと? コレットを捕まえるまで、何度でも襲ってくるの?」

「だろうな」


 カインは淡々と肯定した。

 敵の本拠地は地下深くだ。こちらが地上にいる限り、いつどこから襲撃されるか分からない。守り続けるのはジリ貧だ。


「……なら、やることは一つだ」


 カインが立ち上がった。

 その瞳には、揺るぎない決意の光が宿っていた。


「こちらから打って出る。ガリレオの本拠地――第零区画を叩き潰す」

「私も行くよ! 魔視もだいぶ戻ってきたし、案内なら任せて!」


 リザが拳を突き上げる。

 全員の視線が、最後にコレットに集まった。

 彼女は狙われる当事者だ。隠れているのが一番安全かもしれない。

 だが、コレットは胸元のアズライトの栞を強く握りしめ、顔を上げた。


「……私も、戦います。」


 その瞳は、かつてないほど強く輝いていた。

 魂が消えるかもしれない恐怖。利用される恐怖。

 それらを飲み込み、彼女は前へ進むことを選んだ。


「……いい面構えだ」


 カインは口元を緩め、コレットの頭をポンと叩いた。


「決まりだ。明朝、第零区画へ突入する」


 目的は二つ。

 ガリレオの野望を阻止すること。

 そして、ジークが残した「記憶と魂」の研究の全貌を掴み、コレットを救う手立てを見つけること。

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