34話 休息
中央診療所の特別室。
窓から差し込む柔らかな陽光が、清潔な白いシーツを照らしていた。
カインは、そのベッドの上で天井を見上げていた。
「……暇だ」
指一本動かすのも億劫だ。
全身が鉛のように重い。魔力欠乏の反動は、予想以上に深刻だった。
体内のマナが空っぽになったことで、生命活動を維持するための最低限のエネルギーすら枯渇しかけている。
今の彼は、赤子以下の無力な存在だった。
「3日も気を失ってたくせに、いっちょ前に文句言わない。大人しく寝ててよ」
サイドテーブルで林檎を剥いていたリザが、呆れたように言った。
彼女の瞳はコレットの治癒魔法のおかげで、視力はほぼ回復していた。自慢の『魔視』も、以前ほどの解像度ではないが、徐々に戻りつつある。
「……三日も寝ていたのか」
「うん。その間、ずっとコレットが付きっきりだったんだからね。感謝しなよ」
リザは剥き終わった林檎を、カインの口元へ差し出した。カインは渋々口を開け、それを咀嚼する。甘い果汁が乾いた喉を潤していく。
ガチャリと扉が開き、コレットが入ってきた。
手には湯気の立つ洗面器とタオルを持っている。
「あ、カインさん! 目が覚めたんですね!」
コレットは顔を輝かせ、ベッドサイドに駆け寄った。その目元には僅かに隈がある。リザの言う通り、不眠不休で看病していたのだろう。
「……すまん、コレット。手間をかけさせた」
「いいえ! 私がカインさんの役に立てるなら、これくらい……」
コレットはタオルを絞り、カインの顔を丁寧に拭き始めた。
その手つきは優しく、慣れている。前世の記憶――病弱な母妃を看病していた経験が、無意識に出ているのかもしれない。
カインは目を閉じ、その温もりに身を委ねた。
「……セレーナは?」
カインが問うと、コレットの手がピタリと止まった。
「……先生は、別室で休んでます。……街の浄化作業で、忙しいので疲れてて」
言葉を濁しているが、理由はそれだけではないことをカインは悟った。
あの時、暴走した自分を止めるために、彼女は命懸けで炎の中に飛び込んできた。
至近距離での達人同士の魔力の衝突。無傷で済むはずがない。
「……コレット。セレーナの怪我は」
「……はい」
コレットは俯いた。
「顔や手足の火傷は、私の魔法で綺麗に治せました。でも……胸と、お腹の火傷だけは、どうしても消せなくて」
カインの瘴気を、真正面から受け止めた場所だ。通常の火傷ではない。
呪いにも似た魔力による侵食痕。
それは、一生消えない傷として彼女の肌に残るだろう。
「私の力が足りないせいです。私がもっと治癒魔法を上手く扱えれば……」
コレットの声が震える。自分を責めているのだ。
「……違う」
扉の方から、低い声がした。
見れば、包帯を巻いたセレーナが、壁にもたれかかって立っていた。白衣ではなく、ゆったりとしたガウンを羽織っている。
「先生……!」
「勘違いするな、馬鹿弟子。これは勲章だ」
セレーナは胸元の包帯を軽く叩き、ニヤリと笑った。
「最強の魔法士を力づくで止めた証だぞ? そこらの奴には真似できん。一生自慢してやるさ。特にお前には、嫌がらせのようにな」
「……セレーナ」
カインは苦い顔をした。
軽口を叩いているが、その顔色は悪い。立っているのがやっとのはずだ。
「……悪かった」
「謝るな。気色悪い」
セレーナはふらつく足取りでベッドに近づき、カインの額を指先で弾いた。
「それより、さっさと治せ。お前が寝ている間に、街の連中がうるさくてかなわん。『黒い熱』が引いたのは奇跡だ、大賢者の再来だと大騒ぎだ。もう用もないしここからはとっとと出ていきたいんだよ私は」
「……あいつは?」
「バルザックは衛兵に突き出した。今は地下牢で廃人同様になっている。……まあ、生きて罪を償わせるのが一番の罰だろう」
セレーナは窓の外を見た。
街からは、復興に向けた活気のある音が聞こえ始めている。
長い夜が明け、日常が戻りつつあるのだ。
「……カイン。動けるようになったら、この街を出るぞ」
「……何?」
「コレットとリザと話し合って決めた。お前が満足に戦えるようになるまでは、ひとまず私がお前らに同行して万が一の時の為に『守ってやるよ』」
セレーナはニヤリと笑ってカインに顔を近づけた。
「ま、安心しろ。『守ってやる』から」
(……こいつ……本当に性格の悪い女だ……)
「で、お前らは特に行き先を決めずにフラフラと旅をしてるそうだな。護衛はしてやるが、目的地は私が決めさせてもらうぞ」
「……どこにいくつもりだ?」
「隣町で船に乗って、学術都市へ向かう。楽しい楽しい船旅だ」
「お前……わざとだろ」
「何がだ?」
セレーナはニヤついている。
「何のことですか?」
コレットは首を傾げて問う。
「……俺は、船が苦手なんだ。すぐ酔う」
戦いは終わった。
そして、新たな旅が始まろうとしている。
傷だらけの体で、けれど確かな絆を結んだ四人の旅路が。




