第二話 本当? ブラフ?(1)
「この夏の成果は出せたか?」
課題テストが終わった後の担任の箒神先生の一言は、生徒の口に苦虫を放り込んだようなものだった。噛み潰したような顔をするしかなかった。課題をきちんとやっていないのだから出来るわけがないし、一度やったことがある前提の出題量のせいでまるで時間が足りなかった。テスト返しの日に担当教科の先生から睨まれることは必至だろう。
「それで、あーこのクラスは関係ないから良いか」一段声量を落として箒神先生は言った。
「一応言っておくと、体育大会のことについて集まりがあるらしいから生徒会は二年八組に集合とのことだ。このクラスに生徒会メンバーはいないから関係ないことだと思うが、まあ友達とかが教室に向かってなかったら言ってやってくれ。それじゃあ、委員長」
箒神先生は頭を掻きながら、どこか気怠げで仕事は果たしましたよというアピールをしながら委員長の方に目をやった。
「起立」
いつもの調子の号令が響いて、今日が終わった。
確かにいつもなら、それで今日を終わりと思えるのだが今日は違った。なぜならこれから部活があるからだ。といってもまだ入部したわけではないから、ただの体験でしかないのだが。
「秋人」
カードゲーム部の活動場所が分からないので、僕は部員の友人を呼んだ。
「ん?」
道案内をしてもらいたいという僕の気持ちはさすがに読めなかったようで、秋人は間抜けな返事をした。
「部活、どこでやってんの?」
「あ、まあちょっと待てって」
そう言うと、秋人は一反さんの方へと向かっていった。僕も仕方なくついていった。仕方なく、という表現はカッコつけたかもしれない。足取りが軽かった。今までは一反さんのことをただ好きというだけで近付くことすら出来なかった。それが今はどうだろうか。こうして近付ける理由がある、それが嬉しかった。
「一反、昨日言ってたやつ」
秋人はそう言いながら親指だけ立てて僕の方に向けた。
「あっ、豆富田くん。部活来る?」
昨日ぶりの好きな人の声に胸が高鳴った。
「うん」
とだけ言ってから、返事が短すぎるのも気まずいと思ってから「昨日から楽しみにしてた」と付け加えた。
「へー」一反さんの声はどこか訝し気だった。小さな嘘や誤魔化しを逃さない鋭さが、この人にはあると思った。
会話が続けたくて、僕は言葉を続けた。
「昨日、ちょっとポーカーのルールとかも調べてみたし」
「えっ! そうなんだ」一反さんの声の調子が浮いた。
「でも今日テストだったけど大丈夫?」
「え? あー、うん。まあ」
小さなプライドのせいでお茶を濁すことしか出来なかった。部活の話の有無に関わらず、前日にテスト勉強をする気はなかったが、そんな自分の怠惰を好きな人に話せるほど、自分に自信なんてなかった。正直に話せば話すほど、自分のことを知られれば知られるほど彼女の心から遠のく気がした。
「いや、豆富田はどっちみち勉強なんてしないだろ」
僕の思案を全部無視して、秋人が僕の肩を叩きながら秘密をバラした。
「えっ、そうなの?」驚いたように一反さんが言った。「勝手に真面目だと思ってた」
「いや、そんなことないよ。今回のテストだってやばいし」
秋人を恨みながら僕は正直に話した。満足そうに頷いている秋人の心情が僕には全く分からなかった。
「まあ、とりあえず行こうぜ」秋人がそう言って僕たち三人は教室を出た。
「ポーカーのルール覚えるの難しかったでしょ?」一反さんが訊いてきた。
会話出来る満足感を抱き締めながら、僕は「うん。動画とか結構見たけどあんまり自信ない」
「まあ、最初は私達が手取り足取り教えるから大丈夫だよ」
「よろしくお願いします」僕は頭を小さく下げた。
部室は普段僕たちが使っている北校舎ではなく南校舎にあるらしかった。北校舎は一から三年生までの教室がフロアごとに置かれており、そのうちのどこか一つを部室として借りるものだと思っていたがそうではないらしい。
南校舎には音楽室や美術室、理科準備室といった少し特別感のある教室が置かれていて、普段はあまり使わないだけにここに来るだけで妙な緊張と興奮があった。アウェーな雰囲気だ。
「ウィッス」
