54話 学術都市 アレクサンドラ
三日間の船旅を終え、一行を乗せた『海原の貴婦人』号は、大陸西岸の巨大な港へと滑り込んだ。
甲板に出たコレットとリザは、潮風に髪をなびかせながら、目の前に広がる光景に息を飲んだ。
「……はえ〜……すっごい」
「街全部がお城みたいです」
二人の視線の先には、白い防壁に囲まれた巨大都市がそびえ立っていた。
学術都市アレクサンドラ。
世界の知識と魔術が集まる、叡智の都。
空を突き刺すように伸びる無数の尖塔。重厚な石造りの校舎や図書館が、幾重にも重なり合って丘を埋め尽くしている。
街全体が、まるで巨大な象牙の彫刻のようだ。
陽光を反射して白く輝くその威容は、荘厳としか言いようがない。
「ようこそ。魔法士たちの聖地へ」
セレーナが背後から声をかけた。
その顔には、我が家に帰ってきたような安堵と、この街の住人としての誇りが浮かんでいる。
「呆けてないで降りるぞ。荷物は持ったか?」
「ああ」
入国審査は、セレーナの顔パスであっさりと通過した。
一歩街に踏み入れた途端、コレットとリザは圧倒された。
石畳の大通りは広く、手入れが行き届いている。行き交う人々は、ローブを纏った魔術師や、書物を抱えた学生たちばかりだ。
どこからか鐘の音が響き、空には使い魔の鳥たちが優雅に舞っている。
「うわぁ……なんか、賢そうな人ばっかりだね」
リザがキョロキョロと周囲を見回す。
路地裏の雑多な空気とは無縁の、整然としたアカデミックな空気。
「ここにある本を全部合わせると、世界中の歴史が分かると言われています。……私、ずっと憧れていたんです」
コレットが瞳を輝かせる。
彼女が愛読していた魔法指南書の多くは、この街で編纂されたものだ。
知識の源流。本の中にしかなかった知識が、形となって目の前にある。
「はしゃぐな。迷子になるぞ」
カインが二人の首根っこを掴んで引き寄せる。
「ここは学者の街だが、同時に世界中から欲深い連中が集まる場所でもある。珍しい術式、禁忌の古文書……知識という名の力に群がる亡者共だ。油断するなよ」
「へぇ、面白そうじゃん! ねえカイン、まずはどこ行くの? 探検?」
リザが目を輝かせる。カインはため息をつき、先頭を歩くセレーナを顎でしゃくった。
「なぜお前はすぐ探検したがる。まずは拠点だ」
「むぅ……」
リザは頬を膨らませる。
一行はメインストリートを抜け、静謐な空気が漂う「上級居住区画」へと向かった。
歴史ある煉瓦造りの屋敷が並ぶ中、セレーナが立ち止まったのは、緑豊かな庭園に囲まれた一軒の館の前だった。
「ここが私の城だ。入れ」
セレーナが門を開ける。
手入れの行き届いた庭には、色とりどりの花が咲き乱れている。館の外観も、古いが磨き上げられており、窓ガラス一つ曇っていない。
「随分と立派だな」
カインが眉をひそめた。
彼の知るセレーナは、研究に没頭すると寝食を忘れ、部屋を書類と実験器具の山にする悪癖があったはずだ。
だが、通された玄関ホールは、塵一つないほど清潔で、飾られた花瓶の花も真新しい。
「思ったより綺麗にしてるんだね」
リザがキョロキョロと見回しながら言った。
「セレーナ様って大雑把なイメージあったから、掃除とか苦手そうだと思ったのに。意外と几帳面?」
「掃除は私はしていない」
セレーナは平然と言った。
「旦那が全てやってくれているからな」
――――全員の時が止まった。
カインが持っていた荷袋を落としそうになり、コレットが目を丸くし、リザが口をぽかんと開けた。
「……は?」
カインが、耳を疑うような声を出した。
「旦那……だと?」
「ああ。私が結婚していて悪いか?」
「い、いや、悪いわけではないが……」
カインは動揺を隠せない。
あの「紅蓮の魔女」が。
戦場を焼き尽くし、恐れられた女が結婚。
しかも、この整頓された家を見る限り、円満な家庭を築いているらしい。
想像の埒外だ。
「せ、セレーナ様の旦那って……どんな仕事してるの? やばい魔獣専門の狩人とか? それとも伝説の傭兵?」
リザが恐る恐る尋ねる。
セレーナの夫が務まる男など、バケモノ以外に考えられない。
「なんのイメージだそれは」
セレーナが呆れる。
「普通の教師だ。アカデミーで古代言語学を教えている。今は仕事に出ているが、夜になれば戻ってくるはずだ」
「きょ、教師……」
コレットが絶句する。
あのセレーナが、普通の教師と、普通の家で暮らしている。
「そ、想像できないかも……」
ドタドタドタッ!
その時、奥の廊下から慌ただしい足音が響いてきた。
「ママー!!」
元気な声と共に、小さな影が飛び出してきた。
セレーナにそっくりな、燃えるような赤髪の少女だ。
彼女はカインたちの存在など目に入らない様子で、一直線にセレーナへと突撃した。
「ただいま、アイシャ」
「ママッ!? アイシャッ!? えっ!? へっ!?」
リザが驚き散らかす。
セレーナが屈み込み、少女を両手で受け止める。
その表情は、カインたちが今まで一度も見たことのないものだった。
眉間の皺が消え、瞳から険しさが抜け落ちている。
そこにいたのは、最強の魔女ではない。
ただの、娘を愛おしむ母の顔だった。
「いい子にしてたか?」
「うん! パパとお留守番してたよ!」
少女――アイシャは、セレーナの首に腕を回して甘えた。
カインは呆然と立ち尽くし、その光景を見つめていた。戦友の、見たことのない幸せな姿。
15年という月日は、確かに流れていたのだ。
「……おい、アトス。口が開いてるぞ」
セレーナがアイシャを抱き上げたまま、ニヤリと笑った。
「紹介する。私の娘、アイシャだ。……驚いたか?」
「……ああ。腰が抜けるかと思った」
カインは頭をガシガシとかいた。
驚きもあった。
だがそれ以上に、胸の奥から温かいものが込み上げてくるのを感じていた。
国を捨て、多くのものを失った自分たち。
だが、彼女はここで、新しい命を育んでいたのだ。
アイシャがジッとカインを見る。
「な、なんだ」
「おじちゃん、目つき悪いね。気を付けた方がいいよ」
「俺への第一声がそれなのか……」




