21話 トリアージ
「……終わったぞ。立て」
セレーナが手元のカルテを机に置いた。
コレットは新しいペンダントの感触を確かめながら、恐る恐る立ち上がった。
体の中を巡る魔力が、以前とは比べ物にならないほどスムーズだ。あの焼け付くような焦燥感もない。
「あの、セレーナさん」
「なんだ」
「……気付いて、いますよね? この病気が、普通のものじゃないってこと」
コレットの問いに、セレーナは表情一つ変えずに椅子に深く座り直した。
「当たり前だ。街全体を覆う吸血術式。大気中のマナが、不自然に上空へと吸い上げられている」
「なら、どうして……!」
コレットは身を乗り出した。
「どうして、元凶を倒しに行かないんですか? セレーナさんの力なら、犯人を倒して術を解くことだってできるはずです。なのに、どうして薬を集めたりして……」
そこまで言って、コレットは言葉を詰まらせた。セレーナの瞳が、氷のように冷たく細められたからだ。
「……命の選択だ」
セレーナは淡々と問うた。
「今、この診療所には重症患者が二百人いる。街全体ではその十倍だ。こいつらはな、私が展開している『抗魔結界』と、特製の『中和剤』でギリギリ命を繋いでいる状態だ」
セレーナは窓の外、苦しむ人々で溢れかえる中庭を指差した。
「私がここを離れて、犯人を探しに行くとしよう。見つけて、ぶち殺して、術式を解体する。……私でも、探索も含めれば半日はかかる」
セレーナはコレットに向き直り、突き放すように言った。
「だが、それをする為には抗魔結界を一時的に解かねばならなくなる。そうすると、その半日の間に、ここにいる全員が死ぬ。……それでも行けと言うか?」
コレットは息を飲んだ。
それが、彼女の選択だったのだ。根本治療のために多くの犠牲を許容するか、対症療法で泥臭く目の前の命を繋ぎ止めるか。
「十五年前の私なら、手っ取り早く少数を見捨てて多数を生かす道を選んでいたかもな」
セレーナは自嘲気味に笑い、窓ガラスに映る自分の顔を見つめた。
「……だが。もう『そういうのは』もうやめたんだ」
セレーナは昔に思い馳せるようにして目を伏せ、手首に巻かれた純白の髪紐を撫でる。
「目の前の救える命を救う。それが私の今の生き方だ」
コレットは何故か胸が熱くなるのを感じた。
「それに、何もしてない訳でもない。街中の店からあらゆる商品の在庫を徴収した」
セレーナは空気を変えるように、口角を上げた。
「この規模の術式を維持するには、大量の触媒が要る。水銀、竜の血、魔石。……それらは全部、薬の材料と同じだ。私が街中の材料を独占すれば、犯人は儀式の維持に苦労する。薬師共は憤慨するだろうが、そんなことを気にするような状況はとうの昔に終わってる」
コレットは呆然とした。
敵の狙い、自分の役割、そして守るべき命の重さ。全てを天秤にかけ、最適解を選び続けているのだ。
「……すごいです」
「凄くなどない」
セレーナは白衣を翻し、机上の薬瓶を手に取った。
「私は一ヶ月前、この街に来た。ここにある古代の文献と、特殊な薬草を使った新薬の開発のためにな。……ふらりと立ち寄ったこの街で、こんなことになるまで気が付かなかった。愚かな奴だよ。私は」
セレーナは深い溜息を吐いた。
「本来ならとっくに街を出ているはずだったが、目の前で人が死にかけているのを見過ごせなくてな」
不運な偶然。
だが、この街にとって彼女の滞在は、不幸中の最大の幸運だったといえるだろう。
「だが、状況が変わった」
彼女は液体を透かし見ながら、独りごちた。
「あいつがここに来たなら……事態は好転する」
セレーナはコレットを見て、獰猛に笑った。
「だから私は、私の戦場に専念できる。……おいコレット、手伝え」
「えっ、わ、私ですか?」
「お前のそのデタラメな魔力量、タンク代わりにはなる。この中和剤の精製プロセスに、お前の魔力を流し込め」
セレーナはコレットの手を取り、部屋の奥にある巨大な錬金釜へと引き寄せた。
「いいか、出力全開だ。ただし暴発させるなよ? 私の指示通りに、細く、長く、限界まで絞り出せ。……これも特訓だ」
カインが裏で敵を討つなら、自分は表で命を繋ぐ。
言葉を交わさずとも成立する、かつての「三強」の阿吽の呼吸。その一端に触れ、コレットは武者震いにも似た高揚を感じていた。
「はいっ! やります!」
コレットは袖を捲り上げた。
その瞳にもう、迷いはない。




