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【完結】咎人とアズライト〜国を捨てた魔法士は、記憶を失う転生者と旅をする〜  作者: 文月ナオ
第七章 少女たちと精霊

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100話 時計の針が指し示す場所

「……フレ……」


 カインの声を遮るように、彼女はカインに背を向けたまま、俯いていた。拒絶か、あるいは逃走か。

 誰もが息を呑んだ次の瞬間、彼女はパッと顔を上げ、弾かれたように振り返った。


「初めまして! コレットのお仲間のカインさんね?」


 そこにあったのは、満開の花のような笑顔だった。あまりにも完璧で、あまりにも痛々しい……精一杯の「演技」。


「話は聞いてるわ! 私は………エレナ……! お見知り置きを」


 少女は左足を一歩後ろに引き、両手でスカートの裾を摘まむと、膝を曲げて深く頭を下げた。

 カーテシー。

 古式ゆかしい、高貴な女性による最敬礼。その所作は優雅で美しかったが、カインの鋭い目は見逃さなかった。スカートの生地を握りしめる彼女の指先が、白くなるほど強く力を込められ、小刻みに震えていることを。笑みを貼り付けた唇が、嗚咽を噛み殺すように引き結ばれていることを。


「……」


 カインは何も言わなかった。ただ、彼女の震える小さな肩を、静かに見下ろしていた。


「……そうか。連れが世話になった」


 カインは短く、他人に接するような言葉を選んだ。

 だが、その声音には隠しきれない優しさが滲んでいた。

 挨拶を終えた姿勢のまま、エレナがハッとして顔を上げる。

 その銀色の瞳が、激しく揺らいでいた。拒絶されると思っていたのか。それとも、他人のフリをされることに安堵したのか。様々な感情が渦巻く瞳で、カインを見上げる。


 カインは、眉間の皺を解き、穏やかに目を細めた。

 それは、コレットやリザさえ見たことのないような、憑き物が落ちたような安らかな笑顔だった。


「コレットを助けてくれて、ありがとう」

「……っ……」


 その笑顔を見た瞬間、エレナの中で張り詰めていた糸が切れた。

 王女としての誇りも、演技も、全てが崩れ去る。

 彼女の膝から力が抜け、ガクンと地面へ崩れ落ちる。


「先輩ッ!?」


 コレットが慌てて駆け寄ろうとした。

 だが、それよりも速かった。

 カインが一歩踏み出し、崩れ落ちるエレナへと手を差し伸べたのだ。


「!」


 エレナの目の前に、大きな手が差し出される。

 かつて自分を守ってくれていた。優しく強い手の平。


「……服が汚れるぞ」


 ぶっきらぼうな物言い。けれど、それは15年前と変わらない、彼なりの不器用な気遣いだった。


「……ぅ……」


 エレナは、溢れ出しそうになる涙を必死に堪えた。

 激しく瞳を揺らし、噛み締める唇からは血の味が滲む。そして必死に堰き止めている涙で視界が滲む。

 震える右手を伸ばし、おずおずとカインの手へと重ねる。


 ギュッ。


 エレナの手が触れた瞬間、カインは奥歯を噛み締めた。小さい。記憶の中の彼女よりも、ずっと小さく、華奢な手。

 この手が、地獄のような瓦礫の下で生き延び、今日まで命を繋いできたのだ。

 カインは彼女の手を強く引いた。立たせるためではない。


「……!!!」


 強い力で引かれたエレナの体は、そのままカインの胸の中へと収まった。

 カインは両腕を回し、彼女を強く、強く抱きしめた。言葉はない。

 ただ、その体温と心臓の鼓動だけが、互いの生存を確かめ合うように重なる。失われた15年を埋めるような、痛いほどの抱擁。


「ええええっ!? カインなにしてんのっ!? いくらその子が可愛いからってそれは……!!」


 リザが素っ頓狂な声を上げて驚愕する。だが、その場の空気は、そんな冗談が通じるようなものではなかった。

 あまりにも濃密で、完成された二人の世界。

 まるで、15年間連れ添った恋人が抱擁をするように。


 ズキンッ!!!

