第三話「春」
登場人物
【久下家】
久下宗高 主人公 幼名:鹿丸
久下正光 宗高の父
久下志乃 宗高の母
久下弦之助 正光の弟。
雪林 岳寺の住職
【他】
菊 鹿丸の幼馴染
翌年の春。
俺が開発した千歯扱きは、既に村のほとんどの農家に行き渡っていた。あの日、鍛冶屋での試作品完成と同時に村中へその噂は広がり、あちこちから「うちにも欲しい」との声が相次いだ。
「当家が費用を持ち、いくつか作ってから各家へ配る。だから暫し待ってくれ。」
そう言うと、皆が口々に礼を述べ目を輝かせて喜んでくれた。
実際に使い始めてみると、それまでの手間とは比べ物にならないほどの効率に涙を流しながら感謝を伝えに来る者もいた。まさか、そこまでとは思っていなかったが、この世界で俺の知識が誰かの役に立てることがとても嬉しかった。
そして今…。
「鹿丸。あの雲の様子を五・七・五で歌ってみなさい」
母上が空を指さし、振り返って微笑む。
……が、目はまったく笑っていない。
「そうですね……。では……、ゴホン。
『雲流れ まるで綿菓子 腹が減る』
………いかがでしょう?」
渾身の一句を披露したつもりだったが、母上はぴくりとも表情を変えず、冷たい声で言った。
「もう一度、考え直しなさい。……真面目に」
最近は雪林殿の具合が悪く、学問の時間は母上が見ることになった。礼儀作法に和歌、俳句の授業が増えてしまった。現代人の俺からすると、こういう分野は苦手だ。
「はっ……母上、今度こそ参ります。…ゴホン。
『風そよぎ 雲のすきまに 日がこぼれ』」
「まぁ…、どこから直して良いのやら……。」
母上はとうとう額を押さえて頭を抱えてしまった。
そこまで酷いだろうか?
俺も頭を悩ませていると、奥から元気な声が響いた。
「恐れながら志乃様! 鹿丸にそのような事は無謀かと存じます!」
突然廊下の方から声が飛んできた。振り返るといつの間にかそこに座っていたのは、幼馴染の菊だった。
「菊……お前、いつの間に……。
というか、この屋敷の警備はどうなっているのだ?」
小さい村だから領主と村人の距離は近い。
だが、こうも易々と子供に侵入されるのは大問題なのではないだろうか。
俺の疑問に誰も答えないまま、菊は話を続ける。
「鹿丸は創造力も品も、そして風流さにも欠けております。俳句など出来っこありませぬ。」
そう言い終えると、母上はクスリと笑って答えた。
「あらあら、菊はよく分かってるのね。じゃあ残りの授業は菊に任せて私は退くとしましょうか。」
どこか楽しげな表情を浮かべて、母上は俺に意味深な視線を残して部屋を後にした。
部屋には俺と菊2人きりになってしまった。
「……お前、来るなら来るって言えよ。勝手に屋敷に上がるな。」
「ふーん、でも来たら話してくれるじゃない。最近、ぜーんぜん会えないからつまんないの。」
ぷいと横を向いて、ふくれっ面の菊。
「それは仕方ないだろう。最近は学問や武芸の稽古の他に政の場に出ること多かったし、忙しかったんだ。」
俺がそう言うと、菊は少し口を尖らせながらも興味ありげに聞いてきた。
「それって、千歯扱きのこと? 本当に鹿丸が考えたの?」
「ああ、そうだ。俺が考えた。模型や図面もあるし、証人もたくさんいるぞ?」
「…ふーん、凄いじゃん。」
素直に褒めたつもりなんだろうが、どこか照れ隠しのようにも見える。
「……ま、鹿丸らしくないけどね。賢いとか、頭が切れるとか。全然そんな風に見えないもん。」
「うるさいな。じゃあ俺はどう見えるんだよ。」
「鈍くて、おっちょこちょいで、たまに意地悪。」
そう言うとクスクスと笑いだした。だが、どこか寂しげに見える菊の姿を見て、俺はある事を思い出した。
