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【完結】咎人とアズライト〜国を捨てた魔法士は、記憶を失う転生者と旅をする〜  作者: 文月ナオ
第十章 聖女の動乱

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144話 決壊

 カインが正門を粉砕し、バルコニーへ跳躍したその瞬間。

 広場の混乱は頂点に達していた。

 聖騎士団の注意が、規格外の侵入者であるカイン一点に集中する。


「今だ! 行くぞ!」


 屋根の上で援護射撃をしていたセレーナが、短い合図を送った。

 彼女はコレットを抱え、影に溶け込むように路地裏へと着地する。


「カインさん……!」


 コレットが振り返り、単身で敵陣へ突っ込んだカインを見上げる。

 心配ではある。だが、今の彼女の瞳にあるのは、信頼と使命感だった。


「あいつなら死なん。それより、私たちの役目を果たすぞ!」


 セレーナがコレットの手を引く。

 路地裏のマンホールが開き、ザックが顔を出した。


「こっちだ! 警備は手薄になってる。今のうちに地下へ潜るぞ!」

「はいっ!」


 コレットは頷き、闇の中へと飛び込んだ。

 一行は複雑な地下水路を駆け抜け、塔の基部へと続く隠し通路を突破した。


          ◇


「……ここだな」


 セレーナが重厚な扉を魔術で焼き切る。

 ザック率いるレジスタンスと共に雪崩れ込んだ先は、巨大な樹の根が脈打つ、異様なドーム空間だった。

 中央には、ガラス張りの棺『聖櫃』。

 その中で、シオンの妹ノエルが眠っている。


「彼女が……ノエルちゃん……」


 コレットが息を呑む。

 ガラス越しに見る少女の顔は、死人のように白い。

 無数のチューブが彼女の体に突き刺さり、そこから淡い光――生命力が吸い出され、天井の聖樹へと送られている。


「……酷い」


 コレットが口元をきつく結ぶ。

 治療なんかじゃない。これはただの、生きた電池だ。

 吸い上げられたマナは、都市を覆う結界の維持と、枢機卿の野望のために浪費されている。


「装置を止めるぞ。……コレット、術式の解析を頼む」


 セレーナが指示を飛ばす。

 下手に破壊すれば、ショックでノエルの命が尽きかねない。慎重に、かつ迅速にシステムを停止させる必要がある。


「はい! ……ルビィちゃん、力を貸して」

『うん!』


 コレットは【アズライトの栞】を握りしめ、自身の魔力を装置の回路へと同調させる。

 複雑に絡み合った搾取のプログラム。それを一つ一つ、精霊魔法士としての感覚で読み解いていく。


 その時。

 深く潜った意識の中で、コレットの脳裏にノエルの「声」が響いてきた。


『……おにい、ちゃん……』

『……たすけて……お兄ちゃん……』


 声帯からは発せられない、魂の悲鳴。

 それが、コレットの心を締め付ける。


「……聞こえます。この子の、叫びが」


 コレットは目を見開き、セレーナを見た。

 涙はない。あるのは、許せないという義憤だけだ。


「先生。この声を……外に届けられませんか?」

「何?」

「この子の声……お兄さんに届けなきゃ。……真実を知らせないと、この子はただ搾取されるだけの存在で終わってしまいます! 誰かが気づいてあげないと!」


 コレットの訴えに、セレーナは一瞬目を見開き、そしてニヤリと笑った。


「……いい案だ。やってやろう」


 セレーナが杖を振るう。

 地下室の魔力回路をジャックし、それを都市全域に広がる放送用の術式へと強制接続する。


「コレット、繋がったぞ。……叫べ」


 コレットは深く息を吸い込み、ルビィと共に叫んだ。


「届いて!!」


          ◇


 地上。大聖堂前広場。

 カインの突入により儀式は中断され、枢機卿イグナティウスは祭壇の上で狼狽していた。


