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【完結】咎人とアズライト〜国を捨てた魔法士は、記憶を失う転生者と旅をする〜  作者: 文月ナオ
第二章 紅蓮の魔女と狂気の研究者

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26話 罠

「消えろ」


 カインが指先を振るう。

 放たれた風の刃は、岩をも断つ鋭利さでバルザックに迫る。

 だが、バルザックは動じない。彼が杖を軽く掲げると、背後の黒い水晶が脈打ち、ドス黒い障壁が展開された。


 ガギィンッ!!


 風刃が弾かれる。

 高密度の魔力障壁。それを維持しているのは、この街から吸い上げられた膨大な生命力だ。


「……やはり、個人の出力では限界があるか」


 バルザックはそう呟く。

 目の前の男が放つ魔法は、構成も威力も桁外れだ。まともにやり合えば数秒で蒸発させられるだろう。

 だが、バルザックに焦りはない。彼は戦闘を楽しんでいるわけでも、勝利に酔っているわけでもない。

 ただ、淡々と「実験データ」を処理するように杖を振るう。


「ならば『量』で押し潰す。非効率だが、確実な手だ」


 水晶から溢れ出した黒い泥が、無数の触手となってカインに襲いかかる。

 カインは氷結魔法で迎撃するが、凍らせた端から泥は増殖し、波のように押し寄せる。

 力押しで吹き飛ばせば、地下空間ごと崩落する危険性があり、リザを守りきれない。

 カインは眉をひそめた。手詰まりではない。だが、手間がかかる。


「終わりにするぞ」


 カインが両手を広げた。

 詠唱はない。だが、その空間に満ちるマナの密度が、劇的に跳ね上がる。

 全属性の複合魔法。防御不可能な一点突破の崩壊術式を構築しようとした、その瞬間だった。


「――捕捉した」


 バルザックが、ボソリと呟いた。

 カインの足元の石畳が、幾何学模様に輝く。

 それは魔法陣ではない。古代の遺産――大賢者が遺した「魔力反射鏡ミラー・コート」の欠片を埋め込んだ、対魔法士用の罠。


「高出力の魔力源……利用させてもらおう」


 キィィィンッ!


 耳障りな高周波音と共に、カインが練り上げていた魔力が逆流した。

 制御を乱され、カインの身体を覆う『術式乖離』の結界が一瞬だけ機能を停止する。

 ほんの数秒にも満たない、瞬きの間の無防備。

 バルザックは、その隙を見逃さなかった。殺意も、憎悪もない。

 ただ「邪魔な障害を取り除く」という事務的な動作で、袖口から黒い泥の刃を射出する。

 狙いはカインではない。カインが庇いきれない死角――背後のリザだ。


「――っ!」


 カインが反応する。

 だが、結界は消えている。体勢は崩れている。間に合わない。


 ザシュッ。


 肉が裂ける、湿った音が響いた。


「あ……」


 リザの口から、小さな息が漏れた。

 彼女の脇腹を、泥の刃が浅く、しかし確実に切り裂いていた。

 鮮血が舞う。赤い飛沫が、カインの頬に散った。


「……カイン……ごめ……」


 リザが膝から崩れ落ちる。その体を受け止めたカインの手が、温かい血で濡れた。


 ――赤。


 視界が赤く染まる。

 ドクン。

 カインの心臓が、早鐘を打った。目の前の光景が、歪む。

 リザの姿が、別の誰かと重なる。


 ――燃え盛る城。

 ――腹部から血を流す、美しいドレスの女性。

 ――『ごめんなさい……アトス……貴方に心からの感謝を……』


「……ア……ァ……」


 カインの口から、意味を成さない音が漏れた。


「……急所は外れたか。まあいい」


 バルザックは残念そうに呟き、すぐに次の手順へと意識を切り替えた。

 目の前の男が壊れかけていることになど、興味はない。ただの排除対象でしかない。


「次は本体だ。その豊富な魔力、賢者の石の最後の糧になってもらう」


 バルザックが水晶の出力を上げる。

 だが、カインは動かない。リザを抱いたまま、うつむいている。


「抵抗なしか? 賢明な判断だ」


 ギチチチチ……ッ。


 バルザックの言葉が止まった。異音。

 空間そのものが悲鳴を上げているような、不快な音。

 それがカインから発せられていることに気付いた時、初めてバルザックの表情に「困惑」が浮かんだ。


「……なんだ? その魔力反応は……」


 残像を作り出したようにカインの輪郭がブレていた。

 人のものとは思えぬほど黒い深淵の底のような『異物』。

 彼の中から溢れ出したドス黒い瘴気が、物理的な質量を持って噴き出しているのだ。

 それは、魔法などという理知的なものではない。ただの、災害。


「……殺す」


 低く、地獄の底から響くような呟き。

 カインが顔を上げた。

 その瞳からは、理性の光が完全に消え失せていた。あるのは、虚無。

 そして、その瞳の奥底に渦巻く、爆発的なエネルギーの奔流。


「っ……!?」


 バルザックは息を飲んだ。

 死ではない。

 目の前の男から放たれているのは、圧倒的で、純粋すぎるほどの「生」のエネルギーだ。

 あまりに濃密すぎて、触れるもの全てを焼き尽くし、存在を塗り潰してしまうほどの生命力の塊。

 それは、病に侵され死を恐れるバルザックが、最も求めてやまない「永遠の命」の輝きに似ていた。


「ああ……なんて素敵なんだ」


 恐怖と同時に、恍惚とした感情が湧き上がる。

 これが、完成形なのか。私が求めていた賢者の石の、その先にある力なのか。

 だが、その力は制御を失っている。

 カインを中心にして、空間が歪み、地下霊廟の天井に亀裂が走り始めた。

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