149話 聖樹の慟哭
ズズズズズ……ッ!!
地底から響く不吉な振動が、聖都全体を激しく揺さぶっていた。
ギデオンが倒れたことで制御を失った「聖樹」が、飢餓状態に陥り、都市そのものを喰らおうと暴走を始めたのだ。
空を覆っていた結界が赤黒く変色し、地面の至る所から巨大な樹の根が噴出してくる。
「……ッ、ノエル……!」
広場の端。
リザの腕の中で気を失っていたシオンが、弾かれたように目を開けた。
傷だらけの体。血は止まっていない。だが、彼はリザの制止を振り切り、ふらつきながら立ち上がった。
「シオン! 無理だよ、そんな体じゃ!」
「行かなくちゃ……。ノエルが……呼んでる……!」
兄としての本能が、肉体の限界を凌駕していた。彼は足を引きずりながら、カインたちの元へ駆け寄る。
「……地下だ! ノエルの装置が暴走している!」
シオンの悲痛な叫び。
妹を救わなければならない。だが、地下への入り口は暴れ狂う樹の根によって塞がれつつあった。
「行くぞ。……道は俺がこじ開ける」
カインがふらつきながら立ち上がる。
全身血まみれで、立っているのが不思議なほどの重傷だ。背中の排出口からは、まだ煙が上がっている。
「だめです!」
コレットがカインの体を支える。
「これ以上力を使ったら、カインさんの体が壊れちゃいます!」
「みんなを死なせる訳には行かない」
カインが腕を振るおうとした時、横から小さな手が伸びてきた。リザだ。
彼女はカインの手をギュッと握り、真っ直ぐに見上げた。
「カインは休んでて。……道案内なら、私がやるから」
「リザ……?」
「私の『魔視』なら、この暴走したマナの隙間が見える。ねぇ! シオン! 私を抱えて走れる?」
リザがシオンを振り返る。シオンは痛みに顔を歪めながらも、力強く頷いた。
「もちろん!」
「よし! コレットはカインをお願い! みんな、私についてきて!」
リザの瞳が茜色に輝く。
混沌とした瓦礫と根の迷路の中に、一本の「安全なライン」が鮮明に浮かび上がる。
「こっち! 右の隙間!」
リザの指示に従い、シオンが先陣を切る。カインはコレットに肩を借り、歯を食いしばって後に続いた。
◇
地下施設。そこは地獄と化していた。
暴走した聖樹の根が部屋中をのた打ち回り、あらゆるものを破壊している。
「キリがないな」
先行していたセレーナとザックたちは、部屋の隅で防戦一方だった。セレーナが炎で根を焼き払い、ザックが大剣で叩き切るが、再生速度が早すぎる。
「先生! ザックさん!」
コレットの声が響く。
「おお、来たか! ……カイン! お前その体……!」
セレーナがカインの惨状を見て息を呑む。だが、カインはニヤリと笑った。
「……死にぞこないさ。それより、状況は?」
「最悪だぜ! あの中央の『聖櫃』……ノエルちゃんが取り込まれかけているぜ!!」
ザックがガラスケースを指さす。
部屋の中央。
ガラスケースはひび割れ、聖樹の根がノエルの体に直接絡みつき、急速に生命力を吸い上げている。
少女の顔は土気色になり、もはや虫の息だ。
「ノエル!!」
シオンが悲鳴を上げて飛び出そうとする。
だが、巨大な根が壁となって立ちはだかる。
「どけぇぇぇッ!!」
シオンが神聖術を放つが、根は再生し、さらに数を増して襲いかかる。物理も魔法も、圧倒的な質量で押し潰そうとしてくる。
「……俺がやる」
カインが前に出た。
最後の力を振り絞り、特異点を解放しようとする。この広大な地下空間ごと、聖樹を消滅させる一撃。それを使えば、カインの命も尽きるかもしれない。
「お前はいつもそうだな」
セレーナがカインの前に立った。
彼女は懐から数本の魔力ポーションを取り出し、一気に飲み干す。致死量に近いドーピング。
「いつもそうして、一人でなんでもしようとする」
セレーナは手首に巻いていた、古びた髪紐を解いた。
それは15年前、親友から贈られた大切な宝物。彼女は慣れた手つきで赤い髪を束ね、ポニーテールにする。
「今ここには……私がいるんだから、頼れバカ」
「セレーナ……」
「……それとも……私って、そんなに頼りないかな? アトス」
振り返ったセレーナの表情は、どこかあどけなく、15年前の少女のようだった。
彼女は前を向き、全魔力を解放する。
「私の……全てを……。……ううん。足りない」
相手は暴走する聖樹。都市の魔力を吸い上げた怪物だ。一人の魔女の命を燃やしても、止められるかどうか。
セレーナのポニーテールが揺れる。彼女は目を閉じ、心の中で呼びかけた。
(ねぇ……フレデリカ。少しだけ、力を貸してくれない?)
