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【完結】咎人とアズライト〜国を捨てた魔法士は、記憶を失う転生者と旅をする〜  作者: 文月ナオ
第一章 咎人と転生者

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5話 宿場町 リベ

 森を抜け、街道を半日ほど歩いた先に、石造りの防壁が見えてきた。

 国境沿いの宿場町、リベ。

 物流の中継地点であり、多くの旅人や商人が行き交う雑多な街だ。


「……フードを深めにかぶれ。顔を上げるなよ」


 カインの低い指示に、コレットは無言で頷き、外套のフードを目深に被り直した。

 胸元の「アズライトの栞」を、服の上からぎゅっと握りしめる。

 魔力制御の訓練は続けているが、人混みはまだ危険だ。何が引き金になり、感情が昂るかわからない。そうなれば魔力の制御が乱れ、魔獣のみならず「悪い人間」を引き寄せかねない。


 防壁の門には、気だるげな衛兵が二人立っていた。通行税を徴収し、不審者を弾くのが彼らの仕事だ。

 見るからに目つきの悪い男と、顔を隠した小柄な娘。どう見ても怪しい組み合わせだが、カインは堂々と歩み寄った。


「止まれ。身分証は」


 槍を突き出してきた衛兵に、カインは懐から一枚の銀色のプレートを取り出して見せた。魔術ギルドの発行するランク証だ。ただし、偽名である。


「……ランクBか。連れは?」

「身内の娘だ。流行り病で口がきけん」


 カインは平然と嘘をつき、革袋から銀貨を二枚弾いた。コインが空中で弧を描き、衛兵の胸元へ吸い込まれる。

 通行税にしては多すぎる額だ。衛兵はニヤリと口角を上げ、大袈裟に道を空けた。


「ご苦労。通りな」


 詮索は終わりだ。金で買える安っぽい信用。

 門をくぐり抜けた先には、喧騒と熱気が渦巻いていた。

 馬車の車輪が石畳を叩く音。商人たちの呼び込み。鉄板で焼かれる肉の脂っこい匂いと、家畜の糞尿の臭いが混ざり合った、人間社会特有の空気。


「……っ」


 コレットが僅かに呻き、カインの背中に隠れるように身を寄せた。

 静かな森にある村での生活しか知らなかった彼女にとって、この圧倒的な情報の奔流は暴力に近いのだろう。

 すれ違う男たちが、ジロジロとコレットを見ている。外套で隠しきれない華奢な肢体や、異質な雰囲気を感じ取っているのだ。


「離れるなよ」


 カインは短く告げ、人混みを縫うように歩き出した。その歩調は、森の中よりも意図的に落とされている。


「あ……」


 コレットの足が止まった。

 視線の先にあるのは、古びた雑貨屋の軒先だ。色とりどりの果物や、安っぽい装飾品が並んでいる。

 だが、彼女が見ていたのは商品ではない。店の奥にある鏡に映った、自分自身の姿だった。

 薄汚れた服。疲れ切った顔。そして、首から下げた青い結晶。


「……欲しいものでもあるのか」


 カインが足を止め、振り返る。コレットはハッとして首を振った。


「い、いいえ。何でもありません」

「そうか。……なら、こっちだ」


 カインはコレットの腕を引かず、ただ顎で方向を示した。

 連れて行かれたのは、路地裏にある革細工の店だった。店主の爺が、気難しそうに革をなめしている。


「丈夫なブーツをくれ。こいつのサイズだ」


 カインがコレットの足を指差した。

 彼女が履いているのは、底のすり減った粗末な布靴だ。これでは街道の砂利道で足を痛める。

 コレットは驚いてカインを見上げた。


「えっ……カインさん、そんな……」

「必要経費だ。足が潰れたら俺が背負う羽目になる。それは御免だ」


 カインは憎まれ口を叩きながら、棚から丈夫そうな革ブーツを選び取った。機能性重視の、武骨なデザインだ。


「履いてみろ」


 言われるがままに足を通す。革は硬いが、足首をしっかりと固定してくれる安心感がある。これなら、長く歩いても疲れにくいだろう。


「ぴったりです」

「よし。これを貰う」


 カインは代金を支払い、古い靴はその場で捨てさせた。

 店を出ると、コレットは新しいブーツの感触を確かめるように、石畳をコツコツと踏みしめた。


「……ありがとうございます。その、後で必ずお返ししますから」

「返す当てがあるのか」

「それは……今はないですけど……」


 言葉に詰まるコレットに、カインは溜息交じりに言った。


「借りは増えるものだ。いちいち気にするな」


 そう言って歩き出すカインの背中は、やはり大きくて、どこか遠い。

 けれど、足元の新しい靴が、彼との繋がりを確かに感じさせてくれた。


 ◇


 宿は、表通りから一本入った場所にある『黒猫亭』を選んだ。

 一階が酒場で、二階が客室になっている安宿だ。部屋は二つ取った。隣同士だ。


「休め。食事は部屋に運ばせる」


 鍵を渡され、コレットは自室に入った。

 木のベッドと小さな机だけの簡素な部屋。だが、屋根と壁があるというだけで、張り詰めていた緊張が糸を切ったように解けていく。


(……私、生きてる)


 ベッドに倒れ込み、天井を見上げる。

 泥のように重い疲労が、意識を深く沈めていった。


 柔らかい光が差し込んでいた。

 ふかふかの天蓋付きベッド。最高級の羽毛布団。窓の外には、広大な庭園が広がっている。

 そこには、あのアズライトによく似た青い花が一面に咲き乱れ、風に揺れていた。


(ああ……朝だわ)


 コレットは身を起こした。

 ここは私の部屋。ミオソティス王国の王女の部屋。あの森での出来事は、すべて悪い夢だったのだ。


「おはよう!」

「おはようございます、姉様」


 扉が開き、駆け寄ってくる二つの影があった。

 活発そうな少し年上の男の子と、おっとりとした女の子。私の兄と妹。

 ……あれ?

