146話 ヒーローの資格
カインが前に出る。
その背中は、どんな城壁よりも頼もしく、シオンとリザを遮るように立ちはだかっていた。
「リザ、そいつを任せていいか」
カインは振り返らずに告げた。
その言葉に、リザはハッとして我に返る。
今のシオンは重傷だ。ギデオンの一撃は深く、肩から胸にかけて切り裂かれている。
すぐに治療しなければ危ない。
「うん! その代わりそいつは任せたよ、カイン!」
リザはシオンの無事な方の腕を肩に回し、彼を支え起こした。
シオンの傷口から溢れ出した鮮血が、リザの純白のドレスを朱く染め上げていく。
それはまるで、生贄の衣装が、戦う者の証へと塗り替えられたかのようだった。
「……う、く……」
シオンが苦悶の声を漏らす。足がもつれ、リザに体重を預ける形になる。
「しっかりして! 広場の隅まで運ぶから!」
リザは懸命にシオンを引きずり、戦場の中心から離れようとする。
広場の端、瓦礫の陰に身を隠すと、リザはシオンをそっと壁に持たせかけた。
「はぁ、はぁ……」
シオンの顔色は蒼白だった。出血の多さに、リザの手が震える。
彼女のドレスは肩や背中が大きく開いたデザインだったが、シオンの血と泥で汚れ、肌も露わになっていた。
ふと、シオンの視線が、リザの華奢な肩から背中にかけて吸い寄せられた。
(……っ)
シオンは息を呑んだ。
そこには、無数の「古傷」が刻まれていたからだ。
新しいものではない。何年も前に付けられたであろう、鞭や刃物の痕。火傷の痕のようなケロイドもある。
それは、彼女が「リザ」として生きる前に味わってきた、地獄の履歴書だった。
(あなたは……どんな人生を送ってきたのだろう)
シオンの胸が痛む。
明るく、奔放で、誰よりも強気な少女。けれど、その笑顔の下には、想像を絶する痛みが隠されていた。
リザが顔を上げ、広場の中央――カインが戦う背中を見つめて、嬉しそうに笑った。
「カイン……! やっぱり凄い!」
その笑顔は、曇りなく晴れやかだった。過去の傷など感じさせないほどに。
(なのに……そんなあなたを、笑顔にしてしまうあの人たちは……どれだけ、あなたを救ったんだろう)
シオンは、自分の血に濡れた手を見つめた。
(僕は……ノエルさえも救えない……ちっぽけな人間だ……)
無力感が胸を抉る。
守ると誓ったのに守られ、助けるはずが助けられた。何もかもが足りない。
その時。
「裏切り者を逃がすな! 殺せ!!」
広場の周囲から、怒号が響いた。
カインがギデオンと対峙している隙を突き、待機していた聖騎士団の親衛隊が、手負いのシオンとリザを始末しようと殺到してきたのだ。
数十人の武装した騎士たち。
「しまっ……!?」
リザが咄嗟にシオンを庇うように立ち塞がる。
彼女に戦う力はない。ただの肉の盾だ。
(……ふざけるな)
シオンの中で、何かが弾けた。
また、守られるのか。彼女に、これ以上傷を負わせるのか。
(でも……だから……!)
シオンは、折れた剣の柄を握りしめた。指の関節が白くなるほど強く。
痛みなど、彼女が背負ってきたものに比べれば、掠り傷にもならない。
(こんな……情けない状態じゃ……終われない……!!)
「……下がっていてください」
シオンは、リザの肩を優しく押し退けた。
「シオン!?」
シオンはふらつきながらも、地面を踏みしめて立ち上がった。
その瞳から、迷いは消えていた。
ヒーローになれなくてもいい。
ただ、彼女が信じてくれた「優しいシオン」でありたい。
彼女にこれ以上、傷一つ付けさせない。
「神聖術――『光輝の城壁』!!」
シオンが叫ぶ。
残った魔力の全てを搾り出し、光の壁を展開する。
殺到する親衛隊の剣や魔法が、その壁に弾かれる。
「ぐ、ウゥゥゥッ!!」
シオンの口から血が溢れる。傷が開く。意識が飛びそうになる。
だが、彼は一歩も引かなかった。折れた剣に光を纏わせ、壁を越えてこようとする騎士を薙ぎ払う。
「来させるかぁぁぁッ!!」
鬼気迫る咆哮。
その姿は、ボロボロで、泥だらけで、けれど誰よりも気高い「騎士」だった。
数分か、数秒か。
永遠にも思える時間を、彼はたった一人で耐え抜いた。
ドゴォォォォォン!!
豪快な風切り音と共に、巨大な鉄塊が飛来し、残りの親衛隊をまとめて吹き飛ばした。
ザック率いるレジスタンスの到着だ。
「よう、泣き虫シオン。……いい顔になったじゃねぇか」
ザックがニヤリと笑う。
シオンはそれを見て、フッと力を抜いた。
光の壁が消え、彼もまた膝から崩れ落ちる。
「シオン!!」
リザが駆け寄り、彼を抱き止めた。
「はぁ、はぁ……」
シオンは薄く目を開け、リザを見た。無事だ。新しい傷はない。
「……僕は……」
掠れた声。
「……僕は……ヒーローに……なれませんでした……」
ギデオンには勝てなかった。カインのような圧倒的な強さもない。
結局、最後はザックに助けられた。
だが、リザは首を横に振った。
彼女は涙を拭い、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「……やられちゃったもんね。でもさ……」
リザが顔を近づける。
チュッ。
「……!」
シオンが目を見開く。柔らかい感触が、彼の頬に触れた。
一瞬の、けれど温かい口づけ。
リザは顔を離すと、朱に染まったドレスなど気にも留めず、頬を赤らめてニカッと笑った。
「めちゃくちゃカッコ良かったよ!」
「……あ……」
シオンの時が止まる。
負けた。ボロボロだ。
なのに、彼女は笑ってくれた。
その笑顔が、そしてその言葉が、シオンにとっての「英雄の資格」だった。
「……リザ、さん……」
シオンは安堵し、リザの腕の中で意識を手放した。
その顔は、穏やかだった。
「……子供はゆっくり寝てな。あとは大人が引き受ける」
ザックが大剣を構え、残党に向き直る。
そして、広場の中央では。
「……来い、死に損ない」
ギデオンが聖剣を構える。その切っ先が、カインの心臓に向けられた。
「魔力回路は完璧に破壊した。魔法も使えんようだな」
「魔法士としてここに来たんじゃない」
カインは拳を構えた。
背中の回路が熱く脈打ち、特異点のエネルギーが右腕に収束していく。
血管が浮き上がり、皮膚が裂けて血が滲む。
だが、その表情は獰猛な獣のように笑っていた。
「お前をぶっ飛ばして、リザを連れて帰るために来たんだ」




