101話 動き出す秒針
極彩色に彩られた森の一角に、純白の空間が広がっていた。
精霊たちがコレットのために織り上げた、雲のように柔らかく、雪のように白いベッド。
その上で、コレットは深く静かな眠りについていた。隣には、小さな少女の姿をしたルビィが、コレットの体に抱きつくようにして丸まって寝ている。
ベッドの周囲には、無数の精霊たちが集まっていた。蛍のような光の粒子がフワフワと漂い、心配そうにコレットの寝顔を照らしている。
その幻想的な光景の中で、リザは椅子に座り、コレットの手をぎゅっと握りしめていた。
「……コレット」
リザの手には、コレットの体温が伝わってくる。呼吸は安定している。命に別状はない。
ただ、心が許容量を超えて、シャットダウンしてしまっただけだ。リザはその安らかな寝顔を見つめ、ふぅと息を吐いた。
ふいに、リザは視線を上げた。
少し離れた場所に、植物の蔓と花で編まれたガゼボ、精霊の休息所がある。そこには、二つの人影が座っていた。
カインと、エレナ。いや、かつての亡国の王女。
「……王女フレデリカ様……かぁ〜……」
リザはポツリと呟いた。
カインの過去については、セレーナから聞いただけの、断片的な事しか知らない。
けれど、彼が背負っているものの重さと、あの少女が彼にとってどれほど大きな存在だったかは、先ほどの再会の光景だけで痛いほど伝わってきた。
「二人、なんの話してるんだろ……」
リザは再びコレットに向き直り、優しく布団を掛け直した。
今は、彼らの時間だ。自分たちが入ってはいけない、15年という歳月を埋めるための時間。
◇
ガゼボの中には、不思議な静寂が満ちていた。
カインは腕を組み、森の景色を眺めている。
その隣で、エレナは紅茶のカップを両手で包み込んでいた。
「……黙っていてごめんなさい」
エレナが静かに口を開いた。責めるような響きはない。ただ、事実を淡々と、けれど大切そうに紡ぐ声。
「あの時、崩落し埋もれた私は、瓦礫の下敷きになってその暗闇の中で、声を聞いたの」
「声?」
カインが視線を戻す。
「私に……生きて、と言っていた。微精霊の声」
エレナは遠くを見るような目をした。暗闇と瓦礫と、炎の熱さ。
死の淵で聞いた、理屈を超えた何か。
「彼女が誰で、何故そこにいて、なぜ私を助けたのか……わからない。名前すら分からないの。けど……お父様に貫かれたこの腹部の傷を……命をかけてこの子が埋めてくれた。今でもこの子の命の鼓動を感じる。コレットのように会話はできないけど……確かに感じるの。一緒に生きてくれてるって」
エレナは優しく、自身の腹部をさすった。
そこには今、傷跡と共に、彼女を生かすための異質な命が宿っている。
「そして、この子が私の命を繋いでくれたお陰で……ジークが瓦礫の下にいた私を見つけてくれた」
「ジーク……あいつ……」
カインが眉間の皺を深くする。あの馬鹿力と野生の勘を持つ男の顔が浮かぶ。
「怒らないであげて? ジークは二人に教えてやろうぜ! って実は生きてました〜! ってサプライズをする為の案を出してくれたりして、とてもはしゃいで言ってくれたけど、私が口止めしたの」
エレナはカインを見つめた。
「二人が私のことを知れば……きっと二人は私をこの先も守ろうとする。それは……あなたたちの人生を殺すことになる。だから……言わないでってお願いした。自由に生きて欲しかったから」
カインは言葉を詰まらせた。否定できなかった。
もしあの時、フレデリカが生きていると知っていたら、自分は彼女を守るためだけに生き、セレーナもまた騎士として彼女に仕え続けただろう。
それは「アトス」と「セレーナ」としての生であり、今の自分たちの人生とは全く違うものになっていたはずだ。
「まぁ……ジークは俺も三人のうちの一人なんだけどってぶつくさ文句を言っていたけど」
