48話 金色の陽光10
アトスが王都に帰還したのは、冷たい雨が降る夜だった。
愛馬は疲労のあまり倒れかけているが、彼は休むことなく王城へと直行した。
彼が持ち帰ったのは、勝利の報告ではない。
この国の「終わりの知らせ」だった。
「……申し上げます」
玉座の間。
アトスは片膝をつき、玉座のアリステア王を見上げた。
王の顔色は艶やかで、狂気じみた高揚感に満ちている。自国の領土が拡大していくことに陶酔しきっているのだ。
「周辺諸国、計十二カ国が同盟を締結。『対ヴァニタス世界連合軍』が結成されました」
アトスの声が、広く冷たい広間に響く。
「その数、およそ三百万。……西、北、南の三方向から、同時に王都へ向けて進軍を開始しています」
三百万。
それは、ヴァニタスの全人口を合わせても到底届かない、絶望的な数字だ。
世界中が、この国を「人類の敵」と認定し、本気で潰しにかかってきたのだ。
「……ふむ」
だが、王の反応は軽かった。
恐怖も、焦りもない。
ただ、面白い玩具を見つけた子供のように口角を吊り上げた。
「三百万か。数だけは揃えたものだな、有象無象どもが」
「陛下。これは戦争ではありません。殲滅戦です。彼らは降伏を受け入れないでしょう。ひとたび戦が始まれば、どちらかが滅びるまで、その戦火は消えません」
アトスは訴えた。
もはや、外交でどうにかなる段階は過ぎていた。
「ならん」
王は一蹴した。
「引く必要などない。余には、世界最強の『三強』がいるではないか」
王は立ち上がり、両手を広げた。
「これは好機だ、アトス。わざわざ敵が纏まって来てくれたのだ。手間が省ける。一網打尽にせよ」
「……陛下?」
「命じる。三強を出撃させよ。アトス、ジーク、セレーナ……お前たちの力で、我が軍を導き、その三百万の軍勢を消し去るのだ」
王の瞳が、ギラリと光った。
「兵士だけではない。彼らの国、街、そこに住む民草に至るまで……ヴァニタスに逆らう者がどうなるか、歴史に刻み込んでやれ。根絶やしにするのだ」
それは戦争の命令ではなかった。
大量虐殺の命令だ。
敵兵だけでなく、その背後にいる無辜の民ごと焼き払えと言っている。
「……」
アトスは奥歯を噛み締め、拳を握り込んだ。狂っている。
だが、ここで拒否すれば、フレデリカ王女に累が及ぶかもしれない。
アトスは無表情のまま、頭を垂れた。
「……御意」
従うふりをして、時間を稼ぐしかない。
◇
出撃の朝。
城門の前で、フレデリカ王女が見送りに来ていた。
彼女は何も言わず、ただ悲しげな笑顔で手を振っていた。
その瞳が「行かないで」と言っているように見えたが、アトスはあえて気づかないふりをした。
「……必ず、戻ります」
そう言い残し、アトスは馬を走らせた。
◇
王都から離れた平原。
そこには、地平線を埋め尽くすほどの軍勢が展開していた。
三百万の刃。
大地を揺るがす行軍の音。
その圧倒的な質量の前に、ヴァニタスの一般兵たちは戦意を喪失し、震え上がっている。
「……笑えるね」
丘の上から敵陣を見下ろし、セレーナが乾いた声で呟いた。
「こりゃ、俺たちが手を出さなきゃ、ヴァニタスなんて半日も持たねぇな」
「ああ。瞬殺だろうな」
アトスは風に髪をなびかせながら同意した。
だが、問題はそこではない。
彼ら「三強」が本気を出せば、この三百万を殲滅することなど造作もないということだ。
「アトス。……やるの?」
セレーナが低い声で問うた。
その手には、まだ炎は灯っていない。
「俺たちが本気を出せば、勝てる。三百万だろうがな」
傲慢でも誇張でもない。
純然たる事実。
アトスが結界で全ての攻撃を無効化し、ジークが前線を斬り崩し、セレーナが広範囲殲滅魔法を連発すれば、数など無意味になる。
「だが、勝てばどうなる?」
アトスは静かに問い返した。
「世界連合軍が壊滅すれば、もはやヴァニタスを止める抑止力は地上から消滅する。王は調子づき、今度こそ世界全土を支配下に置くだろう」
力による支配。
逆らう者は皆殺しにされ、世界中がヴァニタスの顔色を伺いながら生きる、恐怖の暗黒時代。
それが、自分たちが剣を振るった先にある未来だ。
そしてこの状況を作り出してしまった。
「……俺たちが戦えば、世界が終わる。……俺たちが戦わなければ、ヴァニタスが滅びる」
究極の二択。
アトスは、振り返った。
背後には、王都の城壁が見える。その向こうには、罪のない民と、そして愛する王女がいる。
「……選ぶぞ」
アトスの声には、血を吐くような苦渋が滲んでいた。
「俺は、ここで戦場を放棄する」
「……!」
「ヴァニタスを、見捨てる」
それは、騎士としての死刑宣告だった。
国を守る最強の盾が、自らの意思で砕けることを選んだのだ。
「……いいのか、アトス」
ジークが真剣な眼差しで見つめる。
「俺たちが去れば、この国は蹂躙される。王も、民も……誰も助からねぇぞ」
「分かっている」
アトスは頷いた。
その罪は、未来永劫消えることはない。
数十万の命を見殺しにした大罪人として、歴史に名を刻むことになる。
それでも。
世界を地獄に変えるよりは、マシだ。
「ただし、一つだけ……俺たちのエゴを通す」
アトスは王城の尖塔を見上げた。
そこには、一人で待つ少女がいる。
「フレデリカ様だけは、連れていく」
「……!」
「国は救えない。だが、あの方の命だけは、何としても救い出す。……付き合ってくれるか」
アトスの問いに、ジークはニカッと笑った。
「当たり前だろ。俺は約束したんだ。お兄ちゃんって呼んでもらうってな!」
「私もだよ。フレデリカのこと……大好きだから」
セレーナが髪をかき上げ、ポニーテールの結び目を解く。その美しい赤髪がなびく。
三人の意志は固まった。
眼下では、連合軍の進軍ラッパが鳴り響いている。
ヴァニタス軍が喚声を上げ、三強の出撃を待っている。だが、英雄たちは動かない。
「行こう。フレデリカ様が待ってる」
三人は敵に背を向けた。
戦場から離脱し、王都へと疾走する。
背後で、開戦の轟音と、一方的な虐殺の悲鳴が響き始めた。
最強の守護者を失ったヴァニタスの、終焉が始まった。




