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【完結】咎人とアズライト〜国を捨てた魔法士は、記憶を失う転生者と旅をする〜  作者: 文月ナオ
第七章 少女たちと精霊

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102話 結ばれた髪紐

 ガゼボの中、静寂が少しだけ色を変える。

 エレナはカップを置き、どこか悪戯っぽい、けれど真剣な眼差しでカインを見つめた。


「あの……さ。アトスは……コレットのこと、どう思ってるの?」


 唐突な問いかけ。

 カインは少しだけ目を丸くしたが、すぐにいつもの仏頂面に戻り、迷いなく答えた。


「……優しくて、思いやりのあるいい子だ」

「……」

「……」

「……な、なんだ?」


 カインが怪訝そうに眉を寄せる。エレナは身を乗り出し、じーっとカインの顔を見つめていた。まるで、言葉の裏にある「何か」を探すように。


「えっ? そ、それだけ? 続きを待ってたんだけど……」

「続き? 答えただろう」


 カインは心底不思議そうに言った。

 嘘も偽りもない。彼にとってコレットは、守るべき庇護対象であり、尊敬すべき相棒であり、そして「いい子」なのだ。

 それ以上の修飾語を、今の彼は持っていない。


「……なるほど……こりゃ……コレットも大変だわ……」


 エレナは深い、深いため息をついた。

 鈍感、という言葉では生温い。この男の恋愛回路は、15年前から完全に焼き切れたままだ。


「?」


 カインが首を傾げる。

 エレナは、ふわりと立ち上がった。

 後ろで手を組み、スカートと金色の髪をなびかせながら、カインの周りをゆっくりと歩く。


「コレットってさ、いい子だよね。誰に対しても優しくて、礼儀正しくて、素直で」

「そうだな」


 カインが頷く。その横顔が、自然と綻んだ。

 そこには、少しの負の感情もない。過去の罪悪感も、咎人としての重圧もない。

 ただ純粋に、一人の少女の成長を眩しく思い、慈しむような、温かな想い。


「……私は、アトスにそんな顔させられなかったな」


 エレナが、ボソリと呟いた。

 かつて彼に向けた愛。彼が向けてくれた忠誠。

 そこには常に、「王女と騎士」という壁と、滅びゆく国の悲壮感が漂っていた。

 こんなふうに、ただ穏やかに、陽だまりのような顔で笑い合うことは、できなかった。


「ん? 何だ?」

「なんでもないっ。聞こえてないなら、聞いてないあなたが悪いっ」


 エレナはそう言って、無邪気な笑顔で振り返ると、カインの鼻先を指でツンと弾いた。


「……!」


 カインが驚いてのけ反る。エレナはクスクスと笑い、そして再び空を見上げた。


「……15年てさ。すごーく……長いよね」

「……ああ」


 カインもまた、視線を遠くへ投げた。

 長い時間だった。少女が大人になり、国が滅び、世界が変わるには十分な時間。


「あ。知ってる? セレーナ! 結婚したんだって! ジークがこっそり調べて教えてくれたの!」


 エレナの声が弾む。

 親友の幸せなニュース。それは、逃亡生活の中での数少ない光だった。


「知ってる。なんなら旦那と子供にも会った」

「ほんと!? どんな人だった!?」


 エレナが食い気味に、ずいっとカインに顔を近づける。


「いい男だった。……娘はあいつに似て、生意気なやつだったが。目つきが悪いから気を付けろと言ってきた」


 カインは、学術都市アレクサンドラで出会った赤い髪の少女――アイシャの顔を思い浮かべて苦笑した。

 母親譲りの勝ち気さと、父親譲りの芯の強さ。


「ぷっ。なにそれ! 会ってみたいなぁ……」


 エレナが空を見上げる。

 精霊の光が瞬き、星空よりも美しく、幻想的な空。

 その彼方に、親友がいる。


「……会いたい……」


 ぽつりと溢れた本音。

 エレナの後ろ姿を見て、カインは目を伏せた。

 彼女が抱えている罪悪感の深さを、カインは誰よりも理解していたからだ。


「会いたいなら、会いに行けばいい。あいつは、大体学術都市アレクサンドラにいるはずだ。そこに行けば会えるだろう」

「会えないよ」


 エレナは即答した。


「会っちゃいけない。私が……会いに行く資格なんてないよ」


 彼女は振り返らない。

 後ろで組んだ手が、白くなるほど強く握られ、微かに震えている。


「あいつは喜ぶ」

「喜ぶわけないよ。罵られて、怒られるよ。嘘つきって」


 エレナの声が湿り気を帯びる。

 死んだと思って涙を流してくれた親友。その涙を裏切り、15年ものうのうと生きていた自分。

 今更「生きていました」なんて、どの面を下げて会えばいいのか。

 拒絶されるのが怖い。

 何より、彼女の今の幸せを、亡霊である自分が壊してしまうのが怖い。


「……どうだろうな?」


 カインが立ち上がり、エレナの隣に並んだ。

 同じように空を見上げ、淡く光る精霊たちを目で追う。


「髪紐」

「えっ?」


 唐突な単語に、エレナが涙目のまま横を向く。


「あいつはまだ、『あの髪紐』を肌身離さず、細い腕に巻いている」

「!!!」


 エレナの時間が、止まった。


 髪紐。

 それは15年前、まだ平和だった頃の記憶。

 鍛錬の邪魔になるからと、自慢の赤い髪を切ろうとしていたセレーナ。

 それを止めたくて、彼女の髪を結うために、フレデリカがプレゼントしたもの。


『あなたの髪は綺麗だから。切らないで』


 そう言って渡した、ただの髪紐。15年も前の、ありふれた装飾品。


「あいつは、お前を忘れていない。……一日たりともな」


 カインの言葉が、エレナの胸に突き刺さる。

 セレーナはずっと、持っていてくれたのだ。

 フレデリカとの思い出を。友情を。

 色褪せてボロボロになっても、肌身離さず。


 それは、セレーナとフレデリカを繋ぐ、切れることのない絆の証明。


「……そっかあ……」


 エレナの目から、大粒の涙が零れ落ちた。


「そうなんだ……そう……なんだ……」


 堰き止めていたダムが決壊したように、涙が止まらない。

 恐怖も、罪悪感も、全てが洗い流されていく。

 残ったのは、ただ純粋な、焦がれるような想いだけ。


「会いたい……! 会いたいよぉ……!! セレーナ……!!!」


 エレナは空を見上げながら、子供のように泣きじゃくった。

 王女としての矜持も、大人のフリもかなぐり捨てて。

「わんわん」と声を上げて泣き続ける彼女の姿は、15年前の、ただの少女に戻っていた。


 カインは慰めの言葉をかけなかった。

 肩を抱くこともしなかった。

 ただ黙って、泣き止むまで彼女の横に立ち尽くし、彼女の涙を夜空と共に受け止めていた。

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