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7.「君の好きなものは?」

 それからもレオニスに憧れる使用人たちから無視をされたり、ちょっとした嫌がらせをされることは続いていたものの、レオニスの側使えとして仕事には順調に馴染んでいった。

 何しろレオニスは、最初の印象の通りメルクリールに親切で、かつ、情緒が安定しており、手がかかる主人では決してなかった。

 執務をする時は、珈琲よりも紅茶派。午前中ならば香りが高い葉を好み、午後になると気持ちが落ち着くハーブティーを選ぶことが多い。


「お茶をお持ちしました」

「ああ、ありがとう」


 夜遅くまで仕事に励んでいるレオニスにハーブティーを運ぶ。彼からは今夜もかぐわしい薔薇の香りがするが、それにも慣れつつある。


「ここに置いてくれる?」

「はい」


 彼に手招きされたので、執務机の上にカップを置く。穏やかな表情でメルクリールを見守っていたレオニスが、ソーサーの上に置かれたものを見て、右眉を上げた。


「おや」


 疲れた頃合いだろうと、ダークチョコレートをひとかけらだけ置いておいた。レオニスは甘いものに目がないし、ちょっとした気分転換になるのではないかと思ってのことだ。

 レオニスは目を輝かせるよりも、笑顔になるよりも早く、尻尾が左右に振れた。


「ありがとう、メルクリール」


 レオニスの長い指がチョコレートをつまみ、口の中に運ぶ。すると尻尾の動きがさらにゆったりと大きくなる。


(ふふ、公爵様相手に、かわいい……、なんて思っちゃいけないんだろうけど……かわいいな)


 レオニスが書類を読みながら百面相をするから最初は驚いた。それに合わせて、彼の尻尾が揺れることに気づいてからは、顔の表情よりも尻尾の動きに注目するようになった。

 嬉しいときは、ゆったりと左右に揺れ、おそらく不快な時――大体眉間には皺が寄っている――は、叩きつけるように上下に揺れる。他の獣人たちと同じようにレオニスも尻尾の動きから、気持ちが伝わってくる。その事に気づいた時、一層彼に親しみを感じた。


「チョコレート、特に好きなんだ。また良かったら、頼むね?」

「はいっ!」


 メルクリールはぱっと笑顔になり、お盆を胸に抱きしめた。


(プロフェッショナルメイドに、ちょっとでもまた近づけたかしら?)


 レオニスも表情を和らげながら、ハーブティーを口にした。


「ああ、ありがたい。今まで側使えがいなかったから、夜はずっと一人だったからね――バーナードは早寝だしな」


 執事のバーナードは、朝も早い。さすがに毎日深夜までレオニスに付き合えないのだろう。


「あ、あの……、私で、良かったら、いつでも、ハーブティーを淹れてまいります……っ!」

 

 勢いでそう言えば、目を丸くしたレオニスがすぐに破顔する。


「頼りにしているよ、メルクリール」


 彼の笑顔は、どうしてかメルクリールの心の奥に火を灯す。胸の中がいっぱいになったメルクリールは喜びを噛み締めつつ、これ以上仕事の邪魔をしてはいけないと、ぺこりと頭を下げた。


「では廊下に控えておりますので、なにかあればいつでもお声かけください」


 かちゃんとカップをソーサーに戻したレオニスが、そこで立ち上がった。


「じゃあ気分転換に、私の話し相手になってくれないか」

「え?」


 見ればレオニスが机の端に腰をかけていた。


「ちょっと行き詰まっていたんだ。少しだけ付き合ってくれるとありがたい」


 レオニスの尻尾が小さく左右に揺れているのを確認する。


「あ、もちろん。私でよろしければ!」

「よかった。じゃあ、君の話を聞かせてくれる?」


 思ってもみなかったことに、メルクリールは瞬いた。


「私の話、ですか?」

「そう。君の育ってきたところとか、好きだったもの、とか、そういうことかな?」


(え、私の話なんて聞いて楽しいの……!?)


 唖然としつつも、主人が望んでいることには従うだけだ。メルクリールはおずおずと頷いた。


「たいした話はありませんが、それでよろしければ」

「それ『が』聞きたいんだ。じゃあ君はそのソファに座って」


 客人用だろう、立派なソファセットを示される。


「え!? た、立ったままで構いませんが!!」

「私が気になってしまうからね。私の我儘で引き止めているのだから、ソファに座って欲しい」


 そこまで言われてしまうと、さすがに断れない。


「……は、はい」


 今まで縁のなかった、最高級な座り心地のソファに腰をおろしながら、メルクリールは背筋を伸ばした。


「それで君はどこの生まれなの?」

「それは――その、気づいたら、養護院でした」

「ふむ」


 それは想定していたのか、もしくは養護院から知らされていたのか。レオニスは何の感情も見せなかった。


「出自を知らせるものは何も持っていなくて……指輪だけでした」

「指輪?」


 ぴくっとレオニスの獣の耳が揺れる。


「はい。シスターが鎖を通してくれたので、いつも身につけています。でも何の変哲もない指輪で、シスターたちは、きっと両親がなけなしの指輪を持たせてくれたのだろうと言っていました」

「――…そうか」


 見せてみろと言われたら見せる心づもりはあったが、レオニスはそれ以上指輪については何も触れなかった。

 

「匂いで私が『人間』だということは分かったのですが、そのまま育てていただきました。シスターたちだけでなく、養護院では一緒に育った友人たちにもよくしてもらいました」

「なるほど」


 一緒に育った友人、と言えばレオニスの尻尾がぴしゃっと上下に揺れた。


「それで君の趣味は?」


 メルクリールは一瞬答えに窮した。

 彼女は趣味らしい趣味がなかったからだ。養護院では常に人に囲まれていて、あまり自分だけの時間はなかったし、例えばネイアのようにメイクにこだわるとか、お洒落を楽しむとかそういうことにも無縁だった。ずっと、一人で生きていくことしか考えていなかったからだ。


「メルクリール?」

「あ……、すみません、ちょっと考えていました」


 するとレオニスが両腕を組み、ぴしぴしと尻尾で執務机を叩く。


「趣味はと聞かれて考えるって、どういうことだ」

「いや……趣味らしい趣味がないなと思ってまして……」

「じゃあ、好きな食べ物は? 例えば君もチョコレートが好き?」


 それも答えられなかった。


 養護院では、食事は決まったものを全員で食べていたし、街に出たときに買食いをするほど食に興味がなかった。ザイードに街でカフェに寄るかと言われても、無駄遣いは良くないと思い、断っていた。好き嫌いはないし、何でもおいしくいただける。生きていけるだけの食事が与えられていることに、それだけで十分と考えていた。まごまごしているメルクリールを見下ろしていたレオニスが机から勢いよく立ち上がった。


「なるほど。よくわかった」

「え?」

「明日から、私の外出についてくるように」


 ぽかんとしつつも、すぐに頷く。


「は、はい……!」

「となれば、私は今からこの仕事を絶対に終わらせる。君はもう休みなさい。明日は外出だから、そのつもりでいるように」

「え、ですが、私の仕事は――……」

「十分だよ。むしろ、仕事を片付ける燃料を与えてくれてありがとうと言いたいところだ」

 

 きっぱりと言いきったレオニスの表情は、神々しいほど輝いていた。

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