150話 夜明け
「……ノエル……!」
シオンは腕の中の妹を抱きしめ、涙を流した。
少女の胸は、微かに、けれど確かに上下している。呪縛から解き放たれた命の鼓動。
「よかった……本当によかった……」
リザがへたり込み、安堵の息を吐く。
だが、感傷に浸る時間は残されていなかった。
ゴゴゴゴゴゴ……!!
地底から響く地鳴りが、轟音へと変わる。
魔力供給を断たれた聖樹が枯死し、急速に炭化していく。それを支柱としていた地下空間、そしてその上に立つ白亜の塔が、バランスを失って崩落を始めたのだ。
「まずいぞ! ここが潰れる! 脱出だ!」
ザックが叫ぶ。天井から巨大な瓦礫が降り注ぐ。
「アトス!」
セレーナがカインの腕を引く。
だが、カインの足は動かなかった。特異点の力を使いすぎた代償で、全身の細胞が悲鳴を上げ、神経が焼き切れている。
「……悪い。……足が、動かん」
カインが自嘲気味に笑う。瓦礫の一つが、カインの頭上へ落下してくる。
「――させませんッ!」
コレットが飛び出し、【アズライトの栞】を掲げた。
即座に展開された防壁が、岩塊を弾き飛ばす。
「私が運びます! 先生、反対側をお願いします!」
「ええ!」
コレットとセレーナがカインを左右から支え、引きずるようにして走り出す。
シオンもノエルを抱きかかえ、リザの手を引いて駆け出した。
「こっちだ! 俺たちが掘った脱出坑道がある!」
ザックが先導する。
迷路のような地下通路を、瓦礫を避けながら疾走する。
背後で、聖樹の間が完全に崩落し、土砂に埋もれていく音が聞こえる。轟音と粉塵が、すぐ後ろまで迫っている。
「くっ……!」
逃げる先でも、天井が崩れ、退路を塞ごうとする。
カインが反射的に手をかざそうとした。最後の力を振り絞り、道を開こうとして――。
「だめです!!」
コレットが叫び、カインの手を押さえつけた。
その瞳は、叱責するように、けれど慈愛に満ちていた。
「カインさんは休んでて! ……ここは、私が!」
コレットが前に出る。彼女の背中から、桜色の光――ルビィが飛び出した。
「みんなー!! お願い、私たちを守って!」
『まかせてー!』
ルビィの声と共に、無数の光の精霊たちが集まり、頭上に輝くドーム状の結界を展開した。
降り注ぐ岩塊が、光の盾に弾かれる。ただ防ぐだけではない。精霊たちが瓦礫を押し返し、強引に道を作り出していく。
「……はは……こりゃ……いいな……」
カインが力なく笑う。
かつて守られるだけだった少女に、今は自分が守られている。
彼女は今、英雄を守る盾となり、道を切り開く希望となっている。
「出口だ! 光が見えるぞ!」
ザックの声。前方に、地上へと続く梯子と、微かな外光が見えた。
「急げ! 一気に抜けるぞ!」
一行は最後の力を振り絞り、梯子を駆け上がった。
全員が地上へ飛び出した直後。
ズズズ……ドォォォォォォン!!!
背後で、聖教自治区の象徴であった「白亜の塔」が、土煙を上げて崩れ落ちた。
美しい巨塔は瓦礫の山となり、歪んだ秩序の終わりを告げる墓標となった。
「はぁ……はぁ……」
全員がその場に倒れ込む。傷だらけで、血まみれで、息も絶え絶えだ。
だが、生きていた。
空を見上げると、厚い雲が割れ、東の空から朝日が差し込んできていた。
夜が明ける。長い長い、戦いの夜が。
「……ん……」
シオンの腕の中で、小さな声がした。
ノエルが、うっすらと目を開けたのだ。
「……おにい、ちゃん……?」
「ノエル……!」
シオンの声が裏返る。
「……ここ、どこ? ……お兄ちゃん、泣いてるの?」
ノエルが弱々しく手を伸ばし、シオンの頬に触れた。その手は温かかった。
「……ごめん。ごめんね、ノエル……! 遅くなって、ごめん……!」
シオンは妹を抱きしめ、子供のように泣きじゃくった。
騎士としての仮面も、強がりも捨てて。ただの兄として。
「……よかったね、シオン」
リザが優しく微笑み、シオンの頭を撫でた。
その光景を、カインは薄れゆく意識の中で見つめていた。
(……守れた、か)
リザの笑顔。コレットの無事。そして、この国の未来。
代償は大きかったが、得たものもまた、大きい。
「……カインさん?」
コレットが心配そうに顔を覗き込む。朝日に照らされた彼女の顔は、女神のように美しかった。
「……ああ。……ちょっとだけ、眠いな」
カインは目を閉じた。
泥のように重い疲労感が、心地よい眠りへと誘う。その手は、コレットの手をしっかりと握ったままだった。
聖教自治区に、新しい朝が訪れる。
それは、彼らの旅の、一つの終わりと始まりを告げる朝だった。




