22話 おじさんと猫2
「……三つ目」
乾いた破砕音が路地裏に響いた。
カインが指先を弾くのと同時、墓地に設置されていた黒い石柱――呪いの楔が、砂のように崩れ去った。
「うわ、容赦ないなー」
リザが『魔視』で状況を確認し、感心したように口笛を吹く。
「どうだ?」
「うん。これで東、南、西の供給ラインは遮断されたよ。空の『蜘蛛の巣』も、だいぶ薄くなってきたよ!」
リザの『魔視』には、街の上空を覆う結界が、支柱を失って揺らぎ始めているのが見えていた。
カインは無言で掌の埃を払った。
「雑な仕事だ」
ポツリと、カインが呟く。
「え?」
「この術式を組んだ奴だ。規模だけは大きいが、魔力の循環効率が悪すぎる。他人の命を使い捨てにすることで無理やり成立させているだけの、欠陥品だ。本来在るべき姿の魔法とは程遠い、偽物だ」
カインの声には、冷ややかな軽蔑が滲んでいた。
彼は魔法を愛しているわけではない。だが、それを構築する「理屈」には敬意を払っている。
無駄なく、美しく、機能的に。
それがカインの目指した魔法の在り方だ。だからこそ、力任せに命を浪費するこの術式は、彼の美学に反する「汚物」に見えた。
「……おじさんってさ、たまに凄く哲学者っぽくなる時あるよね。もしかしてロマンチスト?」
リザがカインの横顔を見上げる。
「アホか」
「でもさー。魔法の『組み方』にうるさすぎない?」
「……ただのこだわりだ。行くぞ、次は北だ」
カインはリザの視線を躱すように歩き出した。
脳天気なようでいて、鋭い。少しでも気を抜くと、すぐに核心に触れてくる。
次の楔がある北区画へ向かうため、二人は再び地下水道に入った。
地上は泥人形の警戒が厳しくなっているため、比較的数の少ない下から迂回する算段だ。
「――来るよ、おじさん! 前から三体!」
リザの警告と共に、暗闇から泥人形が這い出してきた。
カインは歩みを止めず、指先を振るう。
『氷結界』
冷気が走り、泥人形を一瞬で凍結させる。
だが、その衝撃で老朽化していた頭上の配管が破裂した。
バシャアッ!!
「はにゃっ!?」
大量の水が噴き出し、リザを直撃した。
泥人形は片付いたが、リザはずぶ濡れだ。橙色の髪も、身軽な盗賊服も、ぐっしょりと肌に張り付いている。
「……くちゅんッ!」
静まり返った地下水道に、可愛らしいくしゃみが響いた。リザが鼻をこすりながら、小刻みに震えている。
「うぅ……冷たぁ……。最悪だよぉ……パンツまでびちょびちょじゃんかー! 気を付けてよおじさん!」
リザが腕をさする。地下の気温は低い。このままでは風邪を引くか、体力を奪われて動けなくなるだろう。
「止まれ」
カインが足を止めた。
「え? どうしたの、敵?」
「いいから、じっとしてろ」
「えっ!? いくら私が美少女だからって……私まだ16なんだよ!? 手出したらおじさん犯罪者だよ!」
「……頼むから少しの間だけ黙ってくれ……」
カインはリザの目の前に立つと、無言で右手をかざした。
リザが身構える間もなく、カインの掌から魔力が溢れ出す。
『温風』
ゴオォッ……という低い音と共に、リザの全身を柔らかな風が包み込んだ。
ただの風ではない。絶妙な温度に調整された、陽だまりのような暖かさを持つ風だ。
風魔法による送風と、火魔法による熱量調整。相反する二つの属性を、極めて繊細なバランスで融合させた複合魔法。
「んん……っ!? お、おおおーー!?!?」
リザが目を丸くする。
温風は濡れた服の繊維を通り抜け、瞬く間に水分だけを蒸発させていく。髪がふわりと舞い上がり、数秒後には、まるで洗い立ての洗濯物のような乾いた感触が戻っていた。
「……か、乾いてる?」
リザは自分の服を触り、信じられないという顔でカインを見上げた。
「なにこれ! 魔法? 今のも魔法なの!?」
「ただの魔法の応用だ。水属性で水分を浮かせ、風で飛ばし、火で温度を保っただけだ」
カインは事もなげに言い、歩き出した。
「すっご……! こんな使い方、初めて見たよ!」
リザが興奮して追いかける。
「魔法ってさ、ドカーンって爆発させたり、氷漬けにしたりするもんじゃないの? こんな、使い方もできるんだ!」
「お前たちの認識が偏っているだけだ」
カインは前を見据えたまま、ポツリと言った。
「魔法は、殺し合いの道具として発展しすぎた。火は敵を焼くため、雷は心臓を止めるため。……だが、本来はもっと暮らしを豊かにできるものだ」
カインの脳裏に、遠い記憶が過る。幼い頃に見た、荒地を花畑に変える魔法。
「火があれば料理ができる。水があれば清潔を保てる。風があれば、遠くへ声も届けられる」
カインは、自分の掌を見つめた。
彼が本当にやりたかったのは、破壊ではなかったはずだ。
「魔法とは……きっと、本来はそういうものの為に生まれてきたんだろうと思う」
独り言のような、静かな響き。
リザは、カインの横顔をじっと見つめた。
いつも不機嫌そうで、事なかれ主義の無愛想な男。けれど、今この瞬間だけは、どこか誇り高い「職人」のように見えた。
「……ふーん」
リザはニカッと笑い、カインの背中をバンと叩いた。
「おじさんってやっぱ、ロマンチストなんだね!」
「うるさい。風邪を引かれて足手まといになられたら困るだけだ」
「はいはい、そーゆーことにしておいてあげる!」
リザは軽やかにスキップし、カインの隣に並んだ。
その足取りは、濡れていた時よりもずっと軽い。
服が乾いたからだけではない。この不器用な男の、意外な温かさに触れたからだ。
「行こう、おじさん! あと一息だよ!」
「……ああ」
カインは小さく頷いた。
地下水道の奥。
奥へ向かう足音は、先ほどまでよりも少しだけ、揃って聞こえた。