 彼らの顔を見ようとするが、なぜか焦点が合わない。まるで白い霧が掛かっているように、目鼻立ちがぼやけている。


「……おはよう」


 名前を呼ぼうとして、喉が詰まった。

 名前が出てこない。あんなに毎日呼んでいたのに。私の大切な家族なのに。


「どうしたんだい? 顔色が悪いよ」


 心配そうに覗き込んでくる、背の高い男性。父様だ。その隣には、優しく微笑む母様もいる。

 懐かしい。会いたかった。

 二人に抱きつきたくて手を伸ばす。けれど、その顔もまた、のっぺらぼうのように白く塗りつぶされていた。


(――誰?)


 恐怖が背筋を駆け上がる。

 父様だという知識はある。母様だという感情もある。

 なのに、その「顔」と「名前」という情報だけが、綺麗に削り取られている。


「さあ、朝食に行こう。――」


 父様が私の名前を呼んだ。けれど、その音はノイズのように掠れて聞こえない。


(私の名前……何だっけ?)


 コレット。いいえ、それは今の名前。あっちの世界での名前。

 私の本当の名前は? この国で、父様たちに愛されて呼ばれていた私の名前は?


 思い出せない。

 自分が誰なのか分からない。

 ここは私の部屋なのに。私の家族なのに。

 まるで他人の人生を、劇場の客席から眺めているような、絶対的な断絶。


「待って……行かないで……!」


 叫ぼうとしても声が出ない。

 霧が濃くなる。家族の姿が、庭園の青い花畑に溶けるように遠ざかっていく。

 置いていかれる。私という存在が、世界から消えていく――。


「……ぁ、あぁ……ッ!!」


 コレットは弾かれたように目を覚ました。

 叫んだはずの声は掠れ、代わりに荒い息だけが喉を灼く。全身が嫌な汗で濡れていた。


「……夢……」


 心臓が早鐘を打っている。恐怖で震えが止まらない。

 その時、自分の左手が、誰かの大きく温かい手に包まれていることに気がついた。


「……っ!?」


 驚いて顔を向ける。

 ベッドの脇に、丸椅子を引き寄せて座っている男がいた。

 不機嫌そうに眉を寄せた、カインだった。


「カ、カイン、さん……?」

「……やっと起きたか」


 カインは溜息を吐き、握っていた手を離した。

 その手から伝わっていた温もりが消え、コレットは得も言われぬ不安に襲われた。


「ど、どうしてここに……」

「感情を制御しろと言っただろう。寝ている間に魔力が暴れていたぞ。おかげで起こされた」


 カインは顎で部屋の隅をしゃくった。

 そこには、薄っすらと青白い燐光が漂っていた。

 コレットの魔力が無意識に放出され、室内のマナと反応して発光現象を起こしていたのだ。

 もしカインが来て抑え込まなければ、宿ごと魔獣に襲われていたかもしれない。


「す、すみません……。私、怖い夢を見て……」

「……」


 カインは何も言わず、サイドテーブルに置いてあったグラスに水を注ぎ、コレットに手渡す。

 コレットはそれを受け取り、震える手で一口飲んだ。冷たい水が、高ぶった神経を少しだけ鎮めてくれる。


「落ち着いたか」

「は、はい……。あの、ずっと手を、握ってくれていたんですか……?」

「魔力の出口を塞いでいただけだ。物理的な接触が一番手っ取り早い」


 カインはそっけなく答え、立ち上がった。

 だが、その声音にはいつもの刺々しさはなく、どこか気まずげな響きがあった。

 彼は部屋の出口へと向かう。


「まだ夜明け前だ。二度寝するなら、次は静かに寝ろ」

「……はい。ありがとうございます、カインさん」


 扉が閉まる。

 部屋に静寂が戻った。

 だが、先ほどまでの絶対的な孤独感は、もうない。左手には、まだカインの手の熱が微かに残っていた。


 コレットは枕元の「アズライトの栞」を手に取り、胸に抱きしめた。

 夢の中で見た青い花。そして、今ここにある青い結晶。

 過去は消えていくかもしれない。けれど、今は確かにここに誰かがいてくれる。


(忘れたくない……。忘れたく、ないよ……)


 それでも溢れそうになる涙を堪え、コレットは栞を握りしめた。

 隣の部屋から聞こえるカインの足音が、この世界で唯一の、確かな道標だった。


 ◇


 夜明け前の、薄暗い路地裏。

 宿屋『黒猫亭』の二階を見上げる、一つの影があった。

 橙色の髪をツインテールに結った、小柄な少女だ。

 彼女は猫のように軽やかな身のこなしで屋根の庇に飛び乗ると、コレットたちが泊まる部屋の窓をじっと見つめた。


「……な〜んか、今の魔力妙な感じ」


 少女は飴玉を転がすように呟いた。

 その声は鈴のように可愛らしいが、細められた瞳の奥には、能天気な声音とは裏腹の、鋭い観察者の光が宿っていた。

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