第五話「継承」
登場人物
【久下家】
久下宗高 主人公 幼名:鹿丸
久下正光 宗高の父
久下志乃 宗高の母
久下弦之助 正光の弟。
雪林 岳寺の住職
天文十四年(1545年) 播磨国・久下領
――父上が亡くなった。
その知らせは、まだ夜の寒さが残る暁に飛び込んできた。
「鹿丸様、大変でございます! 殿が……!」
荒い息をつきながら小姓が駆け込んでくる。
屋敷のあちこちから怒号や足音が響き唯ならぬ空気が漂っていた。
「何が起きた?」
「はっ、父君の正光様が…、無念にございまする…!」
そう言い終えると下を向き、涙を流し始めた。
俺は全く状況が理解出来てない。何が起きた?父上が死んだ?本当に?昨日まで元気だったじゃないか。死因は病死・自殺・殺された?
寝起きでしっかり脳が回っていなかったが、真実を確認すべく寝所へ向かった。
父・久下正光は布団の上に静かに横たわっていた。胸元には深く黒い染み。刀傷一つなく、細い刃で突き貫かれたような跡だった。母上は父上の枕元にすがり泣き崩れている。叔父上は険しい顔で立ち尽くしていたが、私の姿に気づくと低く声をかけた。
「……鹿丸来たか。兄上は先に逝かれてしまった。こうもあっさり殺られるとは…無念だ。これも俺が不甲斐無いせいだ。すまぬ…。」
叔父上が辛そうに謝る。
自分に責任があると思っているようだ。
「叔父上…、叔父上1人だけの責任ではありませぬ。頭を上げてくだされ。」
そう言うと渋々といった感じで頭を上げてくれた。そして父上の方を見る。
「見よ、この鮮やかな手口。こうして仕事を終え、日が昇るまで誰も気づかない程の力量。
恐らく忍びだろう。ただの賊にここまでの芸等は出来まい。」
…確かに手慣れている。防衛がザルなこの村と屋敷だが最低限の警備はしている。それを誰にも気づかれず仕事を遂げているのだ。プロ…忍びの仕業で間違いないだろう。
「今から久下家当主はお主だ。悲しんでいる暇はない。兄上の葬儀、今後の防衛体制の強化、忍びを雇った者を探し、領内の整備とやる事は山積みだ。だがお主は一人ではない。俺達で支え補佐するからな。」
そう言った叔父上は、ふと口を閉ざし、わずかに目を伏せた。短い沈黙のあと、俺を見据え直す。
背筋を正し、声の調子も改まる。
「……いや、我ら一同、この命を賭して殿にお仕え致しまする。」
そう言うと、叔父上が深々と頭を下げる。周りに居た家臣たちも一斉にそれに倣った。
こうして俺は久下家当主となった。
後日、領内から遠路を厭わず村人や近隣の領民が集まってきていた。屋敷の庭には白布を張った祭壇が設けられ、香の煙がゆらゆらと立ちのぼる。雪林の読経が響き、冷たい空気に混じって人々のすすり泣きが途切れなく続いた。
「正光様はよく働き、よく笑うお方じゃった……」
「我ら領民を守ってくださったのに…酷い事を…!」
「おい、若殿は僅か9つで家督を継いだそうじゃが…、この先大丈夫なんじゃろうか?」
村の百姓たちは手を合わせながら口々にそう語り、涙をぬぐう者もいた。若い俺が当主となった事に不安を感じる者も中には居た。その者達にも安心してもらえるよう励むつもりではある。
俺は喪主として座に着き焼香に訪れる一人ひとりに深く頭を下げる。
久下家は昔から栄光を掴めなかった家だと思う。源家の下で戦い、没落し現在の所領後は織田家に潰された。だがこうして、9年間共に過ごしきたから分かる。父上はこの小さい所領でも久下家繁栄の為に尽くしたのだ。村人からも評判が良く、家族仲も悪くはなかった。父上もこの地でのんびり暮らすのが好きになっていたのだろう。
今になり父上との思い出が溢れてくる。
加古川へはフナをよく釣りに行った。領内視察では馬に乗せてもらい早く大きくなれと笑われた。千歯扱きが開発に成功した時は喜んでいたなぁ。
