143話 聖誕祭の狂騒
正午。
聖教自治区サン・テレジアの大聖堂前広場は、立錐の余地もないほどの人々で埋め尽くされていた。
今日は年に一度の「聖誕祭」。
そして、枢機卿が予告した「奇跡の御業」――『神の眼』システムが起動される歴史的な日だ。
「おお、見よ……! 聖女様だ!」
群衆からどよめきが起こる。
大聖堂のバルコニーに、純白のドレスに身を包んだリザが姿を現したからだ。
その手足には装飾の施された枷が嵌められ、両脇を聖騎士たちが固めている。その中には、うつむき加減のシオンの姿もあった。
「……趣味の悪い服」
リザは眼下に広がる数万の信徒を見下ろし、小さく吐き捨てた。
ドレスは美しかったが、それは生贄を飾るための死装束にしか思えなかった。
「……リザさん。じっとしていてください」
シオンが小声で囁く。その顔色は悪い。
昨夜のリザの言葉が、まだ彼の中で棘となって刺さっているのだ。
「……シオン。あんた、まだ迷ってるの?」
リザは前を向いたまま言った。
「私のヒーローは、迷ったりしないよ」
「……ッ」
シオンが息を呑む。
その時、ファンファーレが鳴り響いた。
枢機卿イグナティウスが、両手を広げてバルコニーの最前列に進み出る。
「愛しき信徒たちよ! 歓喜せよ! 今日、我々は神の視座を手に入れる! この聖女の瞳を通じて、全ての邪悪は白日の下に晒され、永遠の秩序が約束されるのだ!」
ワァァァァァァッ!!
熱狂的な歓声が地響きのように広場を揺らす。
イグナティウスは陶酔しきった表情で、リザの手を掴み、祭壇の水晶に押し付けようとした。
「さあ、聖女よ! その眼を開け! 全てを見通す神の依代となれ!」
「……痛っ、離してよ!」
リザが抵抗する。シオンが一歩踏み出そうとして――ギデオンの鋭い視線に射抜かれ、足を止める。
(動けない……! 僕が動けば、ノエルが……!)
儀式が進む。リザの手が水晶に触れそうになった、その刹那。
ズドォォォォォォォォォォン!!!
雷が落ちたような轟音が、広場の熱狂をかき消した。
悲鳴とどよめき。全員の視線が、音の発生源――都市の正門へと向けられる。
そこには、巨大な土煙が舞い上がっていた。
鋼鉄製の重厚な正門が、まるで紙屑のようにひしゃげ、吹き飛んでいたのだ。
「な、なんだ!? 何が起きた!?」
イグナティウスが狼狽える。
土煙の中から、一つの影がゆらりと歩み出てくる。
ボロボロのコートを羽織り、殺気立った眼をした男。
「……騒がしいな。祭りというなら、もう少し派手にやったらどうだ」
カイン。
彼は杖も構えず、ただの拳一つで正門を粉砕してのけたのだ。
その右腕からは、白い煙が上がり、袖口からどす黒い血が滴り落ちている。正門を殴り飛ばした反動で、皮膚と血管が裂けたのだ。だが、彼は痛みなど感じていないかのように、平然と歩を進める。
「侵入者だ! 囲め!」
警備の聖騎士たちが殺到する。数十人の騎士が一斉に神聖魔法と剣技を繰り出す。
だが、カインは歩みを止めない。
「……邪魔だ」
カインが腕を振るう。魔法ではない。
背中の「排出口」を開き、特異点から溢れる純粋な魔力エネルギーを衝撃波として放出したのだ。
理屈無用の暴力。聖騎士たちの防御結界ごと、彼らは木の葉のように吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
カインの顔が一瞬歪む。
衝撃波を放つたび、背中の回路が焼けるように熱くなり、体内の骨がきしむ音が聞こえる。限界を超えた出力。まさに命を削る力。
だが、その足は止まらない。
彼らが騙されているだけの騎士だと分かっているからこそ、カインは殺傷力のある直撃を避け、衝撃波で「吹き飛ばす」だけに留めている。だが、その余波だけでも鎧を砕くには十分だった。
「な、魔法が無効化されないだと!? なんだあの力は!」
騎士たちが混乱に陥る。その隙を見逃す仲間たちではない。
「カイン、右翼が空いたぞ。……露払いをしてやる」
上空から紅蓮の炎が降り注ぐ。セレーナだ。
彼女は屋根の上を跳躍しながら、広範囲殲滅魔法ではなく、ピンポイントで敵の武器や足場を溶かす精密射撃を行っていた。命は奪わず、戦意と武装だけを削ぐ。「三強」の魔女の実力。単なる火力馬鹿ではない、戦場を支配する制圧力。
「みなさん! 今です! 避難してください!」
広場の隅で、マンホールの蓋が吹き飛んだ。
ザック率いるレジスタンスたちが現れ、発煙筒を焚きながらパニックになった市民を誘導する。手際が良い。カインたちが暴れている間に、一般人を戦場から遠ざけるプロの仕事だ。
そして。
「……大気のマナよ、道を開いて!」
澄んだ少女の声が響く。カインの背後から、コレットが飛び出した。
彼女は【アズライトの栞】を掲げ、広場全体に張り巡らされた「対魔法使い用の結界」に干渉する。
『ルビィちゃん、結界の杭を抜いて!』
『任せて!』
精霊ルビィが光の粒子となって結界の構成式に入り込み、内側から食い破る。
バヂンッ! という音と共に、聖教団が誇る防衛システムが機能不全に陥った。
「結界消失! カインさん、行けます!」
コレットが叫ぶ。精霊魔法士としての本領発揮。
彼女は戦場の「理」を書き換え、カインが暴れやすいフィールドを整えたのだ。
「……上出来だ」
カインは口元を微かに緩め、バルコニーを見上げた。
そこには、呆然とこちらを見下ろすリザと、硬直するシオン、そして憎きギデオンの姿がある。
コレットの言葉で目が覚めた。
自分の心を抑え込んで押し殺せば……フレデリカを失った時のように、気持ちを伝えられず、15年が経ってからではもう、その気持ちが変わってしまったように。
伝えたい気持ちは伝えたい時に伝えなければ……後悔することになる。
あの、霧の中にいた俺とフレデリカのように。
もう……俺は迷わない。遠ざけない。否定しない。
俺は俺の心に素直に従う……。それを……リザに直接ぶつける。
カインは大きく息を吸い込み、そして腹の底から叫んだ。
「ごめん!! リザ! 俺はお前が大好きだ! 俺たちと一緒にいてくれ!!」
飾り気のない、魂からの叫び。
かつての「咎人」アトスなら絶対に言わなかったであろう、人間カインとしての言葉。
その声は、広場の熱狂を切り裂いて、リザの心臓を貫いた。
リザの瞳から、ボロボロと涙がこぼれ落ちた。
「……カイン……! バカ……! 遅いよ……!」
泣き笑いの表情。カインは地面を蹴った。
太腿の筋肉が断裂しそうな負荷を無視し、魔力爆発を推進力に変え、砲弾のようにバルコニーへ向かって跳躍する。
「止めるな! 殺せ!」
イグナティウスが絶叫する。
だが、もう誰も彼らを止められない。役者は揃った。
ここからは、反逆の時間だ。