「ええい、早く『神の眼』を起動させろ! 聖女を押さえつけろ!」

「ちょっ! さわんな! 変態!」


 リザが抵抗する。

 シオンは、その間で立ち尽くしていた。

 カインの言葉、リザの瞳、そして枢機卿の狂気。

 何が正しくて、何が間違っているのか。思考が崩壊しそうになる。


 その時。

 広場中に設置されたスピーカー(魔導拡声器)から、ノイズ混じりの少女の声が響き渡った。


『……おにい、ちゃん……』


 シオンが顔を上げる。

 聞き間違えるはずがない。世界で一番大切な、妹の声。


『……いたいよぉ……』

『……もう、やだよ……死にたくないよぉ……』

『……たすけて……シオンお兄ちゃん……!』


 悲痛な叫びが、広場を埋め尽くす民衆の耳に届く。

 ざわめきが静まり返る。

 これは聖女の声か? いや、違う。もっと幼い、苦しみに満ちた子供の声だ。


「な、なんだこれは!? 音声を切れ! 誰が流している!」


 イグナティウスが顔色を変えて怒鳴り散らす。

 その反応が、何よりも雄弁な「答え」だった。


「……枢機卿、猊下……?」


 シオンが震える声で呼ぶ。


「……嘘、ですよね? ノエルは……治療を受けて、安らかに眠っているはずじゃ……」

「ええい、うるさい! 黙れシオン! これは悪魔の幻聴だ!」


 イグナティウスは焦りのあまり、口を滑らせた。


「あの娘は尊い礎なのだ! 多少の苦痛など、世界平和のための必要なコストだろうが! 吸い尽くせ! 代わりの燃料など、いくらでもいる!」


 決定的だった。

 その言葉は、シオンの中で張り詰めていた最後の糸を、プツリと切断した。


「……」


 シオンの瞳から、光が消える。

 絶望も、悲しみも通り越し、そこには虚無だけが残った。

 自分は、妹を救うために手を汚していたつもりで、その実、妹を殺すための片棒を担がされ続けていたのだ。


「シオン!」


 リザが叫ぶ。その声に、堕ちかけたシオンの瞳がわずかに動く。


「まだ間に合うよ!」


 リザの声が、シオンを現実に引き戻す。

 そうだ。まだ終わっていない。

 妹は生きている。リザもここにいる。

 自分が犯した罪は消えない。だが、これ以上重ねないことはできる。


 シオンは顔を上げた。

 その瞳に宿るのは、もう迷いではない。

 静かで、冷徹な、殺意の炎。


「……シオン? 何を……」


 イグナティウスが後ずさる。

 シオンは無言で剣を抜き、その切っ先を――長年忠誠を誓ってきた主へと向けた。


「……僕は」


 シオンの声が、凛と響く。


「僕は……もう、間違わない!!」


 閃光。

 シオンの剣から放たれた神聖な光の刃が、イグナティウスを守っていた防御結界を紙のように切り裂いた。


「ひぃぃッ!?」


 イグナティウスが尻餅をつく。

 シオンはリザの拘束具を一刀のもとに斬り捨て、彼女を抱き寄せた。


「遅くなりました。……ここからは僕があなたを守ります。リザさん。……僕は……今からでもヒーローになれますか……?」

「なれるよ。なってよ! 私のヒーローに!」


 リザが気丈に笑う。

 シオンはリザを背に庇い、広場に殺到する親衛隊に向かって構えた。


「必ず守ります!」


 聖なる都の中心で、白銀の騎士が覚醒した。


 その様子を、少し離れた位置から冷ややかに見つめる男がいた。

 聖騎士団長ギデオン。

 彼は、カインが突っ込んできた時も、ノエルの声が響いた時も、微動だにせず剣の柄に手をかけていた。

 カインの動きを牽制しつつ、シオンの動向を見定めていたのだ。


「……やはり、脆いな」


 ギデオンは低く呟いた。

 失望か、それとも想定内か。

 彼はゆっくりと、聖剣を引き抜いた。


「秩序を乱す者は、誰であっても排除する。……それが『正義』だ」

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