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【完結】咎人とアズライト〜国を捨てた魔法士は、記憶を失う転生者と旅をする〜  作者: 文月ナオ
第四章 魂の追求者

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57話 知識の海

「……これが、大図書館か」


 カインは首が痛くなるほど高い天井を見上げた。

 学術都市アレクサンドラの中央に鎮座する――「知識の塔」。

 その内部は、壁一面が螺旋状の本棚になっており、数え切れないほどの書物が収められている。

 空気中に漂うのは、紙とインク、そして防腐剤に使われる魔法薬の独特な香り。


「世界中のありとあらゆる本が、ここに集まっています」


 案内役のヴィクターが、誇らしげに眼鏡の位置を直した。


「歴史、魔法、科学、哲学……。探せない知識はないと言われる場所です」


 ヴィクターは塔の深層、一般閲覧禁止の「特別書庫」へと一行を案内した。

 そこは、歴史の闇に葬られた禁書や、解読不能な古代語の文献が眠る場所だ。

 カインは興味なさげに棚を眺めていたが、ふと一冊の古びた本に目が留まった。


 背表紙に刻まれた文字。

 この世界の言語ではない。

 四角い文字と、記号のような羅列。

 かつてジークが酒の席で書いてみせた、「ニホン」という国の文字に酷似していた。


 カインはその本を手に取り、ページを捲った。

 読めない。

 だが、挿絵にある奇妙な機械や、独特の衣服は、明らかに異質の文化を感じさせる。


「……転生者……?」


 思わず、小さな声で呟いた。

 その小さな呟きを、ヴィクターは聞き逃さなかった。

 彼は足を止め、驚いたようにカインを振り返った。


「……カイン君。今、なんと?」


 カインはハッとする。


「『転生者』と……そう言いましたか? その言葉を、知っているのですか?」


 ヴィクターの声には、学者としての純粋な驚きと、隠しきれない興奮が混じっていた。

 カインは本を閉じ、ヴィクターの目を見た。


「……知っていると言ったら?」

「……信じられない。その言葉は、一部の古代語研究者の間でしか知られていない、仮説上の概念です」


 ヴィクターは興奮を抑えるように深呼吸をし、眼鏡を押し上げた。


「私の専門は古代言語ですが、そのルーツを辿ると、どうしても『異界からの来訪者』の存在に行き当たるのです。彼らは歴史の節目に現れ、常識外れの知識で世界を変革した」


 ヴィクターは周囲の棚を指し示した。


「この区画にある本の多くは、そうした異邦人たちが遺したものです。彼らがもたらした知識……例えば『スイドー』や『温泉』、『ヤクヒン』の概念。それらは、この世界の発展速度を遥かに超えていた」

「……大賢者か」

「ええ。私は、あの大賢者もまた、転生者だったのではないかと推測しています」


 ヴィクターの声には、学者としての純粋な敬意があった。


「彼らは唐突に現れ、世界に『色』を与え、そして風のように去っていく。……まるで、物語の登場人物のようにね。私は長年、彼らがどこから来てどこへ去ったのかを研究してきた」


 ヴィクターは懐かしむように本棚を見上げた。


「妻にも話したことがありますが、彼女は……肯定も否定もせず、ただ寂しそうな顔をして黙り込んでしまいました。……もしかしたら、彼女も何かを知っていたのかもしれません」


(……だろうな)


