33話 帰ろう
「……く……」
カインは立ち上がろうとした。
だが、足に力が入らない。膝が笑うどころの話ではない。感覚そのものが消失している。
「……ッ」
カインの巨体が、糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
受け身すら取れない。
無様に床へ倒れ込む寸前、コレットが慌ててその体を支えた。
「カインさん!?」
「……悪い。少し、魔力を使いすぎたらしい」
カインは苦笑しようとして、顔の筋肉さえ引きつっていることに気づいた。
限界を超えていた。
セレーナとの魔力合戦。そして何より、自身のトラウマに呑まれ、封印を食い破って暴走した代償は大きすぎた。
体内のマナが枯渇し、生命力まで削り取られている。
「動かないでください! 今、治しますから!」
コレットが胸元の栞を握りしめ、カインに手をかざす。
淡い金色の光。
温かな波動がカインの体に染み渡り、火傷や擦り傷を塞いでいく。心地よい感覚だ。
「……いつの間にこんな治癒魔法を……」
「先生のおかげです」
「……そうか……」
だが、どれだけ傷が癒えても、鉛のように重い倦怠感だけは消えなかった。
「……その辺でいいだろう。コレット」
背後から、呆れたような声がかかった。セレーナだ。
「お前の魔法で肉体の損傷は治せるが、空っぽになった魔力までは埋められん。自力で立つこともできんただの木偶の坊だ」
「そ、そんな……じゃあ、どうやって地上へ……」
コレットが途方に暮れる。
ここは大深度の地下霊廟だ。階段も瓦礫で埋まっている。動けない大男を運ぶ手段など――
「貸せ」
セレーナが割り込み、カインの腕を強引に自分の肩に回した。
小柄な彼女が、自分より二回りは大きいカインの体重を支え上げる。
「相変わらず……細いくせに馬鹿力だな」
「黙れ。焼き殺すぞ」
セレーナの顔には、隠しきれない疲労の色と、火傷の痕がある。
それでも彼女は、カインを支えて一歩を踏み出した。
かつて戦場で、何度もこうやって互いを支え合い、死線を潜り抜けてきたように。
カインはため息をつき、その細い肩に体重を預けた。
「……色々と、世話をかけた。すまん」
「あ?」
セレーナは不機嫌そうに眉を寄せた。
「何故、過去形だ? こっちは今も、面倒をかけられてるんだが? お前を支えてるのは誰だ? あ? 言ってみろ」
「……違いない」
カインの口元が微かに緩んだ。
この減らず口こそが、彼女が無事である証拠だ。
「カイン!」
部屋の隅から小さな影が飛び出してきた。
彼女はふらつく足取りで駆け寄ると、躊躇いなくカインの腹に抱きついた。煤と血で汚れたシャツに、顔を埋める。
「……リザ」
「……」
リザは何も言わない。
ただ、カインの体温を確かめるように、震える手でシャツを握りしめている。
彼女の目はまだ白く濁っている。
「無事でよかった。傷を負わせてしまってすまなかった」
カインが呟くと、リザは彼の腹に顔を埋めたまま、くぐもった声で言った。
「……そんなの……どうだっていいよ。……帰ろう……疲れた……」
それは、ただの少女の、飾り気のない本音だった。
金のためでも、興味本位でもない。
ただ、この場所が怖くて、疲れて、安心できる場所へ帰りたいという、幼い甘え。
「……だな」
カインは思い通りに動かない腕を無理やり持ち上げ、リザの頭に置いた。
橙色の髪を、不器用に、けれど優しく撫でる。
「帰ろう」
コレットが涙を拭い、カインのもう片方の腕を支える。
「あんまり心配かけないでくださいね?」
いつも不安そうな表情ばかりしていたコレットから飛び出したその言葉に、カインは思わず目を丸くした。
――強くなったんだな。
「気を付ける」
崩壊した霊廟の天井から、眩しいほどの朝日が降り注いでいた。
長い夜は明けていた。




