12話 栞の道標
「……遅い」
頭上から、不機嫌そうな声が降ってきた。
見上げれば、天井の大穴の縁に、カインが月明かりを背負って腰掛けていた。
「カインさん……!」
「こっちのセリフだぁ!! おじさんどこいってたんだよ!! 遅いよ!! もう倒しちゃったから!!」
「手は貸さないって言ったろ」
カインはトン、と身軽に飛び降りると、気絶している赤蛇を一瞥し、鼻を鳴らした。
「さて。害獣駆除は終わりだな」
彼のシャツには、新しい煤の汚れがついている。
コレットは、彼が何をしていたのかを悟り、胸がいっぱいになった。
言葉にはしなくても、彼は約束通り、ずっと守ってくれていたのだ。
「……あの、カインさん」
コレットは震える手で、胸元の「アズライトの栞」を握りしめた。
疑問があった。
あの時、栞は激しく赤く点滅し、魔力は底をついていたはずだった。体の中が空っぽになったような感覚があったのに、なぜ最後の一撃を放てたのか。
「私……もう魔力なんて残ってないと思っていました。栞もあんなに赤く光っていたし、体も鉛みたいに重くて……。なのに、どうしてあんな力が?」
カインはポケットに手を突っ込んだまま、コレットを見下ろした。
「あの赤色は『残量』の警告じゃない。『圧力』の警告だ」
「え……圧力?」
「お前は今まで、魔力を垂れ流すことで体内の圧を逃がしていた。だが、あの時お前は無意識に『蓋』をしただろう。出そうとするのではなく、止めようとした」
カインは指先で、コレットの胸元を指し示した。
「出口を塞がれた魔力は、行き場を失って体内で圧縮される。お前が感じた『重さ』は枯渇じゃない。破裂寸前まで高まった魔力密度の重圧だ」
「そ、そうだったんですか……」
「普通の魔法士なら血管が焼き切れて死ぬところだ。だが、お前の器は異常だ。その圧力に耐えきり、あまつさえ一点に集中して放出した」
カインの口元が、微かに緩んだ。
「垂れ流しの『泥水』ではなく、圧縮された『水流』だ。あれなら、どんな堅牢な術式だろうと紙屑のように貫ける」
コレットは呆然と自分の手を見つめた。
空っぽだと思っていた感覚は、実は力が満ちすぎていた証拠だった。
自分の中に、そんな力が眠っていたなんて。
「……」
カインは視線を逸らし、ポリポリと頬を掻いた。
褒めるのは苦手だ。だが、言わなければならないこともある。
「……よくやったな」
ボソリと、独り言のような呟き。
「え?」
「……お前の『治癒魔法』だ。あれがなければ、泥棒猫の足は使い物にならなくなっていた。……よくやった」
それだけ言うと、カインはそっぽを向いてしまった。
たった一言。
けれど、その言葉はどんな勲章よりもコレットの胸に深く刺さった。
呪いだと思っていた力。けれど、正しく使えば、大切な人を守る力になる。
「……はいっ!」
コレットは涙を拭い、満面の笑みで頷いた。
「素直じゃないねおじさん。そんなんじゃモテないよ」
「おじさんではない。別にモテたいとも思ってない」
「ま、今回は私たちが良いとこ取りしちゃったから仕方ないけどね!」
リザの視線は、コレットに向けられている。
「魔力の『量』だけじゃなく、『質』もデタラメって、お姉さんの方もどうなってるんだろうね?」
リザは肩をすくめ、苦笑した。
その瞳にはコレットへの純粋な敬意と、カインへの複雑な信頼が宿っているように見えた。
「さてと……」
リザは立ち上がり、牢屋の方を振り返った。
そこには、怯えながらも事態の収束を感じ取った子供たちが、身を寄せ合っている。
「まずは、このチビたちを何とかしなきゃね。……お腹、空かせてるだろうし」
「この子達のお世話、私も手伝うよ?」
「ううん。こっからは私の仕事。ありがとねお姉さん。今日はゆっくり休んでよ!」
その声色は、したたかな情報屋のものではなく、年相応の少女の、けれど責任感に満ちたものだった。
カインは何も言わず、ただ月を見上げた。
「宿に戻るぞ。……腹が減った」
「あ、はい! リザちゃん! またね!」
「うん。また……ね!」
カインが歩き出す。
コレットは一度リザの方を振り返り、それから小走りでカインの背中を追った。
リザもまた、子供たちの方へ駆け寄っていく。
長く伸びた三つの影と、小さな影たち。
夜明けの光が、それぞれの進むべき道を照らし始めていた。




