141話 地下の聖櫃
「……こちらです」
シオンの案内で、リザは白亜の塔の地下へと続く螺旋階段を降りていた。
石造りの壁は冷たく、深く潜るにつれて空気は重く、濃密になっていく。時折、ブーンという低い駆動音のようなものが響いてくる。
「ねえ、シオン。ここって何があるの?」
リザが尋ねると、シオンは松明の灯りを掲げながら振り返った。
「塔の最深部……この街を支える『聖樹』の根元にある、特別な医療施設です。一般の信徒は立ち入れない、聖域中の聖域ですよ」
「ふーん。そんな所に、妹さんがいるんだ」
「ええ。ノエルの病気は特殊ですから。聖樹から溢れる純粋なマナを直接浴びていないと、命を維持できないんです」
シオンの声には、妹への愛情と、教団への感謝が滲んでいた。
彼は本気で信じているのだ。ここが妹を生かすための揺り籠だと。
やがて、重厚な扉の前に辿り着いた。シオンが手をかざすと、複雑な紋様が浮かび上がり、扉が音もなく開く。
「……うわぁ」
中に入った瞬間、リザは息を呑んだ。
そこは、広大なドーム状の空間だった。
天井からは巨大な樹木の根が何本も垂れ下がり、脈動するように淡い光を放っている。その光景は幻想的で、神々しくさえあった。
だが、リザの本能がざわりと粟立った。綺麗すぎる。人工的で、生き物の気配がしない。
「あそこです」
シオンが指差した先。
無数の管に繋がれた、ガラス張りの棺――『聖櫃』が、木の根に抱かれるように安置されていた。
二人は聖櫃のそばへ歩み寄る。ガラスの中には、一人の少女が眠っていた。
シオンと同じ黒髪。透き通るように白い肌。年齢は10歳くらいだろうか。痩せ細ってはいるが、その寝顔は穏やかだ。
「ノエル……」
シオンがガラスに手を触れ、愛おしそうに呟く。
「今日は顔色がいいですね。……リザさん、彼女が僕の妹です」
「……可愛いね。シオンに似てる」
リザはお世辞抜きで言った。シオンは嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます。……彼女は生まれつき『魔力欠乏症』で、自力でマナを生成できないんです。だからこうして、聖樹とリンクさせて、常にマナを供給してもらっているんです」
「へぇ……。すごい技術なんだね」
「はい。枢機卿猊下には感謝してもしきれません。僕のような者のために、こんな高価な装置を使わせてくださるなんて」
シオンは純粋に感謝している。だが、リザの中の違和感は消えなかった。
マナを供給している? それにしては、この部屋のマナの流れがおかしい。
聖樹から少女へ流れているはずのマナが、なぜか逆流しているような……。
「……ねえ、シオン。ちょっとだけ『視て』もいい?」
「え?」
「私の『魔視』なら、妹さんの容態とか、もっと詳しく分かるかもしれないし」
リザの提案に、シオンは少し驚き、そして深々と頭を下げた。
「……お願いします。聖女様の眼で診ていただけるなら、これほど心強いことはありません」
シオンは疑いもしない。リザは頷き、聖櫃の前に立った。
深呼吸を一つ。瞳に魔力を集中させる。
「――『魔視』」
リザの瞳が茜色に輝く。世界の色が変わる。
物理的な光景が退き、マナの流れが鮮明な色彩となって浮かび上がる。
聖樹の根。聖櫃の装置。そして、眠る少女ノエル。それらを繋ぐ魔力のパイプライン。
「……っ!?」
リザは、悲鳴を上げそうになるのを必死で飲み込んだ。
目の前の光景は、シオンの説明とは真逆だった。
(違う……! これじゃ……逆だ!)
