05
一週間ほど経ってかできる限り連絡は入れますねと約束して先生は家をでた。
食料や消耗品は一週間に一度朝の決まった時間に玄関に届くようにしてくれたし屋敷は先生の魔法でいつも通り綺麗に保たれている。
私以外誰もいない屋敷は本当に静かで寂しかったがこういう時植物の世話をしていてよかったと思う。
これが無ければきっと私は引きこもっていただろうし、動物や虫に話しかけていると少しは気も休まるから。
先生が家を空けてから一週間、先生は約束通り連絡を小まめに入れてくれている。先生も夜が一番寂しがると考えたのか眠る前に短くても電話を入れてくれた。
大抵はこき使われてるだとかの愚痴ばかりで戦争がどうなっているかはわからなかったけど。
電話口から聞こえる先生の声も少し疲れてそうではあったけど、いつも通りに聞こえて安心した。
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「うん、だいぶ成長したねえ」
例の蛹の様子を今日も見る。透けて見える蛹の中は以前と違い生き物の見た目をしていた。前の液体のような状態を考えると随分と変化して安心する。動いて見えるだけで本当は死んでしまったのかもしれないってずっと思っていたから。
「羽化したらどんな姿になるのか見せに来てね」
そんな都合のいい事にはならないだろう。私もずっと見ているわけじゃない。眠っている間、見ていない間に羽化してどこかに旅立つ可能性の方が大きい。
それでもこのコとも長い付き合いだ。元気に羽ばたいている所が見たいな。
先生が家を空けてから三週間経った。今日も居間にあるアンティークなダイヤル電話の横に毛布を抱えて陣取る。戦争も終わりが近いらしく先生からの連絡もあまり来ない。
元々連絡できなくなると聞いていたので覚悟はしていたが実際に来ないと不安が募る。
……大丈夫、先生は凄い魔法使い。きっと私の心配とは裏腹に何事もなくケロっとして帰ってくる。心配し損だったなって後から心配性の自分に呆れるだろうから。
悶々と悩みながらも自身をなだめていると電話が鳴り響いて驚きながらもすぐに受話器を取った。
その日の連絡は簡潔ですぐに終わった。しかし後一週間ほどで帰れるといった内容に私は歓喜しながら自室に戻って早く日が過ぎるのを期待して眠りについた。
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最悪だ。また例の悪夢を見た。黒い空と白い雪の世界に一人でいる夢。今日は少し覚えてる。赤く光る蝶がひらひらと私の前を飛んでいた。私がそれを追いかけると唐突に雪の地面が崩れて私ごと何も無い奈落の底に落ちていく夢だった。
夢は記憶の整理だと聞くが一体何だというのだろう。いや、夢に整合性なんて求める方がダメなんだろうか?同じような夢を見ることに何か理由はあるのだろうか。先生が帰ってきたら相談してみよう。
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毎日のように悪夢に魘されてあまり眠る事ができず地獄のようだったが、先生が帰ってくるといった一週間後は案外早くやってきた。しかし今から帰る、という連絡はない。
先生なら帰る前に連絡を入れるんじゃないかと電話の前で待機してみたが電話がなる様子はない。
時刻は既に九時を過ぎていたが電話や先生が突然帰ってくる可能性を考えて両階段に座り込んで先生を待つことにした。しかし日を跨いでも何もなくてここ最近悪夢続きであまり眠れていない私は睡魔に負けてそのまま両階段で膝を抱えて眠った。
ふと目を開けると私は空高くに太陽が浮かんでいる赤い不思議な空間にいた。
何かざわざわと嫌な予感がして足を下げるとぱしゃりと水の音が足元からして目線を降ろす。
足元には血のような赤い水が踝まで浸かっていて、なんだか身体があつ、熱、熱い?
脳が沸騰したようにどくどくボコボコ音を立てて耳鳴りという言葉ではすませられないほどの不協和音が沸騰音とともに響き渡る。身体が溶かされているような激痛に頭を押さえようとして手をあげて違和感を覚える。
まるで、手から先の感覚が……あれ?