もう会えない、最愛の親友。
けれど、何故か今なら届く気がした。
(もし、私の声が聞こえてたら……ほんの少しだけ、私に力を貸して。お願い)
セレーナは自身の頬が火傷するほどの炎魔法を、最大出力で展開する。命を削る紅蓮の炎。
◇
場所は変わり、遠く離れた街道。
ガタゴトと揺れる馬車の中で、ジークは盛大にぼやいていた。
「はぁ〜……不眠不休で探したのに、結局精霊王に会うどころか、妖精郷にすら行けねぇんだもんなぁ……」
「動機が不純すぎるのよ。邪すぎて、見透かされて拒絶されただけでしょ」
隣に座るエレナが呆れたようにツッコミを入れる。
その時。
キィィィ………ン……。
耳鳴りのような、けれど懐かしい波動がエレナの胸を打った。
「!!」
エレナがハッとして顔を上げる。そして、両手を組み、祈り始めた。
「えっ! 怖っ! なに!? いきなり何!? やば!! えっ!?」
ジークがビクリとのけ反る。突然無言で祈り出した相棒の奇行に、流石の英雄も困惑気味だ。
「う、うっさいわね! ちょっと黙っててよ!」
エレナは頬を赤らめ、ジークを一喝する。
そしてまた、静かに祈る。
――聞こえた気がした。
懐かしい声。
大好きな人が……私に「助けて」って言った声が。
(……届いて。私の魔力)
◇
地下施設。セレーナの炎が、爆発的に膨れ上がった。
「……!」
セレーナは目を見開く。
自分の中の魔力ではない。どこか遠くから、温かくて優しい光が流れ込んでくる。金色に輝く、懐かしい魔力。
「……これなら、いける……!」
セレーナは手を大きく突き出した。
「コレット! 私の全魔力を出すから! 精霊魔法で、あいつの動きを『固定』して!」
「はいっ!」
『ほいほいさー!』
コレットが【アズライトの栞】を掲げる。ルビィが光となってセレーナの杖に宿る。
炎と水。相反する二つの属性を、師弟の絆と、遠く離れた親友の祈りで強制的に融合させる。
「――合成魔法『氷炎の柩』!!」
セレーナとコレットが同時に放つ。
絶対零度の氷と、焼き尽くす炎が螺旋を描き、暴れる聖樹の根を包み込んだ。熱膨張と収縮の檻。
聖樹の動きが、一瞬だけピタリと止まる。
「今だ!」
カインが叫ぶ。道が開いた。
「行こう、シオン!」
リザがシオンの手を引く。彼女の『魔視』が、聖櫃に絡みつく根の「魔力供給点(急所)」を捉えていた。
「あそこ! あの赤い光の筋を断ち切って!」
「はいッ!!」
シオンが飛ぶ。
傷だらけの体で、リザに導かれ、迷いなく聖櫃へと肉薄する。
折れた剣に、ありったけの祈りと魔力を込める。
「返してもらうぞ……僕の大切な妹を!!」
一閃。
光の刃が、ノエルを縛る呪いの根を両断した。
パリーン!!
ガラスが砕け散り、聖櫃が機能停止する。
シオンは崩れ落ちてくるノエルを、しっかりと腕の中に抱き止めた。
「……ノエル……!」
少女の胸が、微かに、けれど確かに上下している。生きている。
魔力の供給が断たれた聖樹が、断末魔のような震動を上げ、急速に枯死していく。
「……やったな」
カインはその場に膝をつき、安堵の息を吐いた。視界が暗転する。限界だった。
「カインさん!」
コレットが慌てて支える。その手から、温かい治癒の魔力が流れ込んでくる。
「……死なせません。絶対に」
コレットが泣きそうな顔で、けれど力強く宣言する。
コレットも、カインも、セレーナも、リザも、シオンも、ザックも。
全員がボロボロで、けれど、誰一人欠けることなく、彼らはこの死地を乗り越えた。




