144話 決壊
カインが正門を粉砕し、バルコニーへ跳躍したその瞬間。
広場の混乱は頂点に達していた。
聖騎士団の注意が、規格外の侵入者であるカイン一点に集中する。
「今だ! 行くぞ!」
屋根の上で援護射撃をしていたセレーナが、短い合図を送った。
彼女はコレットを抱え、影に溶け込むように路地裏へと着地する。
「カインさん……!」
コレットが振り返り、単身で敵陣へ突っ込んだカインを見上げる。
心配ではある。だが、今の彼女の瞳にあるのは、信頼と使命感だった。
「あいつなら死なん。それより、私たちの役目を果たすぞ!」
セレーナがコレットの手を引く。
路地裏のマンホールが開き、ザックが顔を出した。
「こっちだ! 警備は手薄になってる。今のうちに地下へ潜るぞ!」
「はいっ!」
コレットは頷き、闇の中へと飛び込んだ。
一行は複雑な地下水路を駆け抜け、塔の基部へと続く隠し通路を突破した。
◇
「……ここだな」
セレーナが重厚な扉を魔術で焼き切る。
ザック率いるレジスタンスと共に雪崩れ込んだ先は、巨大な樹の根が脈打つ、異様なドーム空間だった。
中央には、ガラス張りの棺『聖櫃』。
その中で、シオンの妹ノエルが眠っている。
「彼女が……ノエルちゃん……」
コレットが息を呑む。
ガラス越しに見る少女の顔は、死人のように白い。
無数のチューブが彼女の体に突き刺さり、そこから淡い光――生命力が吸い出され、天井の聖樹へと送られている。
「……酷い」
コレットが口元をきつく結ぶ。
治療なんかじゃない。これはただの、生きた電池だ。
吸い上げられたマナは、都市を覆う結界の維持と、枢機卿の野望のために浪費されている。
「装置を止めるぞ。……コレット、術式の解析を頼む」
セレーナが指示を飛ばす。
下手に破壊すれば、ショックでノエルの命が尽きかねない。慎重に、かつ迅速にシステムを停止させる必要がある。
「はい! ……ルビィちゃん、力を貸して」
『うん!』
コレットは【アズライトの栞】を握りしめ、自身の魔力を装置の回路へと同調させる。
複雑に絡み合った搾取のプログラム。それを一つ一つ、精霊魔法士としての感覚で読み解いていく。
その時。
深く潜った意識の中で、コレットの脳裏にノエルの「声」が響いてきた。
『……おにい、ちゃん……』
『……たすけて……お兄ちゃん……』
声帯からは発せられない、魂の悲鳴。
それが、コレットの心を締め付ける。
「……聞こえます。この子の、叫びが」
コレットは目を見開き、セレーナを見た。
涙はない。あるのは、許せないという義憤だけだ。
「先生。この声を……外に届けられませんか?」
「何?」
「この子の声……お兄さんに届けなきゃ。……真実を知らせないと、この子はただ搾取されるだけの存在で終わってしまいます! 誰かが気づいてあげないと!」
コレットの訴えに、セレーナは一瞬目を見開き、そしてニヤリと笑った。
「……いい案だ。やってやろう」
セレーナが杖を振るう。
地下室の魔力回路をジャックし、それを都市全域に広がる放送用の術式へと強制接続する。
「コレット、繋がったぞ。……叫べ」
コレットは深く息を吸い込み、ルビィと共に叫んだ。
「届いて!!」
◇
地上。大聖堂前広場。
カインの突入により儀式は中断され、枢機卿イグナティウスは祭壇の上で狼狽していた。
「ええい、早く『神の眼』を起動させろ! 聖女を押さえつけろ!」
「ちょっ! さわんな! 変態!」
リザが抵抗する。
シオンは、その間で立ち尽くしていた。
カインの言葉、リザの瞳、そして枢機卿の狂気。
何が正しくて、何が間違っているのか。思考が崩壊しそうになる。
その時。
広場中に設置されたスピーカー(魔導拡声器)から、ノイズ混じりの少女の声が響き渡った。
『……おにい、ちゃん……』
シオンが顔を上げる。
聞き間違えるはずがない。世界で一番大切な、妹の声。
『……いたいよぉ……』
『……もう、やだよ……死にたくないよぉ……』
『……たすけて……シオンお兄ちゃん……!』
悲痛な叫びが、広場を埋め尽くす民衆の耳に届く。
ざわめきが静まり返る。
これは聖女の声か? いや、違う。もっと幼い、苦しみに満ちた子供の声だ。
「な、なんだこれは!? 音声を切れ! 誰が流している!」
イグナティウスが顔色を変えて怒鳴り散らす。
その反応が、何よりも雄弁な「答え」だった。
「……枢機卿、猊下……?」
シオンが震える声で呼ぶ。
「……嘘、ですよね? ノエルは……治療を受けて、安らかに眠っているはずじゃ……」
「ええい、うるさい! 黙れシオン! これは悪魔の幻聴だ!」
イグナティウスは焦りのあまり、口を滑らせた。
「あの娘は尊い礎なのだ! 多少の苦痛など、世界平和のための必要なコストだろうが! 吸い尽くせ! 代わりの燃料など、いくらでもいる!」
決定的だった。
その言葉は、シオンの中で張り詰めていた最後の糸を、プツリと切断した。
「……」
シオンの瞳から、光が消える。
絶望も、悲しみも通り越し、そこには虚無だけが残った。
自分は、妹を救うために手を汚していたつもりで、その実、妹を殺すための片棒を担がされ続けていたのだ。
「シオン!」
リザが叫ぶ。その声に、堕ちかけたシオンの瞳がわずかに動く。
「まだ間に合うよ!」
リザの声が、シオンを現実に引き戻す。
そうだ。まだ終わっていない。
妹は生きている。リザもここにいる。
自分が犯した罪は消えない。だが、これ以上重ねないことはできる。
シオンは顔を上げた。
その瞳に宿るのは、もう迷いではない。
静かで、冷徹な、殺意の炎。
「……シオン? 何を……」
イグナティウスが後ずさる。
シオンは無言で剣を抜き、その切っ先を――長年忠誠を誓ってきた主へと向けた。
「……僕は」
シオンの声が、凛と響く。
「僕は……もう、間違わない!!」
閃光。
シオンの剣から放たれた神聖な光の刃が、イグナティウスを守っていた防御結界を紙のように切り裂いた。
「ひぃぃッ!?」
イグナティウスが尻餅をつく。
シオンはリザの拘束具を一刀のもとに斬り捨て、彼女を抱き寄せた。
「遅くなりました。……ここからは僕があなたを守ります。リザさん。……僕は……今からでもヒーローになれますか……?」
「なれるよ。なってよ! 私のヒーローに!」
リザが気丈に笑う。
シオンはリザを背に庇い、広場に殺到する親衛隊に向かって構えた。
「必ず守ります!」
聖なる都の中心で、白銀の騎士が覚醒した。
その様子を、少し離れた位置から冷ややかに見つめる男がいた。
聖騎士団長ギデオン。
彼は、カインが突っ込んできた時も、ノエルの声が響いた時も、微動だにせず剣の柄に手をかけていた。
カインの動きを牽制しつつ、シオンの動向を見定めていたのだ。
「……やはり、脆いな」
ギデオンは低く呟いた。
失望か、それとも想定内か。
彼はゆっくりと、聖剣を引き抜いた。
「秩序を乱す者は、誰であっても排除する。……それが『正義』だ」