一瞬何が起きているのかわからなくてじっと手の先を見た。……溶けてる?ああ、ああ。さっきから私の身体は溶けていたんだ。このまま跡形もなくなって私はいなくなる。
……先生、帰ってきて私がこんな事になってたらどう思っちゃうかな、どうせ死ぬなら先生に血をあげてから死にたかった。
先生は吸血鬼だけど吸血鬼じゃないから、あげるって言ったって飲まないだろうけど。それでも、私があげられるものなんてそれくらいなのに。
ああ、私は今、私の姿を保ててる?もう全身溶けてる気がする。全身が赤い水に溶け込んで、私は空を見上げた。どうやってかはわからない。空には雲一つなくギラギラと輝き続けていて、吸血鬼じゃなくても眩しい光に焼けてしまいそうだった。
太陽を見ているとなぜかラルフさんを思い出した。ほんの少しだけ話した人。凄く意地悪で、きらきら綺麗な人。
……ああ、喉が渇いたなあ
ガクリと頭が落ちる感覚に目が覚める。
あぁ、あのまま寝てしまっていたのだった。なんて恐ろしい夢を見たんだろう。今まで見た悪夢とは違ったがまた別に嫌なものだった。
悪夢にバリエーションなんていらない。手が溶けていた事だけは鮮明に覚えていて確かめるように手を開いたり閉じたりした。
先生、結局今日は帰ってこないのかな……
今の時刻は深夜二時、先生は魔法で帰ってくるだろうから時間なんて関係ないだろうけど。
先生はこんなところで私が眠っていたことを知ったら叱るだろうな……。流石に身体が痛くて立ち上がって身体を伸ばす。
すると玄関の扉が開く音がした。驚いてそちらを見ると先生が立っていた。
「先生!!」
急いで私は階段を降りて先生のところまで駆け寄る。先生だ、先生が帰ってきてくれた嬉しい!!
「ただいま帰りました、ノラさん」
「はい、おかえりなさい先生」
あまりに嬉しくて先生飛びつこうとしたのをとどまる。先生の見た目はいつもと変わらない。行った時と何も変わらないように見える、怪我もしていないようだが何か、おかしい。目線が合わない、顔を見せてくれない。
「……先生?」
「すみません、流石に疲れたので今日は部屋に戻ります」
「あっ……」
どうしたんですか、と聞きたかったが初めてされる対応に思うように声がでない。今日は先生と朝まで一緒にいたかった。いい子にしてたっていつもと何も変わらない日を過ごしましたって報告をして、変な夢を見たことを相談して、それで……なんだというのだろう。
どこまでも自分本位だった自分に嫌気がさす。戦争に行っていたんだ、嫌なものを沢山見たかもしれないのに。
先生も疲れてるって言ってた。きっと先生も少し寝たら回復するだろう。先生が起きてきたらまず先生の話を聞こう。きっと大丈夫。
自室に戻って再度眠ろうとしたが先生や悪夢の事が気になって、眠れない。
こういう時にいつも先生は私に気にかけてくれてたんだな。まさか先生が帰ってきてそれを再認するとは思わなかった。
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結局あれから眠れなくて朝になっていた。先生の様子を見に行くか悩んで結局起こさずにいつも通りにする事にした。
帰ってきたのは深夜だったわけだし、疲れて眠っている人に朝に起きろと言う方が酷だろう。
「あ……」
蛹が空になってる、羽化したんだ。
念のために辺りを見渡すがどこにもそれらしき虫の姿は見えない。
ああ、やっぱり見てないうちに羽化してどこかにいっちゃった。
姿だけでも見る事ができたら今の気持ちが少しだけでも晴れるかもと思ったけど、鳥に食べられたとか結局羽化できなかったとかじゃないならそれでいいか。蛹の姿を覚えているうちに何の虫だったのか後で調べてみよう。
結局先生は夕方になっても部屋から出てこなかった。いつもなら夜更かししても夕方になる前には起きてきていたのに。一応ご飯を用意したけど声を掛けにいくべきだろうか。
寝てたら悪いしな……でも一日何も口にしない方が身体に悪い?あれ、結局先生って食事は必要なの?もしかしていらない?