エレナがその時のジークを思い出して、クスッと笑った。その笑顔には、アトスに見せるものとは違う、気安い家族に向けるような温かさがあった。
「ジークは、おれは異世界転生ハーレム無双をするんだぁ! って言って張り切ってた」
「あいつらしいな……その考え無しのところは」
カインは呆れたようにフッと笑った。
だが、その表情はどこか安らいでいた。
自分が背負いきれなかった彼女を、ジークが背負ってくれたのだという事実が、カインを救っていた。
「ジークとは、色んなところに行ったんだよ。女性しか入ることを許されない男子禁制の国……ジークはどうしてもそこに行きたがって、わざわざ女装してまで入ったの! その時のジークの顔ったら……あまりのブサイクさに笑っちゃった。それなのに、ジークが男ってこと全然バレないんだから、もうビックリだよ!」
エレナが楽しげに指を折る。
「それから、エルフの国にも行ったなぁ。ドワーフとバチバチに喧嘩しててね? ジークが金髪エルフは絶対に妻にしたいとか言い出して大変だった。でも、ドワーフの方の言い分を聞きに行ったら、そっちにもかわいい女の子がいて、選べないー! ってなって……それで、どっちもまとめて救っちゃうことにして……何とかして喧嘩をやめさせて、最後には、エルフの王女様にさ、お礼にほっぺにキスされて浮かれてたよ」
ジークの女好きは死んでも治らないんだろうとアトスは苦笑する。
「ダンジョンに入って、明らかに罠だとわかってるのに面白そうだから踏んでみようとか言ってジークが踏んで、こことは別の大陸に飛ばされたこともあった。あの時は大変だったよ。ジーク、猫族の女の子に一目惚れして、俺はこいつを妻にしてこの世界で猫耳ハーレムを築いて生きていく! とか言い出すんだもん。まあ、結局その女の子はジークのこと騙してたんだけどね? ほんとバカ」
エレナの語るジークとの冒険譚は、そのどれもが摩訶不思議で、破天荒で、そして輝いていた。
亡国の王女としての重圧も、父殺しの罪悪感も、ジークという嵐が吹き飛ばしてくれていたのだろう。
エレナはそれを、本当に楽しげに話していた。
カインは、彼女の横顔を見つめた。
15年前、城のテラスで見た、籠の中の鳥のような笑顔ではない。
広い世界を見て、自分の足で歩いてきた、一人の女性の笑顔。
「楽しく生きていたんだな」
カインが静かに問うと、エレナは力強く頷いた。
「うん。ジークのおかげ。すっごく楽しかった。毎日が」
「良かった」
カインの口元が、微かに緩んだ。
自分が与えられなかった「幸福」を、彼女は手に入れていた。それが何よりも嬉しく、そしてその愉快な冒険譚の中に自分がいないことが少しだけ寂しかった。
だが、それは自然なことでもあった。
自分がコレットとリザと大冒険をしているように。
この世界には無数に、誰かの冒険譚がある。
今こうしている間にも、世界中では様々な出会いや別れや、陰謀や救済や。
数え切れないほどの冒険が、当事者たちに思い出を刻みつけている。
自分の人生の中心は自分だが
世界の中心は自分じゃない。
誰もが主人公で、誰もが主役で、そして、ただの一人の人間に過ぎない。
世界はそうやって廻っている。それが世界。
それが……人生。
一瞬の静寂が降りる。森の風が、二人の間を吹き抜けていく。
カインが、居住まいを正してエレナに顔を向けた。
「生きていてくれてありがとう。フレデリカ」
その名前。
15年前、燃え盛る玉座の間で、彼女が最期に願ったこと。『呼び捨てで呼んで欲しい』という、叶わなかった願い。
エレナの――フレデリカの目が、大きく見開かれた。
時が止まっていた時計の針が
今
カチリと音を立てて動き出した。
「やっと……ちゃんと呼び捨てにしてくれたね……」
フレデリカの瞳に、大粒の涙が溜まる。
彼女は泣き笑いのような表情で、カインを見つめ返した。
「……うん。ありがとう、アトス」




