46話 金色の陽光8
「――お父様、お願いです! もう、無為な侵略はおやめください!」
玉座の間で、フレデリカの悲痛な叫びが響いた。
彼女は床に跪き、玉座に座る父――アリステア王を見上げていた。
「北のガリアも、東のルクシオンも、もう抵抗する力はありません。これ以上攻める理由など、どこにもないはずです!」
「理由はある。彼らが我々の支配を受け入れていないからだ」
王は地図から目を離さずに答えた。
その瞳は濁り、娘を見る慈愛の色は消え失せている。
あるのは、飽くなき領土欲と、自身の力を誇示したいという歪んだ虚栄心だけだ。
「世界は広い。我が国の正義を理解しない愚か者が、まだ山ほどいるのだよ」
「それは正義ではありません! ただの略奪です!」
「黙らぬか」
王の声が低くなる。
「お前は王女だ。国の繁栄を喜べ。……それとも、余のやり方に不満があるのか?」
「……ッ」
フレデリカは言葉を詰まらせた。
不満などという言葉では足りない。絶望しているのだ。
かつて民を愛し、平和を説いた父は、もうどこにもいない。
「下がれ。余は忙しいのだ」
王は冷淡に告げ、従者に次の進軍計画を持ってこさせた。
フレデリカは拳を握りしめ、立ち上がった。
これ以上何を言っても無駄だ。言葉が届かない。
彼女は唇を噛み締め、背を向けた。
アトスは無言のまま、王女の後に続いて退出した。
彼の表情は能面のように硬く、何を考えているのか読み取れない。
謁見の間を出た廊下で、フレデリカは足を止めた。
窓の外には、夕日に染まる王都が広がっている。
一見、平和で豊かな街並み。だが、その繁栄が多くの血の上に成り立っていることを、彼女は知っている。
「……アトス」
フレデリカは窓ガラスに映る騎士の姿に語りかけた。
「父はもう……以前の父には戻りません。それは、あなたも分かっているはずです」
「……」
「あなたの忠誠は、今の父ではなく、昔の父に誓ったもののはず……」
彼女は振り返り、アトスの瞳を覗き込んだ。
かつては鋭く、けれど意志の光を宿していたその瞳が、今は深く暗い影に覆われている。
「もう……見捨てて構わないのです」
フレデリカの声が震えた。
「この国も、父も。……あなたたち三人がいなくなれば、父もこれ以上の侵略はできなくなる。国は小さくなるでしょうけれど、少なくとも、これ以上の罪を重ねずに済みます」
それは、王女としての自殺行為に等しい言葉だった。
国の最強戦力に、亡命を勧めているのだから。
「私はこれ以上……あなたに誰かを殺して欲しくない」
涙が頬を伝う。
「あなたが帰ってくるたび、その体から血の匂いが濃くなっていく。日に日に、あなたの瞳から光が消えていくのが……辛くて辛くて、堪らないんです!」
フレデリカはアトスの胸を叩いた。自分の無力さが憎い。
愛する人を人殺しにさせている、自分自身の血筋が憎い。
「……逃げてください、アトス。ジークとセレーナを連れて、どこか遠くへ……」
「……お断りします」
アトスは静かに、けれどきっぱりと言った。フレデリカは目を見開いた。
「どうして……? まだ、父に忠誠を?」
「……俺は、もう、陛下には忠誠を誓っていません」
「え……?」
アトスは一歩近づき、そっとフレデリカの手を取った。
無骨で、剣ダコのある大きな手。けれど、触れ方は壊れ物を扱うように優しい。
「騎士が剣を振るうのは、守るべきものがあるからです。陛下はもう、俺の守るべき対象ではない」
アトスはフレデリカの銀色の瞳を見つめた。
そこには、かつて月夜のベンチで見せた、飾らない青年の顔があった。
「……今は、あなたに忠誠を誓っている」
フレデリカが瞳を大きく見開く。
「あなたがここにいる限り、俺はここを動きません。あなたが悲しまないように、あなたが傷つかないように。……そのために、この剣を使います」
それは、騎士としての覚悟の誓いであった。
国のためでも、王のためでもない。ただ一人の少女を守るためだけに、修羅の道を行くという覚悟。
フレデリカの目から、大粒の涙が溢れ出した。
嬉しい。けれど、苦しい。自分が、彼を縛り付けているのだとしたら。
「……馬鹿な人……」
フレデリカは泣き笑いのような顔で、アトスの手を強く握り返した。
「そんなこと言われたら……私、あなたを離せなくなってしまいます……」
「今は……それでいい。貴女はこの国を正しい方向へ導ける人だ」