ぐるぐる歩き回りながら思考して結局先生の部屋に行くことにした。
「先生、起きてますか? もう夕方ですよご飯できてますけどどうしましょう?」
返事が、ない。やっぱり寝ているのだろうか。まさか、倒れてないよね?
……部屋の中の様子だけ確認して寝ているようなら一度戻って、そう考えながらノブを下げようとしたが下まで下がらず何かが途中で引っかかっているような感覚。
……鍵?先生の部屋に鍵なんてついてたっけ……?まさか、魔法で開けられないようにしてる?
それは今まで一度も無かった先生から私に対する明確な拒否だった。
……頭がクラクラする。外で何があったというのだろう。それで私の事が嫌になっちゃった?昨日は目も合わなかった。顔を見るのも嫌なくらい、嫌われてしまったのだろうか。
「先生……」
返事はやっぱり帰ってこない。その事実にその場で崩れる様にしてうな垂れて座り込む。
意識が朦朧とする。それは一週間碌に眠れていなかったからなのか、それとも別の要因があるのか。どの道こうして眠りに入ると悪夢ばかりを見る。
ああ、でもここなら先生が出てきた時すぐに気が付ける。先生はこんなところで寝ちゃ駄目だってまた叱ってくれるだろうか……。
それとも……。
先生も、私を捨てるのかな。
そんな悲観的な私の問いに誰かがそんな事はないと答えた。
……誰が?また私は夢でも見ているのか。
……ああ、さっきまで先生の部屋の前にいたはずなのにまた白い世界だ。赤い世界よりは、いいけど。
誰が話しかけていたのかと周りを見渡す。少なくとも喋る存在はこの世界にはいなかった筈だ。生物なんてあの赤い蝶以外にいるのか?
──先生だけは大丈夫。
また声が聞こえた。高い声、女性の声だ。周りをぐるりと見渡す。誰もいない。しかしここは夢の中、なんでもありなんだろう。目の前には誰もいないが意を決して見えない存在に問う。
「どうしてそう言えるの?」
──先生だけは疑わない。
返ってきた言葉に戸惑う。……もしかして会話できない?それにこの声、さっきから先生って……。
立ち上がるために雪に手をつくと目の前の雪から赤く光る何かがすり抜けるかのように、実体を持たないかのように雪の中からひらひらと出てきた。
……蝶。思わず後ずさる。この蝶はここ一週間でこの世界を悪夢と考えるようになった元凶のようなものだ。この蝶の傍にいると碌な夢にならない事を知っている。見た目こそ綺麗だが私にとっていい存在でないことを理解していた。
──私には先生だけ。
声は、蝶から聞こえた。そしてその言葉に腑に落ちる。
これは私の声だ。記憶を無くした頃に「この人は大丈夫」と私に囁いた、あの声だ。
私の中にある記憶が私に語りかけている。やっぱり私の記憶は、この雪の下に埋もれてしまったんだ。
雪に触れて軽く掻く。しかしすぐに止めた。だって私はこの雪の下がどうなっているか知っていたから。
そんな私を見つめていた蝶に指を差し出す。蝶は静かに私の指に止まって羽を閉じた。
降る雪の量がどんどん多くなって風も強くなっていく。強い風に紛れて、私の声ではない誰かのよくない声が聞こえた。
──お前なんていらない。
──役立たず。
──魔力無しの落ちこぼれ。
──何の才もない人間の癖に。
「うん、そうだね」
知ってるよ。
これは私の記憶の残骸だろう。ずっと先生に捨てられる事に怯えてた。先生も私を捨てるって思ってた。
先生もって事は私はきっと誰かに捨てられたんだろう。なんとなく、どういう存在に捨てられたのかは検討がついた。
だって人間の私は吸血鬼の先生に拾われたのだ。その前に私を捨てる人間なんて限られている。ああ、ここまで酷い事を聞かされても結局、何も思い出せはしない。だって、記憶なんてどこにも無いんだから。
そう結論付けた私を正しいと言っているのか慰めているのか、蝶は羽をぱたりと羽ばたかせた。
──私には先生だけ。
「……うん、そうだね」




