28話 だめ
瓦礫の山に半身を埋もれさせながら、バルザックは笑っていた。
口の端から赤い泡沫が溢れ、ヒューヒューと喉が鳴る。
全身の骨が砕け、内臓も破裂しているはずなのに、痛みは遠い。
代わりに彼を満たしていたのは、焼き尽くされるような歓喜だった。
「……あぁ、母さん。見えるかい」
バルザックは虚空に手を伸ばした。
霞む視界の先、圧倒的な魔力の奔流を纏って立つカインの姿が、幼い頃に見た母の面影と重なる。
否、それは母ではない。
彼が母を救うために追い求め、自らが得ることを熱望した「死を超越した存在」そのものだ。
「綺麗だ……。なんて、純粋な命の形なんだ」
彼は知っている。
あの黒い霧の正体が、破壊をもたらす瘴気などではなく、濃縮されすぎた純粋なマナであることを。
あまりに強すぎて、あまりに多すぎて、世界という器から溢れ出してしまっているのだ。
私が数千人の命を啜ってなお届かなかった領域に、この男は最初から立っている。
「欲しい……その体が、欲しい。私にくれ。私と一つになれば、永遠に……。欲しいッ! 欲しいッ! 欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しい欲しいッ!!」
狂気じみた羨望。
死の間際にあってなお、他者を喰らい、自らの糧にしようとする妄執。
「……狂ってる……」
そのすぐ側で、リザが呻くように呟いた。
彼女は腹部の傷を押さえ、血溜まりの中で這いつくばっていた。
視界はまだ白く濁っているが、バルザックから放たれる異様な気配だけは肌で感じる。
生きることへの執着が強すぎて、人としての形を保てなくなっている怪物の気配。
(……カイン、だめだよ……そいつに触れちゃいけない)
リザは本能で悟っていた。
カインは今、怒りで我を忘れているのではない。
もっと深い、虚無の底に沈んでいる。もしこのままバルザックを殺せば、カインは二度と戻ってこられない気がした。
咎人として、永遠に闇の中を彷徨うことになる。
「カイン……だめ……」
リザが手を伸ばすが、届かない。
カインは無言のまま、バルザックの眼前に立った。
その瞳には、バルザックの姿など映っていない。
ただ、排除すべき「歪み」として認識しているだけだ。
カインが右手を掲げる。
掌に収束するのは、漆黒の球体。
属性を持たない、純粋な魔力の圧縮体。
触れれば原子レベルで分解され、塵すら残らない「消滅」の光。
「……感謝するぞ、死神」
バルザックは恍惚の表情で両手を広げた。逃げも隠れもしない。
その断罪の光を、祝福として受け入れるかのように。
「さあ、味わわせてくれ! その力を!! 生を!! 私を救済してく――」
カインが腕を振り下ろした。黒い光が放たれ、バルザックを飲み込もうとした、その刹那。
ドガァァァァァンッ!!!
頭上から、雷が落ちたような衝撃音が響いた。
天井の岩盤が砕け散り、瓦礫と共に強烈な陽光が地下霊廟に差し込む。
カインの手が、ピタリと止まる。虚無の瞳が、僅かに揺らいだ。
光の中を、二つの影が降ってくる。
一つは、燃えるような赤髪を靡かせた白いローブの女。
もう一つは、陽光を浴びて輝く、栗色の髪の少女。
「――だめぇえええー!!」
悲痛な叫びが、地下空間を震わせた。
コレットだ。
彼女はセレーナに抱えられながら、カインとバルザックの間に割って入るように飛び降りてきた。
「殺しちゃだめです! カインさんッ!」
その声は、理性を失ったカインの魂を、現世へと引き戻す楔のように響き渡った。




