第六話「出雲国」
【久下家】
久下宗高・主人公 幼名:鹿丸
雪林・岳寺の住職
【他】
瀬戸川左近・月山衆頭領
神谷宗兵衛・商人
天文十四年(1545年) 光岳寺・雪林
「これはこれは……いやぁ、ようお越し下さいましたなぁ。」
儂がそう声を掛けると、商人の神谷宗兵衛はにこやかに頭を下げた。
「こちらこそ、雪林殿にお目通りが叶い光栄でございます。」
神谷宗兵衛、播磨から瀬戸内にかけて広く行商を営む目利きの商人で珍品や唐物を扱うことで知られている。今日も取引の為に光岳寺を訪れていた。本堂の広間で宗兵衛は持参した桐箱をそっと開け茶器を恭しく取り出す。釉薬の深い艶が差し込む陽光を柔らかく返し、水面のようにきらめいていた。
「堺から手に入れた唐物でございます。寺方にも鹿丸様にも、きっとお喜びいただけましょう」
宗兵衛は笑みを浮かべ、品を並べながら少し声を弾ませた。
「それにしても鹿丸様には驚かされてばかりですな。経済を活性化させるために楽市楽座をお開きになり、関所まで廃された。おかげで我ら商人は随分と動きやすくなりました。物資も人も滞りなく行き来できれば、領内もますます賑わいましょう。」
以前の評定後、殿は防衛力の強化だけでなく、経済の立て直しにも力を注いでおられた。楽市楽座令や関所の廃止令は、税収が減るゆえ儂も弦之助様も乗り気ではなかったが、効果はすぐに現れた。今では商人や旅人は倍近くに増え、市や宿、遊興の場も次々と立ち始めておる。近隣の村から移り住む者まで現れ、領内は確かに活気づいた。……鹿丸様は商才もお持ちなのやもしれぬ。
儂は茶器を手に取り陽光にかざして眺めたのち、周囲を見やった。人払いが済んでいるのを確かめ声を落とす。
「宗兵衛殿……実は一つ、内密にお尋ねしたいことがございます」
宗兵衛殿は眉を上げ、
「ほう、何でございましょう?」
と身を乗り出す。
「……忍びに通じた筋をご存じないか。できれば播磨の外に根を持つ者を探しておりまする。此度の件、近隣で雇った忍びの仕業と殿はお考えでな。ゆえに播磨国外の忍を求めておられるのじゃが……愚僧ではなかなか苦戦しておりましてな」
儂はそう言い頭を軽く撫でた。寺の務めゆえ山の民と接する機会はあれど、他国の者となると難しい。各地の寺にも問い合わせているが思うような成果はない。
宗兵衛は腕を組みしばし考え込んだ。
「播磨国外ですか……。私の知る限りでは四国や蝦夷の忍衆に心当たりはありますが、遠路はるばる来るかと考えれば……、いや難しいでしょうな。」
儂は小さく頷いた。
「やはりそうか……」
二人の間に、しばし静寂が落ちる。
やがて宗兵衛殿が、ふと何かを思い出したように声を潜めた。
「滅びたところでもよろしければ、月山衆という者たちがおります」
「月山衆?」儂は目を細める。
「出羽国の月山を拠点としていた忍び衆でございます。元は修験の徒で、山岳戦や潜入を得意としていたとか。かつては尼子家に仕え、諜報や夜襲を行っていたとも聞きます。今は本拠を失い散り散りになったそうですが……腕は確かでしょう。知り合いの商人に頼めば、おそらくは繋げるかと。」
儂は顎に手を当て、ゆっくりと頷いた。
「……殿にお伝えしてみましょう。もし会ってみたいと申されたなら、その折は宗兵衛殿の力添えを頼みますぞ。」
宗兵衛は「心得ました」と笑みを浮かべ、茶器を包み直した。外では冷たい風が境内の松をざわめかせていた。
天文十四年(1545年) 久下領内の屋敷・久下鹿丸
家督を継いでからというもの慌ただしい毎日だった。父上が担っていた仕事を引き継ぎ、叔父上や母上に教えを請いながらどうにか務めている。家の収支や人員の管理に加え暗殺未遂を受けての警備強化、人員補充や建築の出費管理まで……気づけば頭は常に回転し続け息つく暇もなかった。