…俺は理想の息子を演じていただろうか。9年過ごした思い出もあるが、この幼い体は父の死に応えるのだろう。俺は前が見えなくなり、必死に涙を拭っていた。
葬儀の翌日、屋敷の大広間で正式な家督相続が行われた。叔父上が烏帽子親として正面に座し、俺の前に家宝の短刀と印判が置かれる。母上も式に参列し目を真っ赤に腫らしながらも姿勢を正していた。
「これより久下家の家督を、鹿丸に継がせる」
叔父上の厳かな声が響く。
短刀を両手で受け取り、印判を握ると、広間に居並ぶ家臣と親族が一斉に頭を下げた。
式が終わると、母上は静かに退席した。
広間には俺、叔父上、雪林が残る。
障子が閉められ外の喧騒が遠ざかり、静けさが重くのしかかる。
雪林が膝を正し深く頭を下げた。
「……殿。正光様のご逝去、痛恨の極みにございます。そして本日より鹿丸様が久下家をお継ぎになる。この雪林、命の限りお仕えし、殿の治世を支えてまいります。」
「……うむ、ありがとう雪林。これからも頼むぞ」
俺が頷くと、雪林は静かに頭を下げた。そのやり取りを見届けた叔父上が、ゆっくりと口を開く。
「殿、今後の事ですが…、まずは兄を討った忍、その背後にいる雇い主を突き止めねばなりますまい。併せて屋敷と領内の防備を固める必要がある…。殿は如何お考えでしょう?」
来たか…。早速当主としての力量を問われている気がする。叔父上と雪林の視線が痛い。
「……叔父上の言う通り防衛強化を早急に進めよう。領内及び警備人員を増やす。だが根本的な解決には程遠い。うちも忍を雇うべきだと思う。専属で情報収集や裏稼業を行う者達を。」
俺は二人を見渡しながら続けた。
「残念ながら今思いつくのはこのくらいだ。叔父上、雪林の意見も聞かせてほしい。」
叔父上が腕を組み低く唸る。
「…忍を雇うのではなく、お抱えになさるので?」
叔父上の問いかけに対し頷く。
「そうだ、叔父上。一時凌ぎの雇いでは数年後で根負けするだろう。何せ周辺の者から狙われるのだ。銭がかかるが、父上の件があった以上妥協は出来ぬ。」
俺が強く言うと、2人共「なるほど」「仰る通りにございます」と納得してくれた。
叔父上が先ほどの問いに対して答えた。
「防衛強化ですが、他家に比べ当家は緩すぎるます。まずは屋敷の外周に柵と逆茂木を巡らせ忍びが近づきにくくし、見張り櫓を二つ増やし昼夜の交代制を厳格にする。屋敷内の廊下や要所には”鳴子板”を敷き夜間は一歩踏めば音が鳴る仕掛けを施します。警備の者には懐灯を持たせ、巡回経路を定め抜け道を無くすべきかと。これに当家お抱えの忍衆が居れば、まず容易な暗殺は出来ますまい。」
「なるほど…、流石叔父上だ。1つ1つ実施して行こう。」
俺が頷くと叔父は軽く頭を下げた。雪林が口を開く。
「忍ですが、拙僧に心当たりがございます。かつて播磨国にて山里に潜む忍衆と交わり申したことがございます。腕は確かで気も利く者達でございますれば…」
「……いや、雪林。それは避けたほうがよい。」
俺はすぐに首振り雪林の話を遮った。
「今回の件、近隣の者の仕業である可能性が高い。であれば、播磨国内の忍を雇うはずだ。赤松家の村雲党や、摂津方面に根を張る伊賀衆が、この辺りでどれほど勢力を伸ばしているかも分からぬ。……ゆえに、もそっと遠方から雇いたいのだが可能だろうか?」
雪林はしばし考え、
「……中々難しいでしょうが、心当たりがないこともございませぬ。やってみましょう。ただ、今の地より離れ、こちらまで参るとなると請け負う者がいるかは分かりませぬ。」
一拍置いてから、さらに続けた。
「他にも、商人筋にも当たってみまする。直接のつてはございませぬが、噂くらいは拾えるやもしれませぬ。」
「よし、雪林。それで行こう。お主に任せる。叔父上は人員と建設の手配を進めてくれ。今後、久下家を二度と好き勝手にはさせぬ。」
俺がそう言うと、二人は「ははっ」と畏まり、深く頭を下げた。