49話 金色の陽光11
王城の廊下を、一人の少女が歩いていた。フレデリカ王女。
その手には松明が握られ、もう片方の手には、護身用の小さなナイフが隠されている。
「……さようなら」
彼女が通った後には、炎が残された。
カーテンに、タペストリーに、豪奢な調度品に。
彼女は自らの手で、生まれ育った城に火を放っていた。
これが、彼女の決別だった。
狂った父、そして愛する人たちを縛り付ける鎖。その全てを断ち切るための、終わりの狼煙。
パリーン!
窓が熱で割れ、風が吹き込む。
割れたガラスがフレデリカの腕に突き刺さり、顔を掠め、頬からは血を流す。
吹き込んだ風により火の勢いが増す。
だが、フレデリカは振り返らない。
目指す場所は一つ。
玉座の間。
父が待つ場所だ。
重厚な扉を開けると、そこには異様な光景があった。
外では世界連合軍の砲撃音が響き、城内でも火の手が上がっているというのに、アリステア王は玉座に座り、ワインを傾けていた。
「……遅いぞ、フレデリカ」
王は虚ろな目で娘を見た。
「三強はどうした? まだ敵を殲滅しきれんのか。……まあいい。祝杯の準備をしておけ」
「お父様」
フレデリカは玉座の前に立った。
熱風が吹き込み、彼女の金髪を煽る。
「……もう、終わりです」
「何がだ?」
「この国は滅びます。アトスたちも、もう戻りません」
王の表情が凍りついた。
グラスが手から滑り落ち、赤い飛沫を散らして砕け散る。
「……逃げたのか? あの裏切り者どもが……!」
「私が逃がしました。彼らは道具ではありません。父様の野望のために、これ以上汚させはしません」
王城にいたフレデリカは、アトスたちが国を見捨て戦場から逃げ出したことは知らない。
この言葉は、フレデリカが必死に吐き出した、父に絶望を与えるための嘘だった。
フレデリカは一歩踏み出した。
「お父様。……逃げましょう。彼らがいなければ、負けるのです。ならば、共に逃げましょう。この国を捨てて」
彼女は震える手を差し出した。
「王冠も、領土も、名誉も。全部捨てて、ただの家族に戻りましょう。どこか遠くの国で、ひっそりと暮らすのです。……そうすれば、まだ間に合います」
最後の希望。
もし父が頷いてくれれば。
もし、昔の優しい父に戻ってくれれば。
そう願う娘の祈りは、しかし、届かなかった。
「……戯言を」
王の顔が歪んだ。憤怒。屈辱。そして、底知れぬ狂気。
「余は王だ! 世界の覇者ぞ! 逃げるなど……断じて許されん! 貴様は自分の父親を愚弄するかッ!!」
王が腰の剣を抜いた。
装飾過多な儀礼用の剣。
だが、人を殺すには十分な切っ先が、実の娘に向けられる。
「死ね! 余を誑かす狂人が! 貴様の血で、この国を浄化してやる!」
王が踏み込む。
――ああ。
やっぱりもう。
この人に私の言葉は何も届かないんだ。
フレデリカは逃げなかった。
悲しげに微笑み、隠し持っていたナイフを構え
――そして、父の懐へと飛び込んだ。
ドスッ。
二つの音が重なった。
王の剣がフレデリカの腹を貫き、フレデリカのナイフが王の心臓を突き刺していた。
「……が、あ……?」
王が目を見開き、口から血を吐く。
フレデリカは父の体を抱きしめたまま、その場に崩れ落ちた。
「……ごめんなさい、お父様」
耳元で囁く。
「一人では行かせません。……地獄まで、お供します」
「ウ、ウオォォォ……ッ!」
王が断末魔を上げ、動かなくなる。フレデリカもまた、床に倒れ込んだ。
腹部から広がる熱と痛み。
視界が霞む。
燃え盛る炎が、天井を舐め尽くしている。
(……これで、いいの)
フレデリカは薄れゆく意識の中で思った。
これで、アトスたちは自由になれる。
もう、誰も殺さなくていい。誰も恨まなくていい。
記憶が巡る。
アトスがくれたホットミルクの味。
セレーナの笑顔。
肉をおいしそうに頬張るジークの横顔。
(ああ……。楽しかったなぁ……)
もっと、生きたかった。
またみんなで笑い合いたかった。
アトスの隣で、ずっと――。
「――フレデリカ様ッ!!」
遠くから、声が聞こえた。
幻聴だろうか。
一番聞きたかった、愛しい人の声。
瓦礫を蹴散らし、炎を切り裂いて、三つの影が飛び込んできた。
黒い髪の青年が、顔を歪めて駆け寄ってくる。
「……あ」
体が抱き起こされた。
懐かしいアトスの匂いと温もり。
彼はフレデリカの惨状を見て、言葉を失い、ボロボロと涙を流していた。
「……なんで………」
その横で、セレーナがフレデリカの手を強く握りしめていた。
彼女もまた、子供のように大粒の涙を流している。
「やだ……! 嫌だよ……! フレデリカ!! 死なないでよ! ねぇ!! ごめん!! あんなこと言ってごめん!! 何回だって謝るから!! 一生謝るから!! だから生きて! 一生謝らせてよぉ!!」
(……泣かないで)
そして、一歩引いた場所で、ジークが立ち尽くしている。
その表情は影に隠れて見えないが、剣を握る手が激しく震えていた。
フレデリカは手を伸ばし、アトスの頬に触れた。
伝えなきゃ。
貴方たちは悪くないと。
私は幸せだったと。
最期の力を振り絞り、彼女は口を開いた。