それでも二月を過ぎた頃には少しずつ流れを掴み余裕も生まれてきた。なので、かねてから構想していた楽市楽座と関所の廃止をやってみた。叔父上や雪林には「税収が減る」と反対されたが、信長という先駆者を知ってる俺には迷いは無かった。案の定、結果すぐに出た。村を出入りする際の税は無くなり、誰もが自由に商売が出来る様になったのだ。お陰で村は活気づき、今や目を見張るほどの賑わいを見せている。収入も増えたので兵や武器の増強にも手が回るようになった。鉄砲を追加購入したいな。鍛冶屋からは研究用に数丁欲しいと催促も来てるし次に商人が来たら話をしてみよう。
そんな折、雪林から忍びに関する報告があった。「没落した尼子家に仕えていた忍はどうか」とのこと。月山衆と呼ばれているそうだ。山陰の忍衆ゆえ、こちらの者とは縁がないだろう。そして、主家が滅ぶまで戦い抜いた者たちだ。忠義は期待できる。腕前は分からないが、こればかりは雇ってみてからのお楽しみだな。今のうちの規模で贅沢は言っていられない。
しばし思案の末、「会ってみたい、手配を頼む」と雪林に告げた。
意外だったようで雪林は目を見開き、少し言葉を詰まらせた。没落後の忍を招くことに警戒があるのだろう。だが俺にとって過去は関係無い。そして今、最もうちに必要なのは情報力と裏の仕事人だ。諜報機関が完成すれば久下家の戦の幅は大きく広がるだろう。忍びとは会った事がないから楽しみだ。
天文十四年(1545年)出雲国・山中の隠れ里
瀬戸川左近は、粗末な机に向かい帳面を繰っていた。忍び衆の出入りや物資の残量、各地から届いた報せを整理し次の指示を書き付ける。かつて三百を超えた我ら月山衆も今では五十に満たない。それでも各地に散った者をかき集め、何とか“衆”の名に恥じぬ規模は保っている。
尼子家が滅んだあの日より、立て直すために費やした年月と労は誰よりも自分が知っていた。
「頭領、失礼します。」
土の匂いをまとった足音が近づき、一人の配下が戸口をくぐる。そして何やら言いづらそうに、口を開いた。
「あの…、播磨国の久下鹿丸なる者が頭領にお会いしたいとの申し出がありました。」
筆が止まる。左近は顔を上げず短く繰り返した。
「……久下だと?」
名は聞いたことがある。確か播磨の片隅を治める小領主であまり表舞台に立つ家ではない。
そこの嫡男が“千歯扱き”という新しい農具を考案し近頃はこちらでも時折見かけるようになった。脱穀がかなり楽になったと評判で中四国や関西から注文が殺到してるようだ。
だがそのせいで周りの妬みを買い、最近、当主が暗殺された。まさに出る杭は打たれるのだ。小領主ではそこまで頭が回らなかったようだ。
そして今回の申し出。…なるほど、忍を雇おうというわけか。
「どうなさいますか?」
配下は一歩踏み出し、やや語気を強めた。
「恐れながら、某は行く必要は無いかと。。播磨は遠うございますし、久下など小領の家が我らを呼びつけるとは……少々、図に乗っているのでは?」
左近は軽く手を上げ、配下を宥めるように首を振った。
「感情で言葉を選ぶな。まずは事実を見極めねばなるまい。」
そう言って帳面を閉じ机の端に置かれた地図を広げ、久下家のある播磨国の方角を指でなぞる。
「……ここからだと、早くても十日。道が悪ければ二十日はかかるな」
「はい。峠の雪が深ければ、それ以上かと」
左近は静かに目を細め、心中で思案した。
正直、今では小さな仕事を時折請け負う程度で稼ぎは厳しい。渡りに船とも言える話だ。だが没落後の我らに目を付けるとは何を考えているのか。播磨といえば村雲を始め、他にも忍び衆がいたはず。主君を守りきれなかった我らに何を期待しているのか……。
しばし沈黙が流れた後、「……フム」と低く息を吐き、口を開いた。
「分からん。これ以上は分からんな。だが、とりあえず鹿丸という童を見てみるとしよう。我らの未来を託せる男なのかどうかをな。」
「……頭領!」
配下は思わず声を上げ、信じられぬという顔をした。
左近はその反応を無視し淡々と告げる。
「出立は明日だ。支度を頼むぞ。」
「……承知、致しました。」
配下は説得を諦めたのか、しぶしぶ頷き足早に部屋を後にした。
「さて、続きをするか。」
左近は小さく呟き、再び机へと向き直った。