11話 そよ風
時を少し遡る。
コレットとリザが倉庫へ突入した、その直後。
カインは一人、倉庫街の外れにある防壁の上に立っていた。
眼下に広がるのは、夜闇に蠢く無数の影。狼、猪、大蜥蜴。森から溢れ出した魔獣の群れが、防壁を乗り越えようとひしめき合っている。
「魔獣たちはお祭り騒ぎだな」
カインは静かに息を吐いた。
倉庫の中でコレットが垂れ流している高純度の魔力に引き寄せられ、近隣の魔獣たちが理性を失って殺到しているのだ。
防壁の警備兵たちは、異変に気付いて鐘を鳴らそうとしているが、これだけの数を相手にすれば街中がパニックになるのは時間の問題だ。
「ここを通すわけにはいかん」
詠唱はない。構えすらない。
ただ、夜空に煌めく星々よりも冷たい光が、その指先に集束していく。
「消えろ」
その瞬間、夜が昼になった。
バリバリバリバリッ!!!
鼓膜を劈く雷鳴と共に、極太の雷撃が先頭の魔獣を直撃した。
雷光は生きた蛇のようにのたうち回り、隣の魔獣へ、さらにその隣へと連鎖していく。
『連鎖雷撃』
数十匹の魔獣たちが、青白い光の網に捕らわれ、断末魔を上げる暇もなく炭化していく。
視界を埋め尽くす閃光。オゾンの臭い。
それは魔法というより、天災そのものだった。
「……ふぅ」
光が収まり、静寂が戻る。
眼下に残されたのは、黒い灰となって風に舞う骸の山だけだ。
一匹でも残せば、「魔獣は来ない」という嘘がバレてしまうからだ。
「柄にもないことを……まったく」
カインは掌を見つめ、軽く握りしめた。
「……急ぐか」
カインは倉庫の方角を見た。微かに感じていたコレットの魔力反応が、急激に弱まっている。
枯渇したか、あるいは――。
カインは地面を蹴った。
その体は風を纏い、砲弾のように倉庫街へと飛んだ。
◇
倉庫の中は、灼熱の地獄と化していた。
赤蛇が放つ炎は、コレットのジャミングを力技で押し切り、二人をじわじわと追い詰めていた。
「ハハハッ! どうした、その程度か! 魔力だけは一丁前だが、使い手が素人じゃ話にならねぇな!」
赤蛇が嘲笑いながら、さらに巨大な火球を練り上げる。
リザは壁際に吹き飛ばされ、動けない。足首を捻ったのか、苦痛に顔を歪めている。コレットの魔力も限界に近い。
アズライトの栞が、悲鳴を上げるように赤く点滅している。
(ダメ……このままじゃ、みんな死んじゃう)
コレットは震える足で踏ん張った。カインはいない。助けは来ない。
だったら、私がやるしかない。
カインは言った。
『思考はいらん。ただの現象になれ』と。
(私は、蛇口……)
コレットは胸元の栞を両手で握りしめた。
今まで必死に「出そう」としていた力を、逆に、一瞬だけ止める。
そして、堰き止めた奔流を一気に解放する。
「……消えてッ!!」
コレットの絶叫と共に、アズライトの栞が強烈な青い光を放った。
ドォンッ!!
目に見えない衝撃波が、倉庫内を駆け巡る。
それはただの魔力放出ではない。周囲のマナを強制的に弾き飛ばし、真空状態を作り出す「魔力の爆発」。
「なっ……!?」
赤蛇の目の前で、練り上げていた火球が、フッと掻き消えた。
魔法を構成するマナそのものを吹き飛ばされ、現象が維持できなくなったのだ。無防備になる赤蛇。
「今だよ、リザちゃん!!」
コレットが叫ぶ。だが、リザは動けなかった。
足の激痛で踏ん張れないのだ。
「動け……! 動いてよ私の足!!」
リザが悔しげに呻く。
その隙に、赤蛇が体勢を立て直した。血走った目で二人を睨め上げ、懐からどす黒い水晶を取り出す。
「よくも……よくもやってくれたな、クソガキどもがァ!!」
赤蛇が水晶を握り潰した。
瞬間、彼の傷口から噴き出した血が炎となって燃え上がった。自身の生命力を魔力に変換する禁術。理性を捨てた暴走状態。
「死ねェ! 骨も残さず消し炭になれぇぇぇッ!!」
赤蛇の全身から、爆発的な業火が噴き上がる。
それは魔法と呼ぶにはあまりに無秩序で、回避不能な破壊の嵐だった。
もう、コレットに止める力は残っていない。
(あ……)
終わる。せっかく、一矢報いたのに。
やっぱり私は、何も守れないまま――。
その瞬間。
ヒュォォォォ……ッ。
突如として、倉庫内を冷たい風が吹き抜けた。
いや、ただの風ではない。
それは意思を持ったかのように赤蛇の炎に絡みつき、渦を巻いて締め上げた。
「あ……が……ッ!?」
赤蛇が苦悶の声を上げる。
炎がかき消える。それだけではない。目に見えない風の鎖が赤蛇の全身を拘束し、指一本動かせない状態にしていた。
誰の仕業か。魔法の気配はない。ただ、不自然なほどの突風が吹いただけだ。
だが、コレットには分かった。
――危なくなったら、風くらいは吹かせてやるさ。
(この風……)
「お姉さん……今……!」
リザが呻く。
敵は動けない。だが、リザもまた動けない。この千載一遇のチャンスを逃せば、次は無い。
コレットはリザに駆け寄った。
どうすればいい。私に何ができる。
祈るな。願うな。カインの言葉が蘇る。
でも、今だけは。
(お願い……力を貸して……私の魔力……!)
コレットはリザの足に手をかざした。
前世の記憶。温かな光。
傷ついた者を癒やし、立ち上がらせる力。
マナではない。精霊への願いでもない。
ただ、リザの痛みを消したいという、純粋な意志。自分を信じる祈りの叫び。
「……治って……ッ!」
コレットの手のひらから、淡い金色の光が溢れ出した。
それは、この世界には存在しないはずの不思議な「治癒魔法」の輝き。
光がリザの足首を包み込む。
「え……?」
リザが目を見開いた。痛みが引いていく。腫れ上がっていた足首に力が戻る。
完治ではない。だが、走れる。
「……いける!」
リザが弾かれたように地面を蹴った。
まるで背中を押されるように、突風がリザの体を加速させる。
「なんだろうこの風……力が湧いてくる……」
赤蛇は動けない。
目を見開き、凄まじい速度で迫りくるリザの姿をただ見ていることしかできない。
「吹っ飛べぇぇぇッ!!」
リザの渾身の跳び蹴りが、赤蛇の顔面に直撃した。
ゴッ、という鈍い音。
赤蛇は糸の切れた人形のように吹き飛び、壁に激突して崩れ落ちた。白目を剥き、完全に沈黙している。
風が止んだ。
倉庫の中に、静寂が戻る。
「……やった……」
リザが着地し、荒い息を吐きながら振り返った。
コレットはその場にへたり込み、震える手を見つめていた。
できた。守れた。
「お姉さん!」
「リザちゃん!!」
リザが駆け寄ってくる。
その顔には、満面の笑みが浮かんでいた。
「やったよ! 私たちの勝ちだよ! 私たちがやったんだよ!!」
「うん……! うんっ!」
コレットも涙を流しながら笑った。
リザが差し出した手を、コレットがパチンと叩く。
小さく、けれど力強いハイタッチの音が、夜明け前の倉庫に響き渡った。