ようやく部室に辿りついたようで、僕は冒険の始まりのような面持ちだったが、秋人は自宅の扉を開けるようにドアをスライドさせてずけずけと入り込んでいった。一反さんもさっきまでと同じ歩幅で歩いて入っていった。
「お邪魔します」
中から知らない女子の声が聞こえてきたので、きっと先輩がいるのだろうと思って僕は丁寧に入室した。緊張のせいで足取りは少し重たかった。
「誰?」
教室に入ると、少しハスキーがかった威圧感のある声が僕の足を止めた。小柄でポニーテールの綺麗な女子生徒だった。
「あっ、初めまして。一年の豆富田晴明です」
「ん」と一言鳴らしてから、その人は二年の礒撫夏美だと名乗った。
「柚葉の友達?」礒撫先輩が一反さんに向かって首を傾げながら訊いた。
僕たちの関係をどう言葉にするのかと一反さんの声に耳を集中させると、「昨日話したばっかりです」と正直に言われて少し寂しかった。確かに僕たちの関係はそれぐらいでしかないのだが、それでもこの距離をどう詰めていけばいいのかと立ちくらみしそうになった。
「えーっと、晴明君だよね」
「あっ、はい」
「カードゲーム部に入ってくれるの?」
「そのつもりです」
まだ入部することを決定したわけではなかったので、僕は気持ちだけ話した。
「今までは何部に入ってたの?」礒撫先輩が僕たちを椅子に座るように手招きしながら訊いてきた。
「今まで部活に入ってなくて。それを担任にどやされて、秋人にこの部活を招待してもらったって感じです。ーーというか、さっきからずっと思ってたんですけどすごいですね。本格的だ」
僕が座らされた椅子は、普段学校で座っているような、椅子以外の活用方が見つからない無個性椅子ではなく、バーのカウンター席で置かれているような丸型のチェアだった。カウンターチェアと言うらしい。
そして目の前にはポーカーをする用の装飾がされている大きな楕円形のテーブルだった。学校の机を何個かくっつけて遊ぶものだと思っていたから意外だった。
「私も最初はびっくりしたよ。これ、十万ぐらいするらしいよ」
「えっ、そんなするんですか」驚きの声を上げたのは一反さんだった。
「あれ、言ってなかったっけ?」礒撫先輩が一反さんを見つめる。
「聞いた覚えないです」
と、一反さんが答えると秋人が「いや、最初に言ってたよ」と口を挟んだ。
「えー、嘘だー」一反さんが笑いながら言った。
一反さんの笑顔を間近で見れて嬉しかったが、その笑顔が秋人に向けられたものだったので面白くはなかった。僕は作り笑いをした。
「ふーん」
一反さんと秋人が盛り上がる横で、礒撫先輩が僕を見つめてきた。
「なんですか?」
「面白くなりそうだなと思って」
「なにがですか?」僕は首を傾げた。
「何でもないよ」礒撫先輩は楽しそうに笑った。
いつの間にか秋人と一反さんの会話も終わっていたようで、僕たちの方を見つめていた。僕たちの会話が終わるのを待っているようだった。
「夏美先輩。豆富田くんがせっかく来てくれたんだし、一回やってみませんか」一反さんがそう言うと、礒撫先輩が頷いた。
「そうしよっか。晴明君、ルール分かる?」
「ちょっとだけなら。でも、あんまり自信はないです」
「じゃあ、まあ軽くルール説明をしながらやってみようか」
礒撫先輩は横並びの僕たち三人と向かい合う席に移動して、引き出しからチップとトランプを取り出した。テレビや動画でしかみたことないチップの登場に、変身ベルトなんかの新しいオモチャに出会ったかのような興奮を覚えた。
この興奮を共有しようと右を、秋人と一反さんの方を見たが彼らの表情は何も変わっていなかった。
二人にとっては見慣れた光景なんだろう。自分の知らない時間が流れていたことを知って、羨ましくもあり寂しくもあった。
「それじゃあ、私はディーラー兼プレイヤーってことで。今からするのは本番じゃなくて練習だから、肩の力抜いていいよ」
「はい」
厭な感情が胸に湧いたのを無視するために、僕はポーカーに集中することにした。特に理由はないが秋人を倒してやろうと思う。
「練習だから、そんなに緊張した顔しなくていいよ」礒撫先輩がそう言うと、一反さんが僕の顔を見て笑った。
「真剣だね」
いったい誰のせいだろうか。