15話 薬師の聖地 オダイ・ジニ
街道を行く馬車のリズムに合わせて、リザの鼻歌が響く。
宿場町リベを出てから三日。
一行は、乗り合い馬車に揺られて西を目指していた。
「ねえ、コレット。あれ見て」
リザが窓の外を指差す。
のどかな平原が広がっているだけに見えるが、彼女の目には違うものが映っているらしい。
「あそこの岩陰、ちっちゃいのが隠れてる。ゴブリンかな? ……他のゴブリンに対してファイアボールを撃とうとしてる。縄張り争いって奴だね」
「えっ!? 魔法?」
コレットが驚いて身を乗り出す。岩陰からは煙一つ上がっていない。
予兆など何も見えない。
「撃たないよ。やめたみたい。あいつビビりだな」
リザはつまらなそうに頬杖をついた。
「すごいね……。リザちゃんには、未来が見えているみたい」
「未来じゃないよ。設計図が見えてるだけ」
リザは自分の大きな瞳を指差した。
「私の『魔視』はね、マナの色が見えるだけじゃないんだ。相手が魔法を使おうとする時、マナがどう動いて、どんな形を作ろうとしているか……その『骨組み』が見える」
リザは窓ガラスに指で図形を描いた。
「魔法には手順があるでしょ? 燃料を集めて、形を決めて、火をつける。その準備段階が丸見えなの。『あ、こいつ今マナを集めてるな』『この組み方は炎魔法だな』ってね」
「へぇ……」
「だから、発動する前に先読みできる。ま、そのためには魔法の勉強しなきゃいけないんだけどさ。私、これでも結構インテリなんだよ?」
リザはえっへんと胸を張った。
ただ「見える」という才能に胡座をかかず、それを活かすための知識を独学で詰め込んできたのだ。
カインは腕を組んで狸寝入りをしていたが、内心で少しだけ評価を改めていた。
この小娘は、口だけではない。生きるために必要な努力を知っている。
「……でも、やっぱり一番ヤバいのはおじさんだね」
不意に、リザが口元を隠すように手を当てて目と声を潜めた。
視線は、隣で眠るカインに向けられている。
「おじさんの中身、底なし沼みたいに真っ黒で、深すぎて覗けないんだ。表面に見えてるだけでも、とんでもない量が渦巻いてるんだけどさ……」
リザは首を傾げ、眉をひそめた。
「なーんか変なんだよね」
「変、って?」
「うーん。普通、魔力を隠す時って、自分の意思で内側にギュッて固めるんだよ。でも、おじさんの場合は違う。違うって言うか、ぎゅうぎゅうには固めてるんだけど……」
リザはカインの胸元あたりをじっと見つめた。
「ただ自分で抑え込んでるだけじゃなくて、もっと別の、凄く硬くて冷たい、強い何かで『抑え込まれてる』ような……そんな不自然な感じがするんだ」
「抑え込まれてる……?」
コレットもカインを見る。静かな寝顔。
けれどその内側には、本人の意思ですら制御しきれないような、あるいは誰かの意思によって封じられたような、歪な力が眠っている。
リザの目は、その違和感を敏感に感じ取っていた。
「ま、深く覗こうとすると頭が割れそうになるから、やめとくけどね」
リザは肩をすくめ、視線を窓の外に戻した。
深淵を覗く時は、深淵もまたこちらを覗いている。路地裏で学んだ教訓だ。
◇
夕暮れ時、馬車は目的の街へと到着した。
高い城壁に囲まれた、巨大な都市。
城門の前には長蛇の列ができている。
「着いたよ。薬師の聖地、『オダイ・ジニ』!」
リザが馬車を降り、伸びをした。
風に乗って、独特な薬草の匂いが漂ってくる。
ここは大陸有数の医療先進都市。かつて大賢者が伝えたとされる「ヤクヒン」の製造法を受け継ぎ、多くの薬師や治療師が集まる場所だ。
「オダイ・ジニ……変わった名前だね」
「でしょ? 大賢者様が残した『癒やしの言葉』なんだってさ。美味しいものもいっぱいあるし、温泉も……って、あれ?」
リザが言葉を切った。
城門の様子がおかしい。衛兵の数が普段の倍以上おり、入街者の検問が厳重に行われている。物々しい雰囲気だ。
「……何かあったのか」
カインが荷物を肩に担ぎながら近づいてきた。
リザはすぐに近くの行商人に聞き込みに行き、数分で戻ってきた。その顔は少し曇っている。
「ビンゴ。……なんかね、街で変な病気が流行ってるらしいよ」
「病気?」
「うん。原因不明の高熱が出て、薬が効かないんだって。だから封鎖気味みたい」
カインは露骨に顔をしかめた。厄介ごとの匂いがする。
