14話 飼い猫
夜が更け、宿場町は静寂に包まれていた。
リザは一人、石畳の路地を歩いていた。
ただ、最後に一目だけ見ておきたかった。
足が、自然と『黒猫亭』の前で止まった。
見上げた二階の窓には、まだ明かりが灯っている。カインとコレットがいる部屋だ。
(……何してんだろ、私)
リザは自嘲気味に笑った。
いつもなら、迷わずドアを叩いていただろう。
「案内してやるから金をくれ」と、あるいは「面白そうだから混ぜろ」と、軽口を叩いて売り込んでいたはずだ。
けれど、足が動かない。
あの二人――特にカインという男は、リザがこれまで見てきた「大人」とは違った。
利用することも、搾取することもなく、ただ圧倒的な力で守り、何も言わずに去っていく。
そんな眩しい存在の隣に、薄汚い路地裏で生きてきた自分が並んでいいのか。
「……ま、私にはちょっと眩しすぎるかもね」
リザは踵を返した。
あんなバケモノじみた連中と関われば、命がいくつあっても足りない。
一人は気楽だ。誰にも縛られず、誰の責任も負わなくていい。
そう自分に言い聞かせ、リザは闇に消えていった。
その背中を、二階の窓から無言で見下ろす影があったことに、彼女は気付かなかった。
◇
――翌朝。
朝霧が立ち込める中、リザは小さな革袋一つを背負い、街の門へと向かっていた。
衛兵に手を振り、門をくぐる。振り返らない。ここにはもう、未練はない。
「……さ、私の新しい人生! 行くか!」
街道に出て、大きく伸びをする。
自由だ。どこへでも行ける。
なのに、胸の奥に鉛のような重さが残っているのは何故だろう。
「……困るな」
「はにゃぁ!!?」
不意に、低い声がした。
リザは心臓が跳ね上がるのを感じて振り返った。
街道脇の巨木に寄りかかり、腕を組んで立っている男がいた。
黒髪に、鋭い青灰色の瞳。不機嫌そうな顔をした男、カインだ。
「……え? おじさん?」
「俺はボランティアじゃない。タダ働きはごめんだ。あとおじさんではない」
カインはリザを見据え、淡々と言った。
「な……なんのことさ?」
「赤蛇の件だ。貸してやったろう。戦力を」
カインが一歩、踏み出す。
「あの場の指揮権はお前に委ねた。結果、お前は目的を達し、俺の連れは相応のリスクを負った。……その報酬を貰っていないが?」
リザは目を丸くした。報酬。確かに、カインは「戦力を貸す」と言った。
だが、それは子供たちを助けるための共闘であって、ビジネスの契約ではなかったはずだ。
いや、それはリザの都合のいい解釈に過ぎない。
彼らが縁のない子供を命をかけて守る義務など無いのだから。
「ざ、残念だったね。私はお金ないよ。おじさんだって知ってるでしょ」
リザは一歩後ずさり、精一杯の虚勢を張った。
「全財産、トトたちにあげてきちゃったし。もうすっからかんだよ」
「……それで夜逃げか。いや、今は朝だから朝逃げか?」
「なっ……あのねぇ! 私はここから出てくだけ! おじさんには感謝してるけど、私が支払えるものはないの!」
リザは叫んだ。
感謝しているからこそ、何も返せない自分が惨めだった。カインは無表情のまま、リザの足元から頭のてっぺんまでを値踏みするように見回した。
「金がないなら、身体で払ってもらうしかないな」
「え……」
リザの思考が停止した。
カインの瞳には一切の欲情はない。
ただ、道具の性能を見極めるような、冷徹な光があるだけだ。だからこそ、怖い。
「え、ええっ!? な、何言って……ちょ、犯罪だよ!?」
「労働力の提供だ。何を勘違いしている」
カインは呆れたように鼻を鳴らした。
「俺とコレットには苦手なことがあってな。宿の手配、物資の調達。人と金が関わる交渉全般だ。……それに、コレットの護衛には目端の利く斥候が必要だ。『魔視』なんかがあれば文句ないだろうな」
「それって……」
「リザちゃん!」
カインの後ろから、明るい声が響いた。
ひょこりと顔を出したのは、大きな荷物を背負ったコレットだった。彼女は満面の笑みで駆け寄ってくる。
「私たちと一緒に行こう。リザちゃん。……いや……かな……?」
「お姉さん……」
「カインさんがね、リザちゃんがいなきゃ困るって。あの街で一番頼りになるのはあの子だって、昨日の夜からずっと言ってたよ」
「……い、言ってない!」
「い、言ってました!!」
コレットの暴露に、カインが顔を背ける。
リザは呆気に取られ、そしてカインを見た。
この不器用な男は、わざわざ自分を待ち伏せして、借金の取り立てという名目で「居場所」を与えに来たのだ。
「……ほんと、変な人たち」
リザの目から、涙が溢れた。拭うのも忘れて、彼女は笑った。
「高くつくよ、私のガイドは!」
「アホか。お前は借金を払う側だろうが」
「そんなのすぐ帳消しになるって! 私は凄いから!」
カインが歩き出す。
コレットが手を差し伸べる。
リザはその手を取り、力強く握り返した。
「よろしくね! おじさん! お姉さん!」
「な……名前で呼んでくれると嬉しいな……」
「こ、コレット……」
リザが少し頬を赤らめ俯く、その顔をカインが横目で見る。
「な、なに! おじさん!」
「おじさんではない。名前で呼べ」
「おじさんはおじさんだよ!」
「チッ。泥棒猫の小娘め」
「おじさんが私の事名前で呼んでくれたら、私も名前で呼んであげるよ!」
「フン」
朝霧が晴れ、三人の影が街道に伸びる。