 カインは内心で納得した。

 セレーナはジークから何かを聞いていたはずだ。

 転生者とは直接言われていないかもしれないが、それに近いことは会話の中でポロポロと話していたはずだ。

 だが、セレーナは友人の秘密をベラベラと喋るような女ではない。

 ヴィクターもまた、妻の沈黙の裏にある「重み」を察し、それ以上踏み込まなかったのだろう。

 いい夫婦だ。


「……キミは、彼らについて何か知っているのですね? ただの伝承としてではなく……もっと、個人的な体験として」


 カインは沈黙した。

 この男は、本気だ。単なる好奇心ではない。生涯をかけて真理を追い求める、求道者の目だ。

 セレーナが伴侶に選んだ男。

 その器量を、カインは信じることにした。


「……ああ。俺の古い友人がそうだった」


 カインは静かに告げた。


「マナを持たず、だが誰よりも強かった男だ。あいつは言っていた。『俺はニホンから来た』とな」

「なんと……!」


 ヴィクターは絶句し、眼鏡をずり上げ直した。


「実在したとは……! やはり私の仮説は間違っていなかった……」


 ヴィクターは震える手でメモを取り出し、何かを書き留めようとしたが、すぐに手を止めた。


「……失礼しました。学者としての興奮が先走ってしまいましたね。……それで、そのご友人は?」

「行方知れずだ。……だが」


 カインは、離れた場所で本を眺めているコレットを見やった。


「連れのコレットもだ。あいつも、別の世界から来たと言っている」


 ヴィクターは驚きに目を見開き、そして痛ましげに顔を歪めた。


「……そうですか。彼女も」


 ヴィクターの声色が、興奮から悲哀へと変わる。

 彼は知っているのだ。異界の魂が、この世界でどのような結末を辿るのかを。


「……キミは、転生者に起こる『記憶の忘却』について知っていますか?」

「ああ。コレットも、出会った頃からすでに忘れ始めていた」


 カインは頷いた。

 彼女は自分の国の名前すら、もう思い出せないかもしれない。


「ヴィクター。その進行を止める方法はないのか」

「……残念ながら、見つかっていません。それは病気ではなく、魂の『適応現象』ですから」


 ヴィクターは重々しく告げた。


「記憶を失う速度には個人差があります。生まれてすぐに忘れる者もいれば、死ぬまで断片を覚えている者もいる。……ですが、一つだけ、共通する『兆候』が報告されています」

「兆候?」

「はい。前世の記憶が完全に消滅する直前……魂の境界が揺らぎ、周囲の親しい人間に記憶が流出する現象が起こります」


 ヴィクターは言葉を選びながら説明した。


「我々はそれを『記憶の共鳴レゾナンス』、あるいは『錯視』と呼んでいます。……カイン君、君は見たことがありませんか? 彼女の記憶を、まるで自分の体験のように」


 カインの心臓が、早鐘を打った。脳裏に蘇る、あの地下霊廟での光景。

 燃える城。冷たい兄の目。絶望する少女。

 あれは夢ではなかった。コレットの記憶が、カインの中に流れ込んできていたのだ。


「……見た」


 カインは呻くように答えた。


「あいつの過去を、俺が追体験した。あいつが忘れているようなことさえも……見た」

「そうですか……」


 ヴィクターは宣告するように告げた。


「それが起きたということは……彼女の魂は、もう『適応』の最終段階に入っています」

「最終段階?」

「前世としての自我を保っていられるのは、長くて数ヶ月。……早ければ、数日です」


 カインは言葉を失った。数日。


「その期間を過ぎれば、彼女の中から『前世の記憶』は完全に消滅します。……彼女は、ただのこの世界の住人となり、かつて自分が何者であったか、どんな人生を歩んできたかを、全て忘れるでしょう」


 それは、コレットが恐れていた「忘却」の完成。

 今の記憶が消えるわけではない。彼女はこれからもコレットとして生きていける。

 だが、「メモリア大陸の王女」としての彼女は、永遠に死ぬのだ。


 カインは拳を握りしめた。

 俺が記憶を預かると言った。

 だが、それは彼女が安心して忘れるための約束だった。

 こんなに早く、強制的に奪われるためのものではない。

 彼女にはまだ、整理すべき過去があるはずだ。


「……猶予はない、ということか」


 カインはコレットの方を見た。彼女はリザと何かを話して笑っている。

 その笑顔の裏にある、悲劇の王女としての記憶。

 それが消えてなくなる日が、すぐそこまで迫っている。

 あんな記憶は忘れてしまった方がいいのかもしれない。

 だが……それを決めるのは自分ではない。

 彼女の記憶は彼女だけのものだ。

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