「……面倒そうだな。ここでは色々と調達をしたかったんだが……迂回するか」
「ええっ!? せっかく来たのに!?」
「流行り病がある場所にわざわざ飛び込む馬鹿はいない。野宿の方がマシだ」
カインが踵を返そうとした時、検問の列に並ぶ男たちの噂話が耳に入ってきた。
「おい、見たか? 中央診療所に来たっていう、あの人」
「ああ、見たとも。……息が止まるかと思ったぜ」
男の一人が、恍惚とした表情で溜息をついた。
「燃えるような赤髪に、透き通るような白い肌。あんな美人は見たことがねえ。すれ違った奴らが全員振り返って、言葉を失ってたよ」
「美しさだけじゃない。あの佇まい、ただ者じゃないぞ。『紅蓮の魔女』セレーナ様だろ? 三強の一人が直々に来てくれるなんて、この街も救われたな」
カインの足が、ピタリと止まった。
その背中から、どす黒いオーラが立ち上るのを、リザの魔視は見逃さなかった。
「……セレーナ様?」
コレットが首を傾げる。
「有名な人なの?」
「えっ、コレット知らないの? この世界の常識じゃん!」
「私の故郷は……その、森の近くの何もない村だったし、私は魔法の指南書くらいしか本も読んだことなくって……」
「世間知らずにも程があるってば。いい? セレーナ様は、有名も有名だよ! 世界最強の魔法士の一人、『紅蓮の魔女』セレーナ様! 無詠唱魔法の概念を編み出して、その理論を定着させた伝説の人だよ!」
リザが興奮気味に説明する横で、カインは深く、深く溜息を吐いた。
そして、苦虫を噛み潰したような顔で天を仰いだ。
「……よりによってあいつか……」
小さな、しかし心の底からの嫌悪と動揺が混じった声。
カインは額を押さえる。
その反応に、リザの猫のような目があざとく怪しく光った。
この普段動揺しない男が、たった一つの名前を聞いただけで、これほどまでに動揺している。
(……怪しい。匂う。匂う! トラブルの香り!)
リザの勘が告げている。この街には、病気よりももっと面白い「何か」がある。
「ねえおじさん。もしかして、セレーナ様の知り合いだったりする?」
「……知らん。行くぞ」
カインは即答し、来た道を引き返そうとした。
疫病に、セレーナ。関わりたくない要素のオンパレードだ。多少の遠回りをしてでも、この街は避けるべきだ。
ピシッ。
不意に、小さく何かがひび割れる音がした。
カインが足を止め、コレットを見る。
コレットは胸元を押さえ、苦しげに顔をしかめていた。
「……コレット?」
「あ、あの……栞が……」
コレットが取り出した「アズライトの栞」。
透明だったはずの結晶が白く濁り、表面に亀裂が走っている。
魔力の放出を抑える負荷に耐えきれず、器である樹脂が限界を迎えたのだ。
(予想はしていたが、やはり即席の樹脂じゃそう長くは保たんか……こうなる前に完全なものに補強するために、この街で調達したいものがあったんだが……)
カインは栞を手に取り、眉間の皺を深くした。
このままでは数日と持たない。
栞が壊れれば、コレットは魔力制御の指標を失い、また魔獣を引き寄せる「撒き餌」に逆戻りする危険性がある。
補強するには、特殊な触媒と錬金設備が必要になる。そして、この辺りでそれが揃う場所は――
カインはゆっくりと振り返り、目の前にそびえ立つ城壁を見上げた。
薬師の聖地、オダイ・ジニ。
ここしかない。
「……上手くいかんものだな」
カインは踵を返した。逃げようとした検問の列に、仕方なく並び直す。
「あれ? 行くんじゃなかったの?」
リザがニヤニヤしながら尋ねる。
カインは苛つく笑みを浮かべたリザを無視し、コレットに視線を落とした。
「……栞の補修材を買う。さっさと用事を済ませて出るぞ」
「あ……ごめんなさい、私のせいで……」
「お前は何も悪くない。道具の不備は製作者の責任だ」
ぶっきらぼうに言い放つが、その表情は「処刑台に向かう囚人」のように暗い。
リザはそんなカインの背中を見て、楽しげに笑った。
「ふふん。ま、いいんじゃない?」
リザはコレットの手を引き、歩き出した。
「行こう、コレット! 伝説の美魔女に会えるかもよ!」
「え、ええっ? カインさんは凄く嫌そうだけど……」
困惑するコレットと、楽しげなリザ。
そして、死んだ魚のような目をしたカイン。
三人は、薬と病、そして「過去」が待つ街、オダイ・ジニへと足を踏み入れた。