聖樹からノエルへマナが流れているのではない。
ノエルの体から、微弱だが高純度の生命エネルギーが吸い上げられ、聖樹の方へと送られているのだ。
供給されているのは、彼女を生かさず殺さずの状態に保つための、最低限の栄養剤と麻酔だけ。
(この装置は……治療器具じゃない。……『搾取器』だ)
リザの背筋が凍りつく。
ノエルの魂は、もう限界に近いほど擦り減っていた。蝋燭の最後の灯火のように、今にも消えてしまいそうだ。
「……リザさん? どうされました?」
シオンが心配そうに顔を覗き込む。リザは拳を握りしめた。
言うべきか。言えば、彼は壊れてしまうかもしれない。でも、黙っていたら、この子は本当に死んでしまう。
「……シオン。よく聞いて」
リザはシオンの腕を掴んだ。
「これ、治療じゃない」
「……え?」
「妹さん……殺されかけてるよ。マナを吸われてる」
「……は?」
シオンの時が止まる。思考が追いつかない。
だが、次の瞬間、彼は激しく首を横に振った。
「な、何を言っているんですか……! そんなはずはありません! 枢機卿猊下は約束してくださった! 僕が尽くす限り、ノエルを救うと……!」
「騙されてるんだよ! よく見て! この子の命、もう空っぽだよ!」
「嘘だッ!!」
シオンが叫んだ。リザの手を振り払い、拒絶する。
信じたくない。信じてしまえば、自分が今までしてきた罪が、全て妹を殺すための行為だったことになってしまうから。
「君は……僕を惑わそうとしているんだ……!」
「違う! シオン、お願い、信じて!」
リザが必死に訴えようとした、その時だった。
ザザッ……!
不快なノイズのような音が響き、リザの視界が強制的に遮断された。
「痛っ!?」
リザが両目を押さえてうずくまる。
『魔視』が、強力な魔力干渉によって潰されたのだ。焼き付くような痛み。
「……惑わされるな、シオン」
冷徹な声が響く。闇の奥から、漆黒の鎧を纏った男――ギデオンが現れた。
その手には、対魔聖剣の柄が握られている。聖剣から放たれる波動が、リザの術式を阻害していたのだ。
「ギデオンさん……?」
「聖女様はマナ酔いされているようだ」
ギデオンはリザを見下ろし、淡々と告げた。
「聖樹の高純度なマナは、慣れていない者には毒だ。幻覚を見せることもある。……彼女の言葉は、混乱による妄言だ」
「ち、違う! 私は見た! 逆流してた! あんたたちが吸い上げてるのを!」
リザが涙目で抗議する。だが、ギデオンは動じない。彼はシオンの方を向き、試すように問うた。
「シオン。お前は私の言葉と、この『混乱した少女』の言葉……どちらを信じる?」
「……っ」
シオンは唇を噛み締め、リザとギデオンを交互に見た。
リザの必死な瞳。ギデオンの絶対的な威圧感。そして、ガラスケースの中で眠る妹。
もしリザが正しければ、自分は取り返しのつかないことをしている。もしギデオンが正しければ、自分はまだ救われている。
弱い心が、甘い嘘の方へと傾く。信じたい方を、信じる。
それが、今の彼にできる唯一の自己防衛だった。
「……ギデオンさんを、信じます」
シオンは俯き、絞り出すように言った。
「嘘よ……シオン……」
リザが絶望的な声を漏らす。
「……申し訳ありません、リザさん。部屋へ戻りましょう。あなたは……疲れているんです」
シオンはリザの腕を取り、強引に立たせた。その手は、冷たく震えていた。
「賢明だ」
ギデオンは満足げに頷き、背を向けた。
リザは連れて行かれながら、何度も振り返った。
遠ざかるノエルの姿。そして、ギデオンの背中。
(……許さない)
リザの中で、何かが音を立てて決まった。
泣いている場合じゃない。シオンは騙されている。妹は殺されかけている。
このままじゃ終わらせない。
(カイン……コレット……。私、やるよ)
去り際、リザはシオンの顔を見た。
彼は無表情を装っていたが、その瞳の奥が、以前よりも深く、激しく揺れているのに気づいた。
(届いてる……。私の言葉は、無駄じゃなかった)
疑念の種は蒔かれた。あとは、それが芽吹く時を待つだけだ。