「はぁ……! はっ……!!」


 その光景を見た瞬間、コレットの胸を、心臓を鷲掴みにされたような激痛が貫いた。


「……っ……?」


 痛い。物理的な痛みではない。魂の根源が拒絶反応を起こしているような、冷たく鋭い痛み。目の前の光景が、遠い世界の出来事のように見える。

 カインの腕の中にいるのは、私じゃない。あそこには、私の入る隙間なんて、最初からなかったんだ。

 視界が白く明滅する。呼吸ができない。肺が空気を拒絶している。


「う……」


 コレットの体がふらりと傾いた。


「コレット!?」


 異変に気づいたリザが、慌ててコレットの体を支える。


「コレット!? カイン! コレットの呼吸がおかしくなってるよ!!」


 リザの悲痛な叫び声。その声は、カインの耳に雷鳴のように届いた。


「!」


 カインの体が反応した。抱きしめていたエレナの体の温もり。15年越しに取り戻した、大切な感触。

 だが、カインは迷わなかった。


 バッ。


 カインはエレナを離し、即座に背を向けた。地面を蹴り、崩れ落ちるコレットの元へと疾走する。

 カインはエレナの方を振り返らずコレットだけを見ていた。


「……あ……」


 エレナは、空っぽになった自分の腕を見つめた。温もりが消えた。カインの背中が、遠ざかっていく。

 かつて城で別れた時と同じように。

 けれど決定的に違うのは、今の彼には「向かうべき場所」があるということ。


『……う、ぐぅ……ッ!』


 コレットの中のルビィもまた、主の激痛と同調し、苦しげに明滅していた。

 胸が引き裂かれそうだ。これは嫉妬? 羨望? いいえ、もっと根源的な「恋」の痛み。


「コレット……! 大丈夫……大丈夫だよ……私がいるよ……! この痛みは……私も半分引き受けるから……!!」


 カインが滑り込むように膝をつき、過呼吸で震えるコレットの上半身を抱き起こした。


「はあ……! はあ!! ぁ……カ、イン……さ……」


 焦点の合わない瞳が、虚空を彷徨い、カインの顔を捉える。顔色が悪い。冷や汗がびっしりと浮かんでいる。


「……っ」


 カインはコレットを強く抱きしめた。さっきエレナを抱いた時とは違う。

 壊れ物を扱うような、けれど絶対に放さないという意志のこもった力強さで。背中をさすり、乱れた呼吸を整えさせるように、自身の鼓動を伝える。


「……息を吸え、コレット」


 カインの声が、耳元で響く。その低く落ち着いた声だけが、崩壊しかけたコレットの世界を繋ぎ止めるアンカーだった。


「……」


 少し離れた場所で、エレナはその光景を見つめていた。カインが、別の少女を必死に介抱し、その名を呼ぶ姿。

 そこにあるのは、かつて自分が知っていた「アトス」ではなく、今の彼が築き上げた、新しい絆の形。


 エレナは、震える手で自身のスカートを握りしめた。

 寂しさと、安堵と、そしてほんの少しの羨ましさが、胸の中で静かに混ざり合っていた。


『そっか……15年間……ずぅっ……と。【囚われていた】のは……私の方だったんだ……』


「コレット、俺を見てゆっくりと呼吸をしろ」

「は……はぁ………は……」


 コレットの呼吸が次第に落ち着きを取り戻す。

 それに伴い、ルビィも落ち着く。


(……そこの精霊はコレットとリンクしているのか……? ……コレット……精霊と契約したのか……)


 カインがコレットの手を優しく握る。


「本当に……強くなったな、お前は」

「カインさん……」


 精霊の光に照らされる2人のその光景は、エレナにはまるで、深く想いの繋がっている恋人同士のように見えた。

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