10話 泥だらけの共犯者
倉庫街の夜気は、湿った油と錆の臭いがする。
リザが示したアジト――海沿いの巨大な木造倉庫の前で、二人の少女は息を潜めていた。
「……ねえ、お姉さん」
物陰で、リザが小声で囁く。その手には愛用のナイフが握られ、手汗で濡れている。
「本当にいいんだね? 今ならまだ引き返せるよ」
「やる。みんなを守ろう、リザちゃん」
コレットは即答した。
胸元の「アズライトの栞」を服の上から強く握りしめる。足は震えている。
恐怖で心臓が破裂しそうだ。けれど、その瞳には退路を断った決意の光が宿っていた。
「……あんがと……」
リザは照れくさそうに、けれどどこか嬉しそうに笑った。
「よし。じゃあ、作戦通りに。私が合図したら全力で『蓋』を開けて」
「うん!」
「準備はいい? ……いくよ!」
リザが飛び出した。コレットも続く。二つの小さな影が、夜の闇を切り裂いて倉庫の入り口へと殺到した。
「あァ? なんだテメェら……」
見張りのゴロツキが気付いて槍を構える。
その瞬間、リザが叫んだ。
「お姉さん! 今ァ!」
「……っうぅ……!」
コレットは走りながら、意識を内側へ向けた。
カインとの特訓を思い出す。
抑えるな。流せ。自分の中にある異質な奔流を、世界に向けて解き放つ。
ドッ、と空気が歪んだ。
目には見えないが、肌にまとわりつくような重圧。
コレットを中心に、高純度の魔力がノイズとなって周囲のマナを掻き乱す。
「な、なんだコリャ!? 体が重……」
「隙あり!」
リザが滑り込む。
魔法による身体強化を阻害され、動きの鈍った見張りの膝裏を、ナイフの峰で強打する。
男が崩れ落ちるのと同時に、リザはその背中を足場にして跳躍し、もう一人の顎を蹴り上げた。
「ぐはっ……」
二人の大男が、一瞬で地に伏した。
リザの身軽さと、コレットのジャミング。即席のコンビネーションが見事にハマった瞬間だった。
「行ける……! 中の連中も、このノイズじゃまともに魔法は使えないはずだよ!」
リザが扉を蹴破る。
倉庫の中は広大で、木箱やコンテナが迷路のように積み上げられていた。奥からは、子供たちのすすり泣く声が聞こえる。
「侵入者だ! 殺せ!」
十数人の男たちが、剣や杖を構えて襲いかかってくる。
だが、その動きには精彩がない。
魔法士たちは術式が組めずに杖を振るうだけになり、剣士たちも空間に充満する「魔力の泥沼」に平衡感覚を狂わされている。
「お姉さん、私の後ろについてきて! 離れないで!」
「うんっ!」
リザが道を切り開く。
コレットは脂汗を流しながら、必死に魔力を放出し続ける。
消耗が激しい。意識が遠のきそうになる。だが、ここで止まればリザが殺される。
(頑張れ……私! ただの足手まといじゃ終われない!)
歯を食いしばり、コレットは走った。最奥の牢屋が見えた。鉄格子の向こうに、怯えた子供たちの顔がある。
「こんなにも子供たちが……赤蛇のやつ……一体どれだけの人を脅してるんだ……!!」
リザが鍵を開けようとナイフを差し込んだ、その時だった。
「――随分と、派手な真似をしてくれるじゃねえか」
頭上から、粘り気のある声が降ってきた。
コレットとリザは弾かれたように見上げた。
倉庫の二階部分、吹き抜けのキャットウォークに、男が立っていた。
赤いローブを纏った、蛇のように目の細い男。裏ギルドのボス、『赤蛇』だ。
「ボス……!」
「俺の庭で暴れ回ってくれたおかげで、感知結界がズタズタだ。……その女か? 妙なノイズを撒き散らしているのは」
赤蛇はニヤリと笑い、右手を掲げた。その掌に、ドス黒い炎が渦を巻く。
「お姉さん、出力上げて! あいつの魔法を潰して!」
「わかったっ!」
コレットは残った力を振り絞り、魔力の放出量を最大まで上げた。
空間が軋むほどのノイズが赤蛇を襲う。普通の魔法士なら、これだけで脳を揺さぶられ、発動不全を起こすはずだ。
だが。
「……小賢しい」
赤蛇の炎は消えなかった。
揺らぎ、小さくなりながらも、その凶悪な熱量を維持している。
技術ではない。構成式の綻びを、自身の膨大な魔力で無理やり継ぎ接ぎし、ねじ伏せる力技。
「消えない……!?」
「こいつ……効率度外視のバカ力で維持してる! ジャミングの上から殴り返してくる気なんだ!」
リザが叫ぶのと同時に、赤蛇が腕を振るった。
放たれた炎弾が、二人の足元に着弾する。
「きゃあぁッ!!」
爆風に吹き飛ばされ、コレットとリザはコンテナの山に叩きつけられた。
熱い。痛い。耳鳴りがして、視界が明滅する。
「お姉さん、大丈夫!?」
「う、うぅ……」
コレットは咳き込みながら顔を上げた。
胸元のアズライトの栞が、赤く点滅している。魔力が枯渇しかけている警告だ。
これ以上は出せない。出せば、命に関わる。
カツン、カツン。
赤蛇が、悠然と階段を降りてくる。
「珍しいタイプの魔力持ちだな。高く売れそうだ」
舌なめずりをする赤蛇。その手には、先ほどより巨大な炎が練り上げられている。
逃げ場はない。
リザは片膝をつき、ナイフを構えるが、その手は震えていた。勝てる相手ではない。
「……カインさん」
コレットは掠れた声で呼んだ。背後を守ってくれているはずの、男の名を。
だが、その姿はどこにもない。倉庫の入り口にも、物陰にも。
(見捨てられた……?)
不安がよぎる。
あの男は「手は貸さない」と言った。本当に、このまま死ぬのを見ているつもりなのか。
いや、そもそもここに来ていないのではないか。
「……おじさん……本当に逃げたの?」
リザが絶望的な声で呟く。
炎が迫る。肌が焼けるような熱気。
コレットはリザを抱きしめ、ギュッと目を閉じた。
(助けて……カインさん……!)
祈りは、届かない。
赤蛇が、嗜虐的な笑みと共に腕を振り上げた。




