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第一話「鹿丸」



川のせせらぎが心地よく響いていた。

陽の光が柔らかく、土の匂いと風の湿気が混じる、どこか懐かしい空気。


気づけば俺は、赤子として目を覚ましていた。

生前は普通の会社員であり、不慮の事故で死んだ。だが気がつくと、体は小さくなり母親と思われる女性の腕の中にいた。


「鹿丸、今日は起きるのが早いですね。」

そう言いながら女は俺の頭を撫でた。


鹿丸?俺の名か…?

「アゥ……、アア……」

口が回らない。話す事ができない。

聞きたい事、確認したい事は山ほどあったが、幼過ぎる今の体は就寝モードに入ると、俺の意識は遠くなっていった……。




数日経つ頃には、色々と把握する事が出来た。

…ざっくり言うと転生だ。

だが異世界では無く、戦国時代の日本の様だ。

話し方や服装、生活スタイルから見れば大方の予想がつくし、聞いた事がある武将の名前がチラホラ出てくる。


そして俺が生まれたこの場所だが、播磨国と言われる場所らしい。

現在でいう兵庫県あたりだろうか?

近くに加古川という大きな川が流れており、川と山に囲まれた久下氏が治める小さな村だ。


歴史の授業で公家は聞いたことがあるが、

久下くげ」というのは初耳だった。

父の久下正光曰く、以前は源頼朝や足利尊氏に仕えた国人領主の一族であったそうだが、そこから没落し現在の所領で落ち着いたそうだ。


俺はそこを治める小領主の嫡男として生まれだ。名は「鹿丸」。

代々久下家の幼名は「鹿丸」と決まってるらしい。「吉報師」や「虎千代」のようなカッコいい物が良かったが…。



5歳になる頃には学問の稽古が始まった。

長年、久下家菩提寺の「雪林」という住職が読み書きや算盤等の教養を教えに来てくれるようになった。

俺は現代人の知識を持ったままなので、吸収は早い方だった。雪林は同年の子に比べ、飲み込みが早い俺に驚いていたが「鹿丸様は今後が楽しみですなあ」とニコニコ笑っていた。賢すぎて警戒されるかと思ったが、嬉しさの方が優っているようだ。


「それにしても、数字にお強いですなあ。計算の早さがずば抜けておりますぞ。」


雪林は感心したように手を打った。

寺子屋で使われる九九や割り算も俺からすれば朝飯前だ。読み書き、計算、仏教の教えに国の歴史。雪林の教えは穏やかで分かりやすく、講義というよりは“語らい”に近かった。


「鹿丸様、人は“ことわり”を知ってこそ人となるもの。

戦ばかりが世を治める道ではありませぬ。筆も刀と同じく、大事な武器にござりまする。」


雪林は事あるごとにそのセリフを繰り返した。

要は刀を振り回すだけでは世は治まらない。

俺には脳筋大将ではなく、頭も使える良い領主になって欲しいそうだ。


「雪林、そう何度も言わんでも分かっておる。

俺は刀だけで無く、文で治める世を目指すぞ。」

そう言うと、雪林は「それは誠に楽しみでございますなぁ」と笑い、今日の授業が始まった。




「今日から“武”の稽古も開始じゃ、鹿丸」


7歳になると武器の稽古も始まった。

父の久下正光は領主業で忙しいとの事で、

叔父の弦之助が指南をしてくれる事になった。

午前は学問、午後は武芸となかなか忙しい毎日になってきた。


「姿勢がなっとらんのう!刀はこう振るんじゃ!こう!」


叔父の稽古はなかなか厳しい。

勿論俺の為であるし、俺も簡単に死にたくはないので、がむしゃらに励んだ。最初は酷い筋肉痛と、手や指の皮がすぐに剥け血豆だらけになった。それも1月耐えると少し余裕が出てきた。

若い体は成長も回復も早いのだ。だが、体力•筋力向上の為、腕立て、スクワット、ランニングも始めた。

変に目立ちたくないので、筋トレは寝る前と早朝、人に見られない時間帯に行うようにした。

このように1日頭と体を酷使するので、夜は一瞬で眠りに落ちていた。



鹿丸が眠りについたその夜、久下家屋敷の広間には三人の男が集まっていた。

主である久下正光、その弟・弦之介、そして光岳寺の住職・雪林である。


火鉢にくべた炭がぱちりと音を立てる。

「……さて、お主ら。鹿丸の様子、どう見ておる?」


正光が湯呑を手に、火を見つめながら切り出す。その声音には、父としての興味と、領主としての冷静な眼差しが同居していた。


雪林が静かに口を開く。

「学問の覚えは実に早く、疑問を持つ箇所も的を射ております。

字の形や意味を聞けばすぐに飲み込み、算盤も今では下級の村役人より達者でしょう。

年齢を考えれば……いや、それを抜きにしても見事な才です。」


「ふむ……では、文だけの器か?」


正光の問いに、今度は弦之介が口を開いた。

「いいえ兄上、武芸もなかなか筋がよろしい。

小柄ながら身体の使い方を早く覚えておるし、教えた型は毎日欠かさず反復しておるようです。

それに、“よく考える”のですな。刀の振り方ひとつにしても、どうすれば速く、どうすれば楽に斬れるか……。」


「……なるほどのう。」


正光は茶を啜ったあと、ふと声を潜めた。


「……して、雪林。憑き物ではあるまいな?」


その一言に、火鉢の音が一瞬、耳に際立った。

憑き物。人に取り憑く霊や妖のことを指し、急に言動が変わったり、才を持った者に取り憑いてるというが、息子を疑うとは…。

雪林は微笑をたたえたまま、はっきりと首を振る。


「それがしの目には、そのような気配は一切ございませぬ。

才の出どころに不可解な点はあれど、それも“人の持つ因果”と申しましょう。

鹿丸様は、誠に人としての才を持って生まれた子にございます。」


正光はしばらく沈黙したまま、煙の揺らぎを眺めていた。

やがて、ふっと笑みを浮かべる。


「そうか……ならばワシの血を引いた出来の良い倅ということか。いや、まこと上出来じゃな。」


目尻には、父親としての誇らしさが滲んでいた。


「となれば、放っておく手はないな。雪林、何か考えはあるか?」


「は。いずれ家を継ぐ身であれば、早いうちより領地経営の一端を見せることも肝要かと。

検地の立ち会いや、年貢の集計、あるいは領民との対話など……。

まだ実務は早いでしょうが、“見る”ことから始めれば、大きな糧になるかと存じます。」


それを聞いた弦之助も同意した。

「拙者も賛成です。あの歳であれだけ体も頭も動けば、他国へ行かせ見聞を広めさせるのも一興かと。

この播磨の外がどうなっておるか、自らの目で見て知れば、より深く物事を考えるようになりましょう。」


「なるほど、早めに経験させ見聞も広めるべきか。」

そう言うと正光は再び火鉢を見やった。

そして静かに、だが確かな声音で言った。


「……まずは側に置き、ワシの仕事を見せるとしよう。そこから倅が何を学び、どのように成長するのか見てみるとするかの。」


そう言って正光は、火の揺らぎを見つけながら息子の未来を思い描いていた。


【久下家】

久下宗高         主人公 幼名:鹿丸

久下正光      宗高の父

久下志乃        宗高の母

久下弦之助        正光の弟。

雪林         光岳寺の住職

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