52話 金色の陽光14
鳥のさえずりが聞こえる。
木の葉が擦れ合う音と、湿った土の匂い。
アトスは重い瞼を開けた。
見慣れない木の天井。
粗末だが、手入れの行き届いた小屋の中だった。
「……起きたか」
声の方を向くと、部屋の隅で膝を抱えて座るセレーナがいた。
その服は煤と血で汚れ、瞳は泣き腫らして赤くなっている。
だが、その表情は能面のように無機質だった。
「ここは……」
「……ジークが昔使ってた、『秘密基地』ってとこだよ。聞いたことない?」
「秘密基地……?」
「私も起きたらここに運ばれてた。昔……一回、ジークに自慢されてここに連れてこられたことがあるから、すぐ分かった」
セレーナは視線を床に落としたまま言った。
「『男にはみんな、誰しも秘密基地への願望があんだよ! ロマンだ!』って訳の分からないこと言ってたけど」
アトスは体を起こした。
傷は塞がっている。
暴走の反動で倦怠感はあるが、動けないほどではない。
小屋の中を見渡す。
ジークの姿はない。
「……ジークは?」
「知らない」
セレーナは短く吐き捨てた。
「あいつは自由なやつだから。私らをここに運んで、どっか行ったんじゃない」
「……そうか」
アトスは壁に背を預けた。
ジークらしい、と思った。
一番辛い役回りを演じ、泥を被り、そして礼も言わせずに姿を消す。
あの男はきっと、自分の顔を見るのが辛かったのではなく、自分に合わせる顔がないと思ったのだろう。
親友を刺した感触と罪悪感を、その手に残したまま。
「……」
二人の間に、重苦しい沈黙が流れる。
言葉を発することさえ罪に感じるような、鉛色の空気。
まるで、魂の一部を、自分の身体の半分をごっそりと抉り取られてしまったかのような、埋めようのない喪失感。
「……私、あんたが嫌いになった」
沈黙を破り、セレーナが言った。その声は震えていた。
「……」
「……あんたのこと、好きだった」
過去形。
それは、決別の言葉だった。
「……でも、あんたのせいで……フレデリカを埋葬してあげることすら出来なかった……」
セレーナが顔を上げ、その瞳から大粒の涙が溢れ出す。
城を崩壊させ、王女の亡骸を奈落の底へ落としたのは、紛れもなくアトスの暴走だ。
墓標すら作れない。花を手向けることすら許されない。
「私、あんたのこと一生許さないから」
「……ああ。許さなくていい。許さないでくれ」
アトスは肯定した。
許されてはいけない。
自分は守れなかっただけでなく、彼女の眠る場所さえ奪ったのだから。
「……あんたを、絶対超えて……いつかあんたを殺しに行くから」
それは、生きる目的を失った彼女が、辛うじて自身を繋ぎ止めるための呪い。
復讐という名の、歪な生きる希望。
「……そうか」
アトスは静かに頷いた。
もしその憎しみが彼女を生かすのなら、甘んじて受け入れよう。
それが、生き残ってしまった咎人の義務だ。
「……」
再び、沈黙。
やがて、セレーナが立ち上がった。ふらつく足で扉へ向かう。
「……アトス」
ノブに手をかけ、背中越しに呼んだ。
「……何だ?」
「……フレデリカのこと……一生忘れないでね。……私も……忘れないから」
セレーナが振り返る。
涙でぐしゃぐしゃになった顔で、無理やりに作った笑顔を浮かべて。
その笑顔が、アトスの脳裏にある記憶を呼び覚ました。
『人は、死んでも誰かの心に残り続けられるんです』
いつか、城のテラスでフレデリカが言っていた言葉。
『未練や悔恨ではなく、思い出という形で。……だから、私がいつか死んでしまった時は……思い出の中で、私をずっと生かして下さい』
あの日、彼女は笑ってそう言った。
まるで、今日のこの結末を予期していたかのように。
(……ああ。覚えている)
痛みも、後悔も、そして愛おしさも。全てを抱えて生きていく。
それが、俺への罰。
「……じゃあね。さよなら」
セレーナが告げる。
「またね」とは言わない。
「……ああ。またな」
アトスは、あえてそう返した。
いつか殺しに来るその日まで。あるいは、遠い未来で。
セレーナは震える唇を噛み締め、扉を開いた。
「……さよなら」
そう言って、セレーナは秘密基地を出ていった。
扉が閉まる音が、決定的な終わりの鐘のように響いた。
アトスは一人、小屋に残された。誰もいない。何も残っていない。
彼はふらりと立ち上がり、外へと出た。
夜だった。
森の木々の隙間から、満月が見える。
冷たく、美しく、世界を照らす月。
アトスはその光を見上げ、目を細めた。月明かりに照らされた、あの金色の髪。
陽光のように輝き、自分を導いてくれた少女の笑顔。
「……フレデリカ」
その名を呼んでも、答える声はない。
だが、胸の奥の痛みだけが、彼女が確かにそこにいたことを教えてくれている。
アトスは歩き出した。
行く当てはない。
ただ、この痛みが消えるまで。
あるいは、命が尽きるその時まで。