「そうだ、菊。ちょうど良い。今度、叔父上と釣りに行く約束をしているんだ。一緒に来るか?」
不意の誘いに、菊は言葉を失ったまま鹿丸を見つめた。
「…え、でも、…いいの?」
「うむ。菊はいつも暇そうにしてるし、たまにはいいだろ。ほら、お前釣り好きだったじゃないか。……俺の方が釣果多かったけどな。」
「うっさいバカ!!」
顔を真っ赤にして怒鳴った菊は、くるりと踵を返して走っていった。
「なんだ…? せっかく誘ったのに……。」
後ほど、叔父上にこの事を話してみると「今度は2人きりの釣りに誘ってみろ」と言われた。
やけにニヤニヤしていたのは気になるが、今度会ったら誘ってみるか。
数日後、俺は村に出入りする商人たちに模型や簡易図を見せて、売り込みを始めた。だが、口頭や図面だけではイマイチ伝わらない。
そこで商人たちを村に呼び、実際に脱穀作業を見てもらったところ、目の色が変わり「是非やらせていただきます!」と商談に応じてくれた。今では、各地を走り回って売り込みを行ってくれている。
おかげで、村を挙げての千歯扱き製作だ。目論見通り、久下家にも大きな収益が入るようになった。本当なら、村に来る商人や見物客のために市を開き、楽市楽座による更なる経済効果を狙いたいところだが、父上の許可は降りそうにない。まあ今は焦らず、一歩ずつ進めていくしかないだろう。
そして今日は月に一度の評定の日。
議題は、この儲けた資金をどう使うかだ。
評定といっても正式な評定ではない。久下家家中で行われる意見交換の場だ。この場には、父・正光、叔父・弦之助、住職の雪林が集まる。千歯扱きの発明を境に、俺もこうした場に参加させえもらえるようになった。
「さて――」
父上が帳面を置き、口を開いた。
「今年の収支は、昨年よりもだいぶ余裕が出ておる。千歯扱きの収益は予想を大きく超えておった。」
最近、“若殿”と呼ばれることがちらほら増えた。きっとこの会合に参加しているからだろう。
父は帳面を指で叩きながら続ける。
「村内の供給分に加え、商人たちを通じて近隣の村々に売った分も合わせて――今年一年で銀五百枚、これはもはや、ちょっとした山一つの価値よ。」
「銀五百枚……!?」
叔父上が目を丸くする。
「この村にしては破格の収益ですな…。売れるのは分かっていたが、ここまで…。」
「鹿丸様の“からくり”の力でありますな。」
雪林殿が静かに笑い、茶を一口含む。
今日は調子が良いようだ。顔色も良い。
「いや、正直、ここまでとは思っていなかったのだ」
父も肩をすくめて笑う。
「さて、問題はこれをどのように使うか。」
父は手元の帳面を閉じ、静かに俺たちを見る。
「ワシはまず、堤と用水路、そして村を繋ぐ橋の整備にあてようと考えておる。それから新たな農具の支給少しずつではあるが耕作地の拡張もな。……それと少しばかりだが、ぱぁーっとやりたい気分でもある。」
そう言って父上はニヤリと笑った。
「ずばり肉と酒じゃ!! ずっと我慢しておった。派手に行こうではないか。」
……ん?
「さすが兄上!! 某も賛同致しまする!」
叔父上も大きく頷いている。
ダメだこりゃ、2人とも飲みたいだけだ。
兄弟揃って、こういうところは似るもんなんだな。
俺は意気投合してる兄弟を眺めてると、雪林が苦笑しながら口を挟んだ。
「直光様、恐れながら申し上げます。
この収入の立役者は鹿丸様あればこそでございまする。贅沢も結構ですが、鹿丸様へのご配慮もご思案いただきたく存じます。」
「うむ……それもそうだな。」
父は、茶を置きながら俺のほうを見た。
「鹿丸、お主の望みは何だ? 申してみよ。
学びたいこと、欲しいもの、やってみたいことがあれば、遠慮なく申せ」