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【完結】咎人とアズライト〜国を捨てた魔法士は、記憶を失う転生者と旅をする〜  作者: 文月ナオ
第二章 紅蓮の魔女と狂気の研究者

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17話 見えない蜘蛛の巣

 診療所の裏手に広がる路地裏は、表通りの喧騒とは無縁の静けさに包まれていた。

 だが、その空気は表よりもさらに重く、澱んでいる。

 カインは足を止め、コレットの胸元を見た。アズライトの栞には、微細な亀裂が走っている。

 魔力の負荷に耐えきれず、限界が近い証拠だ。


「……引き返すぞ。まずは栞の修理だ。応急的に俺の魔法で処理をする。少し時間はかかるが……」


 カインは踵を返そうとした。

 だが、コレットはその場を動かなかった。


「嫌です」


 短く、しかし強い拒絶。

 彼女は真っ直ぐにカインを見つめ返した。


「栞が壊れれば、また私が魔獣を呼んでしまうかもしれません。それは怖いです。……でも」


 コレットは、路地裏の奥でうずくまる病人の姿を視界の端に捉えていた。


「私一人の安全のために、今苦しんでいる人たちを見捨てることはできません。そんなことをして生き延びても、私は一生、自分を許せなくなります」


 その瞳には、かつて「祈り」だけでは何も救えなかった過去への決別が宿っていた。

 カインは数秒間、彼女と睨み合った後、大きく溜息を吐いて頭を掻いた。


「チッ。……リ……猫、案内しろ」


 カインは諦めたように顎をしゃくった。

 リザはニヤリと笑い、壁に手をついて街を見渡した。


「おっけー。……でもねおじさん、ちょっと厄介だよ」


 リザの瞳が、怪しく輝く。

 彼女の『魔視』には、おぞましい光景が映っていた。


「さっき『黒いヒル』って言ったけど、あれ……空から、降ってきてる」


 リザが空を指差す。だが、そこには何も無い。ただの曇り空だ。


「なんにもないよ?」

「もっと高いところ。街の上空全体に、薄ーい膜みたいなのが張ってる。そこから黒い糸が無数に垂れ下がって、人々に突き刺さってるんだよ。まるで……」

「……蜘蛛の巣か」


 カインが呟く。リザは頷いた。


「そう。街全体が、巨大な蜘蛛の巣に覆われてるみたい。……ねえおじさん、こんな大規模な術式、一人で維持できるもんなの?」

「いや、不可能だ」


 カインは即答した。

 オダイ・ジニは人口数万を抱える大都市だ。

 その全域を覆うほどの結界を展開し、かつ数千人から同時に生命力を吸い上げるなど、個人の魔力容量では到底賄いきれない。

 もしやるとすれば――


「……『支点』があるはずだ」


 カインは鋭い視線で街を見回した。


「これほど大規模の術式なら、結界を支えるためのパイルが、街の要所要所に打ち込まれているはずだ。黒い糸が特に濃く集まっている場所を探せるか?」

「えっと……ちょっと待ってね」


 リザは目を細め、街の色彩情報をフィルタリングしていく。

 人々の生活マナ、建物の無機質なマナ、それらを取り払い、異質な「黒」だけを浮き彫りにする。


「……ある。あっちの方角、古井戸のあたり。それと、東の時計塔。西の墓地にも……うわ、全部で五箇所もあるよ」

五芒星ペンタグラムか。古典的だが、効果的な配置だ」


 カインは冷笑した。

 病気に見せかけた、大規模な儀式魔法。

 この街の人間は、知らぬ間に巨大な魔法陣の上で生活させられているのだ。


「一番近いのは?」

「ここから二つ先の通りにある、共同井戸だね」

「行くぞ。現物を確認する」


 共同井戸は、すでに封鎖されていた。

「汚染の疑いあり」という立て札が立てられ、人々は寄り付かない。

 だが、リザの目には、そこからどす黒い瘴気が噴き出しているのが見えていた。


「……うげっ、臭っ。マナが腐ってるよ」


 リザが鼻をつまむ。

 カインは周囲を警戒しつつ、井戸の縁に手をかけた。

 中を覗き込む。水面は黒く濁り、底の方から奇妙な振動音が響いている。


「コレット、離れていろ」


 カインは指先を井戸に向けた。風の刃を形成し、水底にある「違和感」に向けて放つ。

 バシュッ。

 水が割れ、何か硬いものが切断される音がした。

 次の瞬間、井戸の底から黒い石柱のようなものが浮き上がってきた。

 表面にびっしりと不気味な呪文が刻まれた、人の背丈ほどもある杭だ。


「……これか」


 カインはその杭を引き上げ、地面に転がした。

 刻まれた文字を見た瞬間、カインの目が険しくなった。


「……古代語エンシェント魔法か。随分と古い術式を引っ張り出してきたものだ」

「読めるの?」

「ああ。だがこれは、ロクなもんじゃない。『生命の譲渡』と『強制循環』。……やはり、この街の人間の命を吸って、どこかへ送るためのポンプだ」


 カインは杭を蹴り飛ばした。


「この杭が、街の地下水脈に呪いを流し込んでいる。人々は水を飲み、あるいは水路の空気を吸うことで、体内に呪いの種を植え付けられる。……潜伏期間を経て発芽したのが、あの『黒いヒル』だ」

「そんな……。じゃあ、お水を使っちゃいけないんですか?」


 コレットが青ざめる。

 水はこの街の命綱だ。薬を作るにも、人々が生活するにも欠かせない。


「元を断たなきゃ意味がない。……残りの四箇所も同じような場所か?」

「うん。水路の合流点とか、地下水が湧く場所ばっかりだね」

「犯人は、この街の水源そのものを魔術的な回路として利用しているのか」


 カインは空を見上げた。

 見えない蜘蛛の巣。その糸を操る主は、おそらくこの五つの杭の中心点――いや、もっと深い場所に潜んでいる。


「……壊せますか?」


 コレットが尋ねる。

 カインは無言で右手を掲げた。

 詠唱はない。

 ただ、圧倒的な魔力の奔流が、掌に収束する。


「壊すだけなら簡単だ。だが、これを壊せば術者に感づかれる。追っ手が来るだろうな」

「構いません」


 コレットは毅然と言った。


「相手が出てくるなら好都合です。……ですよね? カインさん」

「……少しは、俺のことをわかってきたようだな」


 カインはニヤリと笑い、そして無慈悲に杭を粉砕した。

 パァンッ!!

 黒い石柱が弾け飛び、同時に空を覆っていた「見えない膜」の一部が揺らぎ、裂けるのをリザは見た。


「――始まったぞ」


 カインが低く告げる。


「蜘蛛の巣を揺らしたんだ。あるじが出てくるか、あるいは……掃除屋が来るか」


 その言葉に応えるように、路地裏の影がざわりと揺れた。

 黒い泥のような不定形の何かが、地面から染み出し、形を成していく。

 それは、街の自浄作用として仕掛けられた、自動防衛用の使いゴーレムたちだった。


「……掃除屋の方か。猫、敵のコアを探せ。コレット、隠れていろ」

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